第31話 2人の新しい一歩 

 翌日は振替休日だった。海斗と葵の絆が深まっていくにつれ、連休は終わりに近づいていった。連休最後の夜はいつものソファでいつものようにくつろいでいた。


 ハソングンが葵からマグカップを受け取り、口をつけた。


「葵さんが淹れてくれるミルクティは最高だな」

「その顔、大好き。私まで幸せになる。その顔が見られるなら、いくらでも淹れてあげるわ」

「だって、本当に幸せな気分になれるから」

「ああ~、でも、明日から学校だわ。現実の世界にもどっちゃう」

「現実の世界か。葵さん、俺が俺の現実の世界に戻るとき、葵さんを連れて行く方法ってないのかなあ」

「ハソングンの現実の世界? 過去に一緒に行く方法っていうこと? じゃあ、過去に帰ったら、私を側室にしてくれる? 王妃はもういるもんね」


 ハソングンが姿勢を正して葵の方に向き直った。


「どんな手を使ってでも側室にする! 手をつないでいたら一緒に帰れないかな?」

「側室か……。複雑ね。私、嫉妬で狂っちゃいそう」

「3人のうちの一人なんて嫌だよね、やっぱり」


 ハソングンの背中がしゅんと丸くなった。


「(本当は11人になるんだけど……)私だけを愛して欲しいというのが本音。でも、ここで独りぼっちになるよりいいかな?」

「本気で考えようか? ずうっと手をつないでいよう! いつ向こうへ帰っても安心だ」


 ハソングンが葵の手を握った。葵の顔が熱くなってきた。


「学校にいる時はどうするの?」

「王命(王の命令)である。本日より休校にせよ……って言えたらいいんだけど」


 二人はお互いを小突きながら笑った。別れの日のことを考えたくはなかったが、こうして笑いにすることで救われるような気がした。


 ハソングンは葵の肩に手を回し、自分にもたれさせた。こうすると、葵はハソングンにすっぽりと抱きこまれ、歳の差など忘れてしまう。


「ねえ、葵さん」

「なあに?」

「俺、応援団に誘われてるんだけど……」

「本当? 見たい! かっこいいだろうなあ」

「断ろうかと思ってた。見たいの?」

「うん。見たい。だって、応援団は花形よ。毎年すごくかっこいいの」

「でも、練習で葵さんと一緒にいる時間が減りそうだ」

「あなたはやりたいんでしょう?」

「うん。やってみたいなと思ってた。葵さんが見たいっていうならなおさらだ」

「じゃあ、悔いを残しちゃあだめ。せっかく学校へ行ってるんだから。思い出はたくさん作らなくちゃ」

「それじゃあ、挑戦してみようかな。葵さんにかっこいいとこ見せたい」



 翌日から、またいつも通りの学校生活がはじまった。ハソングンは放課後、応援団の部屋に行った。


「団長、俺を応援団の仲間にしてくれ」


 彼は深く頭を下げた。


「海斗! そうか、こっちは大歓迎だよ!」


 団長も副団長も大いに喜び、ハソングンと手を握り合い喜んだ。他のメンバーも歓迎してくれた。こうしてハソングンは応援団に加わった。その日から毎日ハードな練習が始まった。

 練習が終わって帰ると、夕食は葵と二人で作り、その時間は二人のかけがえのない時間になった。朝は早くから朝ごはんを作って、朝練のために葵より先に登校してしまうという毎日だった。



 *



 休憩時間、しゅうがハソングンに話しかけてきた。


「おい、海斗、キスくらいはした?」

「やってない。結婚前の女人にょにんには手を出さない」

「へえ~、見直したよ。もうとっくに手を出したかと……」


 ハソングンは周りを見回して、修に耳打ちした。


「先生に失礼だよ」

「ごめん。男の戦いだな」

「そう。拷問ともいうが」

「おまえ、 昔気質だなあ。いや、昔の人間か。ところで、今日は金曜日だけど、どうする? 応援団は休めないだろう?」

「それなんだけど、王様役は、修がやってくれないか?」

「どう考えてもお前が適任だろう」

「いや、お前が適任だ。みんなも賛成してくれると思う。彩とツーショット写真撮れ」

「どういう意味だ?」

「いい加減、気がつけ。葵先生はあきらめて、彩に優しくしてやれよ」


 ハトが豆鉄砲を食らったような顔というのは、この時の修の顔をいうのかもしれない。こうしてハソングンは応援団に集中することとなった。



 東アジア歴史研究会では、手分けして、庶民の衣装を作っていた。こんな時、男子は役に立たないものだが、颯太が「庶民らしく、いい感じに汚す方法を考える」と言って外に出て行ったきり、戻ってこなかった。


