第2話 両親に挨拶

 3日後、我は誕生した。

 少々厄介ごとは起きたが、無事出産されたらしい。

 我が気付いた時には、ころりと母親の腹の中から出ていた。


 助産師が臍の緒を切り、我はようやく外の空気を吸うことができた。

 何か喋ろうとして出てきたのは「おぎゃああああ!」という産声だ。


 ふむ。まだ声帯の調子が悪いな……。

 五感の感覚も鈍い。

 特に視覚が全く機能していないようだ。


 我は回復魔術を使う。

 歯が伸び、舌に力が宿る。

 産湯に浸かっている間、五感の機能をすべて回復させた。


「さあ、奥方様」


 身体を洗われ、我は側付きから母親に手渡される。


 緩やかに長い黒髪。

 白砂のような白い肌。

 大きな乳房には包容力があり、我に向けられた瞳に慈悲の光が宿っている。

 唇は薄く、優しげな笑みを湛えていた。


 こうやってマジマジと顔を見るのは、初めてだが、なかなか美しい母親だ。

 この者の心を射止めたものは、なかなかの器量の持ち主であろう。


「マリル様、名前はすでにお決めになっていらっしゃるのですか?」


 尋ねたのは助産師だ。

 お湯で手を洗い、布で拭いながら我の方を向いた。


 マリルというのは、母親の名前か。


「それはターザム様がお決めになることよ」


 マリルは我をあやしつつ、口を開く。

 おそらく我の父親の名前であろう。


「どんな名前をお決めになるのでしょうね。ああ。こんな時に、旦那様は――」

「仕方ないわ。黒竜に狙われた領地の再建に奔走されているのですから。それでも生まれたと聞いたら、すっ飛んでくるでしょうね。この子のことを楽しみにされていましたから。強い子に育つと」

「あの夜のことは、今でも信じられません。本当にこの子が守ってくれたのでしょうか?」



「その通りだ」



 ――――ッ!


