第28話 敗北 

 5月になり、元号が令和に変わった。テレビでは大騒ぎしていたが、葵とハソングンは淡々と同じ1日を過ごした。


 翌日の放課後、ハソングンは、応援団長に呼び出された。ハソングンが応援団の部屋をたずねると、団長と副団長が笑顔で並んで迎えてくれた。


「北条、お前のことは応援団のみんなも一目置いている。どうだろう? 応援団に入らないか? 団長の俺の後ろで、副団長と二人、脇を固めてほしいんだ」

「自分からもお願いします。是非!」


 副団長も力を込めて頭を下げた。


「3年生最後の体育祭だ。練習はきついが、俺たちと思い出を作らないか?」

「それはとてもうれしいけど、俺みたいなやつが急に入ってもいいのか?」

「お前、絶対映えると思う。大歓迎だ」

「少し考えるところがあるから、返事は待ってほしい」

「わかった。やる気になったらゴールデンウィーク明けから練習に来い」




 あっという間に5月3日、ゴールデンウィークも後半に入ってしまった。


「今日、暑いなあ……」


 午後になると、気温は30度近かった。


「本当に暑いね。半袖を買っておいてよかった」


 ハソングンが泊まりに行った日、彼のTシャツや短パン、パジャマなど、最低限の物は揃えていた。葵は海斗にその上下を渡した。


「あなたの好みかどうかわからないけど……」


 ハソングンが着替えている間に、葵も2階で着替えてきた。リビングに入ると、ハソングンが振り向き、葵を見た瞬間、また向こうを向いてしまった。


「葵さん、少し、露出しすぎじゃない?」

「え?」


 葵は普通の女性用の半袖Tシャツと、膝丈のリラックスパンツを履いていた。450年前に育ったハソングンは女性の肌を見ることなど、母親ですらなかったため、免疫がない。

 Tシャツの袖からのぞく、細くて白い葵の腕。髪はポニーテールにし、きれいなラインを描く首筋は陶器のように肌がきれいで、襟ぐりからのぞいている鎖骨はくっきりと彫刻のようだった。そして、今まで洋服に隠れていた胸のラインは高い山を描いていた。


「俺、ちょっと出かけてくる……」


 ハソングンは自転車に乗って行ってしまった。


 外に出ると、半袖を着て薄着をしている人はたくさんいた。一方で、こんなに暑くなると思わなかったのか、長袖を着ている人も多かった。ハソングンはショッピングセンターに入り、吹き抜けに置かれたベンチに座って、通りかかる人を観察した。


 Tシャツなどみんな着ている。若い女の子ともなると、もっと短いスカートや短パンを履いているので、さらに足は露出していた。外国人ともなると、タンクトップを着ていて、豊満な胸の谷間まで見えていた。男の習性で、つい見てしまうが、葵に対する感情とは違っていた。


「こっちの人はこんなに露出するのが普通なのか」


 ハソングンは一人ベンチに座って考えていた。その時だ。


「あ、お前、この前のティッシュ少年!」


 男に指差された。その男は大輔だった。


「あ! あなたは……」

「お前、この前はよくも……」

「ごめんなさい! あの時は失礼しました! 俺、勘違いしていました! お兄さんが先生にちょっかい出していると思ってあんなことを……」

「先生って、お前、あ、いや、君は葵先輩の生徒か」

「はい」

「ははん。僕にヤキモチを焼いて邪魔をしようとしたのか」


 大輔がにやりと笑った。


「まあそんなところです」


 ハソングンもにやりと笑った。強気だ。


「残念ながら、何でもないわけじゃない」

「え?」

「僕はね、君とは年季が違うんだよ。高校生のころから、ずうっと先輩を思い続けているんだ。そして、ちゃんと絆もある。君に負ける気がしない」

「いやです。絶対譲りません」


 燃えるようなハソングンの目が力強く大輔を捕らえていた。


「おいおい、君、何を言ってるんだ? 君と先生がデートしただけでも大変なことになるぞ。相手は先生だぞ? 万が一、両想いになったとしよう。君のご両親が黙っているわけがない。例え、君の方が誘惑していたとしても、ご両親は教師が息子を誘惑したと言って彼女を訴えるだろう。彼女は30歳の教師、君は10代の高校生なんだよ。誰から見ても彼女が犯罪者に見えるよ。彼女に迷惑をかけることは絶対にやめてくれ。俺が許さない」


 ハソングンは言葉が出なかった。


(許されないことなのか? 両親はいないとして、誰から見ても葵さんが犯罪者に見えるなんて……ただ好きな人と一緒にいたいだけなのに)


「おい、わかったな。彼女に近づくなよ。苦しめるだけだから」

「あなたは……」


 ハソングンは次の言葉を発するのに、少しためらった。


「なんだい?」


 大輔は少し言い過ぎたかなと心配になってきた。


「あなたは先生を幸せにする自信があるんですか?」

「あるよ。この前だって、彼女は僕といて、とても楽しそうだった。昼食だけでなく、夕食も一緒にって言ったのは彼女の方だ。僕たちの間には遠慮がないから家族のようなものだし、僕は大手の製薬会社につとめているから、経済的にも苦労はさせない。結婚してから教師を続けることにも理解がある。心配するな。僕にまかせろ。彼女が困るようなことはしないほうがいいよ。君はかわいいJKとつきあえばいいじゃないか。」


 ハソングンは、あの日、ショッピングセンターで、和食店から出て大輔と話していた葵の自然な表情を思い出した。そして、大輔の「結婚」という言葉が胸に刺さった。修はハソングンには戸籍がないから結婚できないと言った。何をやってもすべて葵の責任になることを聞かされていた。愛し合うことが叶っても、葵が犯罪者にされてしまう……。


「御忠告、ありがとうございます」


 ハソングンの声は、「絶対譲りません」と断言した時と明らかに違っていた。


「僕の名は大輔だ。君は?」

「海斗です」

「海斗君か。これも何かの縁だ。これからは仲良くしよう。もう、いたずらをするなよ」

「はい。すみませんでした」


 ハソングンは丁寧にお辞儀をした。


「約束だよ」


 大輔は優しく笑っていた。ハソングンは大輔をまっすぐに見た。


「はい。大輔さんも先生を幸せにするって約束してください。両想いになれたらですが」

「何を言う! まかせろ。約束する!」


 二人は笑顔でこぶしをぶつけ合った。しかし、笑顔を作ったハソングンの心の中は嵐が吹き荒れていた。




 人のいないところへ行きたかった。ハソングンはショッピングセンターの屋上へ上がってみたが、そこには二人仲よく肩を並べてベンチに座って笑っているカップルや、小さな子供を遊ばせている仲睦まじい夫婦など、何組かの人がいた。その幸せそうな様子がハソングンの心に追い打ちをかけた。


 ぐるりと見渡すと、非常階段への出口があったので、そこから外に出てみると、誰もいなかった。普段、その階段を利用する人はいないようだ。ハソングンは階段に座り、そこから見える風景をしばらく眺めた。


 かつて自分が住んでいた都とは全く違って、近代的なビルや家が立ち並んでいた。ここは自分の場所ではないと思い知らされた。完全な敗北。

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