第31話 北条海斗

 ハソングンは修の家の前にいた。自転車を置き、呼び鈴を荒々しく何度も鳴らし、叫んだ。


「おい、修! いるか?」


 修が慌てて出てきた。


「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「お前、知ってて黙ってたな?!」

「何のことだ?」


 修は、いつもおだやかなハソングンの、見たことのない勢いに押されていた。


「北条海斗が、俺とそっくりだってことだ!」

「なんでわかったんだ?」

「さっき、北条海斗の父親に会ったんだよ!」


 修がハッとした。


「まあ、ここじゃなんだから、中に入れ」


 ハソングンを家の中に招き入れた。バッチャンが驚いて出てきたが、修が目で合図しただけで感じ取り、奥へ戻って行った。修の部屋で、ハソングンはついさっき起こったことを話した。


「すげえな! これを因縁というのかな? 海斗はお前の生まれ変わりかもしれない! 領議政が父親で、王が息子に生まれ変わったってことか……?」


 修は話をさらに詳しく聞いて、驚くと言うより、喜んでいるようだった。そんな修を見ながらも、ハソングンは焦りを感じた。


「本物の海斗がどうなるか心配だ。すぐになんとかしてくれ!」

「大丈夫だ。心配ない。むしろ、これをきっかけに、いい方向に行きそうな気がするよ」

「なんでそんなに平然としていられる?」

「僕はカイちゃんをよく知っているからだ。カイちゃんとおじさんの関係はものすごくこじれていて、もう長いこと話すらできなかったんだよ。それを、お前が話せるきっかけを作ったわけだ。でかした。よくぞ、勘違いしてくれた」


 修はうれしそうにハソングンの肩に手を置いた。


「笑いごとか? こっちは心臓がつぶれそうだったよ」

「いい展開になるかもしれない。本人たちにまかせよう。一応メールはしておく」

「電話じゃないのか?」

「カイちゃんは夜中の12時ごろまでどうやったって起きないから。昼間は起きていられなくて、ずっと昼夜逆転の生活をしているんだ。この時間は寝てる」

「不登校の生徒の多くがそうなるって言ってたな」

「うん。そうだけど、カイちゃんは異常なくらい寝てるっておばさんが言ってた」

「異常なくらい寝てるの?」

「そう。起きてる時間が夜中だけでしかも短いんだって。だから病院すら行けないって。どれだけ熟睡してんのかな……? ……そういえば、カイちゃん、前に妙にリアルな夢を見たって言ってた」

「どんな夢か聞いたのか?」

「うん。聞いたのは、4月にカイちゃんの名前をハソングンに貸してくれって頼みに行った日なんだけど、雨の中ずぶぬれになって何かから逃げている夢を見たって言ってた。いつの時代なのかよくわからないけど、女の人と一緒で、その人を好きという気持ちはリアルなのに、顔がわからないって言ってた。あの頃からあいつが昼間寝てるせいでメールでしか話せないから、込み入った話はできない。でも、そんなに寝てるんなら、あれからまた何か見てるかもな。」


 ハソングンが目を見開いた。


「それって、葵先生が不安なときに見る夢と同じだ! ずぶぬれで逃げてるって言ってた!」

「そうなのか?! これは面白くなってきたぞ! 生まれかわる前の葵先生は、お前の時代にいるかもしれない! カイちゃんと葵先生は前世の共通の記憶であるこの夢を見ているんじゃないかな? おそらく、この夢はお前の未来だ」

「俺の時代に葵先生が? 俺、逃げないといけない苦境に立たされるのか?」

「お前は大丈夫だよ。ちゃんと助かって長生きするから。それより、カイちゃんはお前の生まれかわりで、お前とお前の時代にいた先生は、きっと結ばれてたんだよ! お前はやっぱり、いるべき場所に帰らなければいけないってことだ」

「そんな……」


 ハソングンはしばらく言葉が出せなかった。


「修、どうして北条海斗と俺の顔がそっくりだって知ってるのに、言わなかったんだ?」

「最初はただ雰囲気が似てると思ったから、バレた時都合がいいくらいに思ってた。そもそも、カイちゃんの前髪が長すぎて、あんまり顔が見えなかったからな。その後電話した時、声が似てるから、もしかして生まれ変わりじゃないかと思い始めたんだ。でも、自然に任せたいと思った。ドラマ風に言えば、天の意志に任せたいって思ったんだよ」

