第40話 ふたりの人生が始まる

 十二月のハワイは雨期に入っていたが、お天気に恵まれた。花嫁の控え室では、葵の支度はほぼ終わっていた。鏡の前に立ち、美容師にヴェールを整えてもらう様子を、葵の母が後ろから見守っていた。肩の開いたシンプルなウエディングドレスは葵の美しさを際立たせた。


 ドアをノックする音がした。葵の母が出てみると、海斗が立っていた。


「他の人に見られる前に葵さんを見たいから……」


 海斗が母にそう言っているのが葵の耳にも入ってきた。鏡を見ていた葵が振り返ると、ドアの前に、ただ黙って葵を見つめる海斗がいた。白いフロックコートを着た海斗は王子様のようだった。


 葵は美容師に会釈をし、海斗のそばまで歩いて行った。


「海斗、お口をどこかに忘れてきちゃった?」

「綺麗だ……。他の誰にも見せたくないよ。他の男にとられたら大変だ」


 海斗はそう言って葵の両方の手を取って、まっすぐに瞳を見つめて言った。


「今日から俺のものになるんだから、葵って呼んでいい?」

「ええ。そう呼んでほしい」

「北条葵になるんだね」

「カッコいいでしょ? 気に入ってる」

「ところで、大輔さんの苗字って何なの?」

「今、それ聞く?」

「ライバル心が消えないんだ。名前でも勝ちたい」

「それなら、絶対勝てるわ。福山大輔っていうの」

「へえ〜。福山さんか。俺と会えなくて大輔さんと結婚したら、福山葵になるんだったんだね」

「絶対に北条葵の方がいい。だって、漢字で書いてみて。山葵と書いてワサビって読むでしょう? だから……」

「福山葵だと、福ワサビって読めるね! 縁起が良さそうなワサビだね! 負けた! 悔しい!」

「もう、海斗!」


 葵は笑いながら、軽くバシバシ海斗をたたいていた。


「ごめん。葵。許して!」


 葵が一瞬動きを止めた。初めて「葵」と呼び捨てにされた。すぐに照れを隠すように笑いながらじゃれていると、そこに、海斗の母が入ってきた。


「まあ、あなたたち、楽しそうね。葵さん、なんて綺麗なのかしら! うちの嫁は本当に美しくて可愛いわ。あ、そうだ、海斗、ホテルの洗面所に忘れてた洗顔料だけど、新郎の控え室の着替えと一緒に入れてるから」

「ありがとう、母さん」

「ハワイに着いた時から二人で同じ部屋に泊まればいいのに、それぞれの親と泊まるなんて」

「そこは俺たちのこだわりだから。俺も、葵もゆずれないところなんだ」


「今時の若者にしては感心ですよ」


 そばにいた葵の母が嬉しそうに言った。


「あなたたちの部屋、チェックインしといたから。海斗、これ、カードキー。これで私達の役目も終わりね」


 母がカードキーを渡した。


「ありがとう」


 海斗の長い指が、白いカードキーを受け取った。


「そろそろお時間です」


 日本語のできるスタッフが呼びに来た。


「それじゃあ、葵、先に行くね」


 式は海の見えるガーデンで行われる。大自然に囲まれた挙式の後、食事の頃には夕焼けがとても美しいのでここを選んだ。葵がスタッフに案内され、外に出ると、日本で見る以上に空は青く、雲は白かった。

 

 式場となる芝生の上には趣のある木の椅子が並べられ、家族や招待客が座っていた。前方には白い花と布で飾られた木製のガゼボが設えてあり、その向こうには真っ青な海が広がっていた。ヴァージンロードには白い花びらが敷き詰められている。

 

 父が待っていた。葵が父の腕にそっと手をかけると、弦楽の生演奏が始まった。向かう先には……ヴァージンロードの先には愛する海斗が立っている。


 ハワイの風が葵の白いヴェールをふわりとなびかせた。葵は、空も海も太陽も風も、木も草も花も、時間も空間も、地球上のすべてに向かって叫びたい気分だった。


 ありがとう!




 終わり

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王様にミルクティーを 楠瀬スミレ @sumire_130

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