「真凛、探してくる! 心当たりがあるから。シュー、これ頼む。バッチャンの血をひいてるから、真凛より縫物はうまいはず」


 真凛は縫っていた衣装を修におしつけて、外に出た。グランドに出ると、颯太はすぐに見つかった。彼はなぜか鉄棒にぶら下がっていた。真凛はそれまでに何度も彼が鉄棒に長時間ぶら下がっている姿を目撃していた。


「颯太っち~! 何してるの~?!」

「あ、真凛先輩!」


 真凛が走って近づくと颯太が鉄棒を離し、着地した。


「体操部に移籍する気?」

「違います! それは絶対にありません!」

「毎日努力してるの、知ってるよ」

「それは……」

「真凛たちを裏切る気じゃないでしょうね」


 真凛はいたずらっぽく颯太の顔をのぞきこんだ。颯太の顔が赤くなっていた。


「違います! 僕、背が高くなりたくて……」

「颯太っちはそのまんまで十分可愛いよ」

「いやなんです! 可愛いのは! 僕は真凛先輩より背が高くなって、先輩を守れる男になりたいんです!」




「おかしいな。真凛まで帰ってこないぞ」


 修は真凛の期待通り、上手に縫物をしながら心配していた。


「何かあったかな?」


 彩が窓を開けて外を見まわすと、グランドの端っこの階段に真凛と颯太が二人仲よく並んで座っているのが見えた。


「わかった。あれ」


 彩の指差す先には、どう見てもいちゃいちゃしている二人の姿があった。


「ま、いいか。どうせ、俺が縫ってるし」

「しょうがないね。こんな時くらいそっとしておこう」


 彩も笑っていた。





 応援団の練習は土曜日も行われた。


「行ってらっしゃい」


 葵は玄関まで出てハソングンを見送った。「はやく帰って来てね」と言いたかったけどハソングンには思う存分やりたいことをやってほしかったので、言わなかった。今日も長い一日になりそうだ。



 葵は美術館に行くことにした。そこには江戸時代の大名家に伝わった絵巻、鎧兜、刀剣、婚礼調度品などが展示されており、葵にとってはどんなに長時間見ても飽きないものだった。じっくり解説を読んでいると、あっという間に時間が過ぎて行った。一人の時間。歴史に向き合うぜいたくな時間……。たった1か月ほど前までは普通だったことが、とても久しぶりに感じた。


 ハソングンが修の家に泊まった日と違って、ひとりでも淋しさはあまり感じなかったが、感動したり、面白いものを見つけるたびに、ハソングンに話したいと思った。


 彼は携帯は必要ないと言ったが、こんな時、メールを送りたくなってしまう。そういえば、1枚も彼の写真を撮っていなかった。過去から来た人を写していいものかと思ってあきらめていた。ツーショットで写したい。今日は帰って写真を撮ろうかな? 体育祭の日がいいかな? とあれこれ考えながら歩いた。


 美術館を出て駅を歩いていると、黒い大きなキャリーバッグを引いている、ひときわ背の高い男性がこっちに向かって歩いてきた。スーツにネクタイ姿。着なれた感じで、足が長い。


とおる先輩……」


 葵を見つけた彼は、人の流れをうまくよけながら、葵の方にまっすぐに歩いてきた。葵はそのまま立ち止まってしまった。


「葵ちゃん、やっと会えた」


 亨との会話は6年前のメールが最後だった。32歳になった彼は渋みと優しさが加わり、幸せだという事が見た感じでわかった。


「先輩、お久しぶりです」


 まだ少しだけ亨に対する冷えた感情が残っていた。


「この6年間、ずっと気になっていたんだ。君に謝りたかった。本当にすまなかった。申し訳ない。許してくれというのも厚かましい気がするが、許してほしい」


 彼は深く頭を下げた。6年、と、すぐに数字が出たことに、葵は驚いた。


「先輩、やめてください。私も、メールだけで大人げなかったかなって思ってます」


 亨は顔を上げて葵を見た。


「少し、話しができないかな? シンプルに先輩、後輩として」

「はい。少しなら」


 二人はカフェに入った。

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