第32話 体育祭

 5月最後の土曜日、朔陽高校の体育祭は青い空の下で行われた。


 各競技には、学年の代表が出場し、学年対抗で行われる。三つの得点板の色は、3年生は白、2年生は赤、1年生は青、それぞれの学年の帽子や鉢巻と同じ色だ。


 吹奏楽部の生演奏の行進曲で入場し、開会式が行われた。応援団は学年の先頭を歩いている。丈の長い白い学ランを着て、白い手袋と、足まで垂れる長い鉢巻をしたハソングンの姿があった。

 国旗掲揚や君が代などを知らないハソングンだったが、練習の時からうまく合わせていたようだ。彼の素直さと、対応する能力はいつもさすがと思わせるものがあった。


 開会式が終わり、ハソングンと修は学年のテントに向かっていた。修が葵を見つけて駆け寄った。


「葵先生!」

「あ、修君」

「先生、頑張るから見ててね!」

「頑張って! 楽しみにしてる。修君、騎馬戦は海斗と一緒のチームね」


 ハソングンが追いついた。その姿を見て葵の鼓動が跳ねた。学ランのハソングンを近くで見るのは初めてだった。今日は一日この姿で競技にも出ると言っていた。


(かっこよすぎる……どうしよう)


 目が合わせられない。そんな葵とは逆に、ハソングンはいつも通りだった。


「先生! 修は俺の馬だよ」

「海斗!」


 じゃれあうハソングンと修は幼い少年のようだった。


「じゃあ、先生、俺たち席に行くね!」


 ハソングンはそう言って修と歩き始めたかと思うとふり返ってもどり、葵の耳元でささやいた。


「葵さん、暑いから無理しないで」


 学校で葵さんと言われてしまった……葵は胸から全身にしみわたる甘い痛みを感じた。ドキドキする。これ以上耐えられない。絶対顔に出ている。葵は反対側に歩き出してしまった。


「おい、海斗、何言ったの? 先生怒らせた?」

「うーん、ちょっといけないことを言ってしまったかも」


 ハソングンは微笑んで歩き出した。


「ところで、敬老席のテントにバッチャンがいたね」

「ああ、バッチャンはこういう行事にはかかさず来るんだ。こうやってシャンってすわってたろう?」


 修が背筋を伸ばし、すました顔で扇子を仰ぐバッチャンの真似をした。


「ハハハ、似てる! 暑いけど大丈夫かな?」

「普段から畑で野菜作ってるから、意外に外は平気らしいよ。年の割には、だけど」



 各競技が次々に行われた。見ごたえがあるものばかりで飽きなかった。午前中最後の競技はクラブ対抗リレーで、東アジア歴史研究会も打ち合わせ通り用意してのぞんだ。


 運動部のリレーは真剣勝負だったが、続いての文化部はエンタテイメント色が濃くて、観客に大うけだった。料理部はエプロン姿でお玉を持って、科学部は白衣を着て走った。吹奏楽部はマーチングをしながら走る(ほとんど歩いている)のでなかなか前に進まない。このリレーは決められた距離をクリアすれば、人数は何人でもよかったので、東アジア歴史研究会は、王の修と王妃の彩が並んで歩き、チマチョゴリを着た真凛と、おつきの使用人役の颯太がついて行った。修はハソングンが過去の世界から着てきた本物の龍袍を着ていたので、ひときわ豪華だった。


 リレー終了後は、葵とハソングンも呼ばれ、みんなで集合写真を撮った。これが、ハソングンが映る最初の写真だ。


 生徒たちが何やら盛り上がっている。


「王様、王妃様、こちらへどうぞ」


 真凛が修と彩を無理やりくっつけて、写真を撮った。二人ともぎこちなさが初々しかった。お返しに彩が颯太と真凛をくっつけた。


「颯太っちと真凛は身分違いの恋ね」


 真凛と颯太は大喜びで腕を組んで、それぞれ親指と人差し指で小さなハートを作って、笑顔で写った。


 朝鮮王朝時代は、身分制度の厳しい時代である。女性の方の身分が男性より高いことはありえないので、修が颯太を指差し、うやうやしく言った。


「王命(王の命令)である。その者を捕まえて牢に入れよ」

「どうか、お考え直しくださいませ、王様~」


 韓流時代劇でよく耳にするセリフ。葵が笑っていると、修が葵の腕を引っ張った。


「あとは、先生と海斗しか残っていないから、二人で写って」


 ハソングンも彩に引っ張られてきた。


「先生、あのポーズしよう」


 ハソングンが手でハートの半分を作って見せた。


「え? 恥ずかしい!」


 ハソングンが耳元でささやいた。


「大丈夫だよ。ここはノリで」


 以前ハソングンに現代を知るために見せた学園ドラマの中で、主人公たちが手でハートを作って写真を撮っていたのだ。ハソングンが片手でハートを半分作ったので、葵も反対側のハートを作って、合体させた。ドキドキがみんなに伝わってしまわないか心配だったが葵は必死で平静を装って、笑顔を作った。




