第42話 その後……。

 王都で起こった乱から3日後――。

 『王都瞬乱』といわれた事件は、まさしく名前のごとく一瞬で終わった。

 マナガストにも、3日天下という古い逸話がある。

 だが、3日どころかそれは2時間と持たなかった。

 あっという間の出来事だったのだ。


 しかし、この事件を解決した英雄の名前は、後にセレブリヤ王国のどの報告書にも記載されていない。

 詳細不明。

 王都で暴れていた身元不明・年齢不詳の男女たちは、泡沫うたかたのごとく消えてしまい、一体何者がこの『王都瞬乱』を収拾したのか、誰もわからなかった。


 一部の者以外……。


 ともかく王都は平常に戻り、聖クランソニア学院も授業を再開した。

 といっても、これから授業ではなく、被害に遭った方々の治療と心のケアをするらしい。

 学院の外に出て、王都にある教会へ行き、傷ついた人間の治療を続けるのだと、聖女候補生たちはレクチャーを受けていた。


「ハートリー・クロースさん……。ハートリーさん? ハートリーさんはいますか?」


 教官の声を聞いてハートリーは、我に返った。

 慌てて顔を上げると、ベンッと頭に何かが当たる。

 何事かと天井を見ると、薄い長方形の木材に名前を彫った出席簿と、やや顔を曇らせた教官の顔があった。


「しっかりなさい、ハートリーさん。疲れているのはわかりますが、今はそうは言ってられません。今、『王都瞬乱』において多くの方が治療を求めています。その身体と心のケアをするのが、聖女の役目なんですよ」


 教官は高らかに訴える。

 そのまま黒板の方へ向かって歩き、さらに言葉を続けた。


「そして何よりあなた方は、聖クランソニア学院の生徒です。実地に勝る勉学はありません。あなた方の中には家族や友達が、事件に見舞われた方がいることも承知しています。しかし我々は――――」


 教官はご高説を続ける。


『実地に勝る勉学はない』


 その言葉を聞いた時、ハートリーは少し笑った。

 なんだか、あるヽヽ女の子ならその言葉を聞いて大層喜んだような気がしたからだ。

 きっと嬉々として、学院を出て、傷ついたものたちを治療しただろう。

 奉仕の精神でもなければ、教会への寄付を促す目的でもない。


 回復魔術を極めるために……。


「ルヴルさん? ……あ、そういえば行方不明なんでしたね」


 一瞬笑顔が戻ったハートリーだったが、すぐにその表情は曇る。

 自然と顔が下を向き、気が付けば木の机を見ていた。


 『王都瞬乱』が終わって、3日。

 それは、あのルヴル・キル・アレンティリの行方がわからなくなって、3日という意味を指していた。


 組んだ両手に自然と力が入る。


 ルヴルはきっと戻ってくる。

 そう信じてやまない。

 でも、もし帰ってこなかったら。

 彼女が自分の正体が大魔王ルヴルヴィムなる邪悪な存在だと晒され、自分たちを騙していたという良心の呵責に苛まれ、このまま戻ってこないとしたら。

 はたまた別の国で、聖女を、回復魔術を極めることを決断したら……。


 自分はどうしたらいいのだろう。


 また初めっから?


 ドジで、引っ込み思案な自分から始めなければならないのか……。

 そう思うと、ゾッとした。


(いけない……)


 ハートリーは首を振る。


 ルヴルはルヴル。

 自分は自分。

 変わってしまったことを、他人のせいにしてはいけない。


(強くならなきゃ……。ルーちゃんのように)


