第38話 王と王妃の婚礼

 王宮では、つい先ほど王と王妃の婚礼を終えたばかりで、やっと静けさを取り戻そうとしていた。先の王妃亡き後、しばらく王妃の座は空席のまま時が過ぎていたが、大臣たちの勧めで、王は新しい王妃を迎えたのだ。宴が終わり、沢山いる側室たちはそれぞれの居室に戻った。


 葵も側室の1人で、王宮の一角にある養和堂ヤンファダンの自分の居室にいた。


貴人クィイン様、私は悔しくてなりません! 王様はあれほど寵愛してくださっているのに、何故貴人様を王妃になさらないのでしょう」


 尚宮サングンが苦々しく言葉を吐き出した。そんな尚宮をなだめるように、葵が口を開いた。


「仕方ないではないか。政治には色々な駆け引きが必要だ。まつりごとを安定させるため、しかるべき家から王妃を迎えねばならないのだ。それ以上言うでない」


 葵は、尚宮や女官たちに手伝ってもらいながら、王の側室として出席した婚礼の宴で着ていた、華やかな衣装を脱いだ。


(私は女官上がりの側室だ)


 女官から側室になった者は王の子を産んで初めて正式に後宮に迎え入れられるため、王宮での扱いが、王妃とは全く違っていた。王は他の誰よりも自分を寵愛してくれたが、王宮のしきたりが、正式な結婚の手順すら許さなかった。


 日が暮れて、女官がろうそくに灯をつけてくれた。女官が立ち上がり、チマ(朝鮮の民族衣装の巻きスカート)が翻ると、ろうそくの火が揺れて、燭台の蝶の形の装飾の影が、壁の上で揺れた。


 今日、これから王様は新しい王妃様と初夜を迎える。これまで王様の寵愛を独占してきたのに、自分と親子ほど歳が離れている若い王妃に勝てる気がしなかった。そのうち王子が生まれたら確実にその子が世継ぎとなる。それが王宮の決まりなのだから。そうなると、王様の気持ちが離れていくかもしれない。4人も王子を産んだのに、5人も王女を産んだのに。夜の闇の黒いヴェールが葵の心を一層闇の底に引きずり、縛り上げた。たまらなかった。


「あなたの正式な妻になりたかった」


 声には出さなかったが、心は叫んでいた。溢れる涙をおさえられなかった。



 目が覚めた。目を見開いても涙でうるんで色彩だけがぼんやりと映っていた。目をこすって見えてきたのは葵の部屋だった。


「前世の夢?」


 夢の中で、葵は貴人様と呼ばれ、王宮にいた。王様は現れなかったが、間違いなく海斗だ。


「私が『天然記念物』になったのはこのせいだったのかしら」


 葵は涙で濡れた頬を拭いながら顔を歪ませた。


 どうしても、愛する人とは、結婚式をあげてから結ばれたい。それは今でも曲げることができない。海斗もそれを理解してくれて、葵を大切にしてくれている。しかし、自分に叶えられなかった王妃の座、すなわち正式な妻になりたいという強い思いが、こんな形で現れているとは。


「ごめんね。海斗」


 その時、携帯が震えて画面が光り、SNSの着信を伝えた。


「海斗……」


 それは、今日の夕食を北条家で一緒にという誘いだった。葵は携帯の画面の上で指を動かした。



 その夜、葵はワンピースを着てピンク系の頬紅をさした。海斗と釣り合う女になりたかった。海斗は結婚しようと言ってくれたが、いざ結婚となると、海斗の両親が気持ちよく賛成してくれるとは思えない。13歳も年上なのだから。





「葵さん、いらっしゃい!」


 北条家では、父も母もいつも通り、こぼれるような笑顔で歓迎してくれた。


「今日は生春巻を作ってみたの! お口に合うかしら?」


 海斗の母は料理が上手だった。食卓を囲む時は、母の手料理を楽しみながら、よく前世の夢の話で盛り上がった。父も母も、今でもよく夢を見ているようだった。しかし、葵の今日の夢は悲しすぎて、話す気にはなれなかった。


「葵さん、海斗、今日は大事な話があるんだ」


 父が真面目な顔で話し始めた。最近は微笑んでいることが多いのに珍しい。


 まさか……。


 葵は気が重くなってきた。やはり、正妻には迎えてもらえない運命なのだろうか。


「母さんと2人で話し合った結果、同じ思いだった。それをお前たちにきちんと話しておかなくてはいけないと思ってね」


 父と母の真剣な表情が不安を煽った。


「何を勿体ぶってるんだよ」


 海斗は明らかに不機嫌になっていた。海斗も葵と同じことを考えているのだろう。父が海斗と葵の顔をゆっくりと順番に見て口を開いた。

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