 競技と競技の間に、何度か応援団の演武がはさまれた。そのなかでも、午後最初の応援合戦には特に力が入れられていた。1年生の青団から順に、応援団の演武とチアリーダーのダンスが披露された。最後に行われたのが、あの団長率いる3年生、白団だった。


 演武が始まった。大きな白い旗が後方で翻っている。団員全員、足もとまで垂れるような長い鉢巻をしめ、白い学ランを着ていた。団長は丈の長い白い羽織に袴、副団長とハソングンは丈の長い白い学ランだ。


「かっこいい……」


 葵は「シビレる」という言葉はこういう時に使うものだと思った。演武がはじまると、いきなり涙があふれ出した。


 シンとしたグランドに太鼓の音が響き渡る。身長の倍もありそうな大きな団旗が翻る。団長を中心に、全身全霊で声を出し、一糸乱れぬ演武に息をのんだ。葵はハソングンの真剣な表情を目に焼き付けようと、瞬きもせずに見た。圧巻。男ってかっこいい。葵は心からそう思った。


 続いて、愛梨が率いるかわいい衣装に身を包んだチアの華やかなダンスは最高の盛り上がりを見せ、観客を巻き込み、グランドは大いに沸いた。白団の応援終了後、会場はスタンディングオベーションで、しばらく拍手が鳴りやまなかった。


 全学年の応援合戦終了後、得点は観客の拍手で決められた。結果、3年の白団の圧勝で、白組の得点を大いに伸ばした。


 応援合戦を終えた応援団は、みんな興奮して、頬を紅潮させていた。入場門を出て一息ついた時、ハソングンの耳に野太い声が聞こえてきた。


「愛梨!」


 愛梨に声をかけたのは団長だった。見たことのない真剣な顔だった。少し深呼吸をして、口を開いた。はっきりとした声だった。


「今日はちゃんとけじめをつけたい。お前が海斗のことが好きなのはわかってる。でも、ちゃんと気持ちを伝えたい! 俺はお前が好きだ……俺と付き合ってください!」


 そう言って団長は力強く、そして深く頭を下げ右手を差し出した。応援団のみんなが見ていた。団長が愛梨を好きなのはみんなわかっていた。二人はずっと仲が良かったので、付き合っているようにも見えた。しかし、はっきりと告白しないまま、3年生になっていたのだ。団員は団長を信頼し、慕っていたので、みんなが祈るような気持ちで見守っていた。


 愛梨ははずかしそうに彼を見ていたが、一歩前に出て右手を差し出した。


「やっと……だね。待ってた」


 ぱっと頭を上げた団長の顔はクシャクシャになっていた。愛梨は団長が出していた手を握った。どっと拍手が起こり、団員たちが口々におめでとうと言った。愛梨は団長の胸をドンと手のひらで押して言った。


「ばか。少しはヤキモチ焼いてくれたのね。海斗を好きなのは、春奈よ」



 体育祭最後の競技、騎馬戦が始まった。葵はハソングンの姿を目で追った。思った通り、長髪に鉢巻を巻いたハソングンはサムライのように凛々しかった。


 ピストルの音とともに、一斉に声をあげて、騎馬が動き出した。ハソングンは手足が長く、背も高いので、なかなか鉢巻をつかまれることはなかった。ついに、最後まで残り、みんなの歓声を浴びた。この競技も3年の勝利だった。


 すべての競技が終わり、結果は3年生白組の優勝。みんなで歓声をあげ、ハイタッチをして喜び合った。3年生が一丸となり、練習を重ねた成果だった。


 達成感、充実感、仲間との信頼関係……。それはハソングンが過去の世界では感じたことのない感覚だった。仲間と喜びを分かち合い、その余韻はいつまでも続いた。



 教室で荷物をまとめた修が、ハソングンに龍袍(王の服)の入った紙袋を渡した。


「これ、ありがとう。本物の王様の服を着たのが領議政にバレたら、僕は罰を受けそうだな」


 二人は笑った。


「体育祭、無事終わったな」

「本当に行ってしまうのか?」

「ああ。修、お前には本当に世話になった。今までありがとう。もし俺がいなくなったら、先生と北条海斗をよろしく頼むよ」

「後はまかせろ。計画通り進めるから。お前は本当にすごいやつだったよ。心から尊敬するよ。ありがとう」


 二人は肩を抱きあった。

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