 部屋の中が一瞬静寂に包まれる。

 助産師、側付き、そしてマリルが周囲を見渡した。


 うん。なんだ、その反応は。

 ようやく声帯が整ってきたので、声を出してみたが、変だったか。

 一応、昔の言葉よりも若干イントネーションが違っていたので、それに合わせてみたが、それでもおかしかったのだろうか。


「え? 今のって?」

「私じゃないですよ」


 側付きは「ないない」と手を振る。


「じゃあ……」


 3人の視線はようやく我に注がれた。



「初めまして、母上殿」



「しゃ!」

「しゃ!!」



「しゃべったあああああああああああ!!!!」



 3人は絶叫する。

 マリルなどは驚きすぎて、我を取り落としそうになったほどだ。

 危ないぞ、気を付けよ。


「信じられない。生まれたばかりの赤子が」


 助産師は口をあんぐりと開けて驚いていた。

 側付きも腰を抜かし、固まっている。


「本当にあなたが喋っているの? ――って、自分の子どもに『あなた』というのはおかしい気がするけど」

「ならば、ルブルヴィムと呼ぶがよい」

「ルブル――――えっと? ルブルちゃん?」


 ルブルヴィムだ。

 最後までしっかり覚えてくれ、母上殿。

 マリルは若干天然というヤツだろうか。


「そなたがそう呼びやすいのならそれでよかろう」


 しかし、気になるのはルブルヴィムという名前を聞いて、マリルも他の者も過剰に反応せぬところだ。

 自分で言うのは少々照れくさいが、これでも我はかつて大魔王と恐れられた、魔族の王である。

 昔は名前を聞いただけで、心臓を止めたものすらいたというのに……。


 この者たちが無知なだけか。

 それとも我の名前が風化するほど、年月が過ぎたのか。

 後で調べることにしよう。

 今は、この緊張した空気を緩める方が先決であろうな。


「ん?」


 ふと我の視界に飛び込んできたのは、部屋の中にあった姿見だ。

 おそらくここがマリルの寝室なのだろう。

 魔王城よりは遥かに簡素だが、建物自体の作りはしっかりしているようだ。

 安物ばかりだが、調度品の趣味も悪くない。


 だが、我が注目したのは、姿見に映った自分の姿だった。


「な、なんと脆弱な!!」


 人間の赤子を見るのは、初めてというわけではないが……。

 こうして見ると実に弱っちく見える。

 これではスライムにすら遅れを取ってしまうぞ。


 この大魔王ルブルヴィムの魂が宿る肉体うつわとしては、あまりに惰弱……。


 仕方あるまい。

 この状態からも回復せねばヽヽヽヽヽなるまいヽヽヽヽ


 我はまた回復魔術をかける。


「きゃ!」


 黄金色に輝く我が子を見て、部屋にいる3人の人間は驚く。

 あまりに埒外の出来事に、ついに助産師は卒倒してしまったようだ。


 それでも構わず、我は回復魔術をかける。

 マリルの手の中で我は、ムクムクと大きくなっていった。

 楓のような手は一回りも二回りも成長し、その指先は一流の彫刻師に掘らせたように繊細に伸びていく。

 小さな短足あんよは綺麗に伸びていき、扇情的なラインが浮かんでいった。

 ないに等しかった毛髪は、銀砂のように美しく輝く。


「る、ルブルちゃん……?」


「な、なんてこと……。さっきまでこんなに小さな赤子だったのに」



「「一気に成長してしまった!!」」



 マリルと側付きは声を揃う。

 その声で助産師が目を覚ましたが、我の姿を見て、また意識を失った。


 だが、驚いていたのは我も同じだ。


「な、なんだ、これは!?」


 マリルの手から降りて、姿見で再度確認した我は驚く。

 正確に言うならば、我の胸についた余計な脂肪についてだ。


「これではまるでサキュバスのようではないか!」


 我は怒りの余り鷲掴む。

 その瞬間、電撃が走った。

 思わず淫靡な気持ちになり、顔がキュッと熱くなる。


 な、なんだ……。なんなのだ、今の気持ちは……。


 なんと形容すべきであろうか。

 くすぐったいというのが先に来る。

 だが、それは建前であって、心の奥底にある本音ではない。


 ちょ、ちょっと気持ちが良かった……。


 いやいや、落ち着け。

 我はかつて大魔王ルブルヴィムと恐れられた存在ぞ。

 魔族の王。

 すべての術理を修め、そして今も回復魔術を探求するために、こうして人間に転生したのではないか。


 こんな刹那的な快楽に溺れているわけにはいかぬ。


「これはおそらく病気なのだ。こんなもの! 我の回復魔術で回復させてくれる!!」


 我は回復魔術を自分の胸に当てる。

 だが、肉はなかなか引っ込むことはなかった。

 いやむしろ大きくなっているような気がする。

 違う。気がするのではない。


 確実に大きくなっているのだ。


 一体何が起こっている。

 我は状態を確認するために鑑定魔術を使う。

 出てきたのは、Cという謎の言葉であった。


 CがDになり、DがEになる。

 ついにはG――――。


「や、やめぇ! やめるのだ!」


 おかしい。

 何故大きくなる。

 人間になり、回復魔術を極めることができたのではないのか?


「マリル! 生まれたのか!!」

「た、ターザム様!」

「むっ? なんだその娘は??」


 バンッと扉を蹴って現れたのは、髭を生やした貴族風の男だ。

 胸板は熱く、偉そうな髭を生やし、やたらと暑苦しい顔をしている。

 マントを翻し、大股で我の方に歩いてきた。

 羨ましい身長だ。

 まあ、転生前の我よりは低いがな。


「ターザム様、その子は……」


 マリルが声をかけると、ターザムはシュッと手を掲げて静止した。

 なかなか規律に則した動きだ。

 元は軍人なのだろう。

 着ている服も皺1つ、折り目1つもない。

 すべてぴっしりと整っている。


 暑苦しい顔とは、だいぶ対照的だ。


「マリルよ。皆まで言わなくていい。この子が俺の子であることはすぐにわかった」

「ホントですか? でも、その子……いきなり大きくなって」

「俺の子どもだ。そういうこともあろう」

「え……。えええええ~~~~……」


 声を上げたのは、側付きだ。

 横でマリルがカラカラと笑っている。


 ほう。どうやら我が父上は、なかなか大器をお持ちのようだ。


「お主がターザム。我が父上か」

「なっとらん!」

「へっ……?」

「口の利き方がなっておらん。ターザムではなく、父上だろ。そして父上様だ!」

「いや…………その…………」


 我はその時、本気で戸惑っていた。

 まさか転生早々怒られるとは思ってもみなかったからだ。

 いや、かつて大魔王である我を叱るものなど、そもそも存在しない。


「それになんだ、その恰好は! 年頃の娘が人前で裸をさらすでない!!」


 え? えええええええええ…………。


 突っ込むところ、そこなのか?

 もっと言うところがあるはずだが……。

 やばい。我の方の理解が追いついていない。


「いいか、我が娘よ。そなたにはみっちり礼儀作法を覚えてもらう。こうして生まれてすぐに、貴族としての振る舞いを教えられることは、実に幸せだ。その小賢しい口の利き方が直してやるから覚悟せよ!!」


 こうして我と地獄の教官となった父ターザムの日々は、始まったのであった。


~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


本日はここまでです。

次回は一気に5年後、ターザムによってお嬢さまに育て上げられたルヴルが、

聖女学校の試験を受けるところからになります。

あらかじめ言っておくと、ここまで例の魔王様と似てますが、

次回からはその言葉が失礼なぐらい無双コメディな展開となっておりますので、

お楽しみに!

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