「そうすることで、結果的に、いい方に向ってるということか」

「そうだな」

「北条海斗は、この先学校に行けるようになるのかなあ? 俺には他人ごとじゃなくなった」

「そうだな。病的なくらい昼間は寝てるからなあ。おばさんが起こしても絶対起きないって言ってた」

「あ! もしかして!」

「もしかして?」

「俺が活動してる間、寝てるんじゃないか?」

「そういえば、カイちゃん、もともと昼夜は逆転に近かったけど、病的に眠りだしたのはお前が学校に行き始めたころだ!」

「そうか。それなら俺が向こうへ帰ればすべて丸く収まるかもしれないということか?」

「その可能性は否定できないな。でも、お前がいなくなるのは淋しいよ」

「本物の海斗がいるだろ? このままここに俺がいても、役に立たないお荷物になるだけだ。やっぱり体育祭が終わったら向こうに帰る」

「わかった」


 修はもっと話したそうだったが、ハソングンは葵が心配するからと言って急いで帰って行った。





 北条家の大画面のテレビにはスポーツニュースが映っていた。


「お父さん、海斗が起きたみたいですよ。2階で音がしていますから」

「わかった。行ってみるよ」


 北条海斗の父は2階に上がり、部屋のドアをノックした。


「海斗、話がしたい。入れてくれないか」


 中からは反応がなかった。何度か声をかけたが、物音すらしなかった。父は、夕方聞いた学校での海斗ことハソングンの言葉を思い出した。


『父さんが謝るところから始めてくれ!』


 ここは、海斗の言うとおりにしてみよう。父は覚悟を決めた。徹底的に謝ろうと。


「すまない。海斗、父さんに謝らせてくれ」


 すると、部屋の中からカタンという音が聞こえ、少しして、ドアが3センチほど開かれた。前髪に覆われた海斗の目がのぞいた。


「あけてくれてありがとう。海斗、中に入っていいか?」


 海斗がドアを開けたまま黙って部屋に入ったので、父も部屋に入った。


「海斗、すまなかった。今日、学校でお前の本音を聞けて、本当に良かったと思っている。私はお前に厳しすぎた。いや、お前に自分の理想を押し付けすぎたと言う方が正しいかもしれない。それを、ちゃんとお前の顔を見て謝りたかった。本当にすまない」


 父は海斗に向き合い、深く頭を下げた。海斗は戸惑い、黙って見ていたが、しばらくして口を開いた。


「東京で学校に行けなくなった頃、本当は俺、学校に行きたかったんだ。でもなぜか行けなくなった。どうしても、朝になったら本当に頭痛がして、立てないくらいだったんだ。薬を飲んでも治らなかった。俺、どうなるんだろうって不安で不安で。なのにあんたは俺を叱ったよな? さぼるんじゃないって。俺を信じてくれなかった。あの時の俺の気持ち、わかるか?」

「本当にすまなかった。許してくれ」

「せっかく頭痛が治ったのに、東京の学校から隠すようにこっちへ転校させただろ? 俺、そんなに恥ずかしい息子なのかなって辛かった。もう少し頑張ってあっちで卒業したかったよ」

「すまなかった。申し訳ない。父さんが間違っていた。しかし、転校させたのは隠すためではない。どちらにしろ、ある計画があって、こっちに家を建てることにしていたからだ。それに、東京では留年確定だが、今の学校なら、出席日数が少なくても、救ってくれる制度があるし、先生方も素晴らしい方ばかりだ。お前にいい環境で過ごしてほしかったんだ。だが、すまない。もっとちゃんとお前の話を聞いてやるべきだった」

「本当にそう思ってくれるのか? 俺は俺だ。父さんのコピーじゃない」

「お前の言うとおりだ」

「俺、東大なんか行かない。医者にもならない。好きなことをさせてほしい」

「そうだな。お前のやりたいことをやりたいようにして生きたらいい」

「その言葉、忘れないでくれよ」

「忘れないよ。生きる希望を失って、死人のようになったお前を見ることがどれだけ辛かったか。母さんもそうだ。お前の笑っている顔が見たいんだ」

「外に出るにはまだ時間がかかりそうだけど……これからはもっと楽に生きられそうだ」



 夜が明けるころ、北条海斗は修にメールを打った。

『午前0時ごろ、電話していいか?』

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