 ハートリーは皆とともに立ち上がる。

 教会に向けて、出発した。

 その日、彼女の手際は完璧なものだったという。





「「「「ごきげんよう」」」


 教会の実習が終わり、学院に帰ってきた時には、すでに空は茜色に染まっていた。

 聖クランソニア学院の校門前で解散となり、寮組と通学組が別れの挨拶をして帰っていく。


 本来であれば、ハートリーは通学組だ。

 ユーリの偽の記憶から解放された父は、嘘のように元気になり、今も下町に住む人に格安で日用品を売りさばいている。

 5年前に亡くなった母親の墓にも見舞った。


 偽の記憶においては、駆け落ちした末に酔って川に飛び込み死んだとなっていたが、全くの嘘だ。

 当時、下町の間で流行っていた病にかかり、そのまま眠るように亡くなった。

 ハートリーが聖女を志したのも、そうした母親との別れがあったからである。


 そのハートリーが足を向けたのは、聖クランソニア学院の敷地内にある寮だ。

 気が付けば、自然と足を向けていた。

 淡い期待を胸に、ルヴルの部屋へとやってくる。

 蝋燭の1本も立っていない薄暗い廊下。

 開けようかどうしようか、考えあぐねていると、木の床が軋む音が聞こえた。


 ハッとなって、横を見る。

 苦笑いを浮かべ、「ども」と長身のエルフの娘は軽く頭を下げた。

 ネレムだ。


「やっぱりハートリーの姐さんもここに来たんですね」


「ネレムさんも?」


「ええ……。ただ残念ながらルヴルの姐さんの屋敷には繋がっていないようです」


 ネレムは子爵家の令嬢だが、寮生活をしている。

 屋敷が王都外にあるからだ。

 そういう貴族は他にも多い。


「そう」


 残念そうにハートリーは俯く。


「ハートリーの姐貴……。あたい、思うんだ。このままルヴルの姐さんは戻ってこない方がいいんじゃないかって」


「ネレムさん。何を…………」


「だって、大魔王っすよ、あの人。……ああ、別に怖いとかじゃないです。そういう感情は一切ないです。むしろ尊敬してます。でも、なんというか……。ルヴルの姐さんは昔から、あたいたちとは別次元っていうか。スケールが大きすぎるというか。なんていうか。この国の一聖女候補生に収まる人じゃないと思うんですよ」


「わかってるよ」


「姐貴?」


「ルーちゃんがただ者じゃないっていうのは、初めて会った時から知ってた。とてもすごい才能を持っていて……。それでも、ルーちゃんは――多少誤解はあったにせよ――わたしに友達になってほしいと言ってくれた。こんなわたしでも」


「ハートリーの姐貴……」


「それにスケールが違うなら、わたしも一緒だよ。偽物だったけど、王女にさせられても、ルーちゃんは諦めることなく、わたしを信じて、わたしの所に来てくれた。……多分、今は逆なんだ。わたしがルーちゃんを迎えに行かなきゃならないんだと思う」


 ハートリーはドアノブを握る。

 祈るように目を伏せた後、カッと双眸を開いた。

 ノブを回し、扉を引く。


 果たして、そこにあったのは……。


 ポタリ……。


 水滴が落ちる音が聞こえた。

 見ると、木の床に水滴が点々と並び、白い湯気を吐く浴室と思われる部屋に続いている。


 小さく質素な玄関フロア。

 二階へと続く階段は、年代を感じさせる。

 その先にある肖像画は、家の当主であろう。

 過剰なほど二枚目に描かれている。

 客の要望に媚びた画家に描いてもらったことは、明白だった。


 いや、問題はそういうことではない。


 今、その玄関先にいたのは、濡れそぼった生身を晒した少女が、たった1枚布を片手に固まっていたことだった。


 星空をすくい上げたような綺麗な銀髪。

 羊の乳のような白く滑らかな肌。

 反射的に眼をいってしまう豊かな胸。


 そして、赤い瞳は玄関外に立ちつくすハートリーとネレムに向けられていた。


「え?」

「え?」

「え?」


 3人の言葉が重なる。


「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」

「る、ルーーーーーーちゃん!!」

「あ、あ、姐貴ぃぃぃぃぃぃいいいい!!!」


 その瞬間、まさに悲鳴のような叫びが、アレンティリ家に響くのだった。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


魔王様の裸身シーン、再び!

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