第44話 ダブルお母さん

 良い食卓である。

 我は戦場の血の匂いや、学院の古びた紙の匂いも好きだ。

 だが、1番好むべきはアレンティリ家の食卓の匂いである。

 領内で出来た野菜の匂い。

 摘み立ての紅茶の芳香。

 古びた木の香り。


 アレンティリ家の様々なそこにしかない匂いが、この家を形作っている。

 それを作ったのは、ターザムとマリルだ。

 さすが我が父と我が母……。

 いや、それ故にか。


 落ち着く……。

 帰ってきたという気分になるのだ。

 我は大魔王ルヴルヴィム。

 1000年座していた玉座すら記憶から霞むほどに、今の環境が精神に安寧をもたらしてくれる。


 そこに友も駆けつけてくれたとなれば、これ程心強いことはない。


 良かった……。


 心の奥底では心配だったのだ。

 我を大魔王であると知って、友達をやめるのではないか。

 これまで出会ってきたほとんどの人間のように、恐怖と絶望に彩られ、離れていくのではないか、と。


 でも、戻ってきてくれた。

 我の元に……。


 ありがとう、ハーちゃん。

 感謝する、ネレム。


 また再び回復魔術の深奥を…………のぞ…………こ……。



 ◆◇◆◇◆



 カチャン!


 ティーカップが割れる。

 同時に入っていた紅茶が床に広がった。


 食堂にいた一同は驚き、身を震わせる。

 ルヴルを除いてだ。


「わっ! びっくりした!」


「あれ? 姐さん?」


 ルヴルの対面に座っていたネレムが気付く。

 背もたれにもたれかかるようにルヴルは、目を閉じていた。


「ルーちゃん?」


 何事かと思い、ハートリーは立ち上がる。

 素早く駆け寄ると、誤って割れたティーカップの破片を踏んでしまった。


「痛ッ!」


「あらあら。大丈夫、ハートリーちゃん」


 その中でも、マリルは一番落ち着いていた。


「大丈夫です。これぐらい自分で……。それよりもハーちゃんが……」


「大丈夫よ」


 すると、マリルは食堂に吊していたカーディガンを持ってくる。

 そっとルヴルの肩にかけた。

 よく耳を澄ますと、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 眠ってしまったのだ。


 その寝顔を見ながら、マリルは幸せそうに笑った。


「食事中に眠るなんて……。子どもみたいでしょ?」


「いえ。でも、多分ルヴルちゃんよっぽど疲れてたんじゃ」


「ふふふ……。しょっちょうあることなのよ。この子、鍛錬であちこち走り回ってるからね。多分、魔族を倒してきたのも、鍛錬の一環ぐらいにしか思っていないんじゃないかしら」


「鍛錬の一環……」

「す、すげぇ」


「でも、疲れてしまうと、食事中でも寝ちゃうの。たまにお風呂場でも。子どもみたいでしょ。仕方ないわ。ルヴルちゃん、まだ5歳だから」


「「ご、ご、ご……5歳!!」」


 ハートリーとネレムは絶叫する。

 仕方ないことだろう。

 何せ同い年と思っていた少女が、まだ5歳というのだから。


「あら……。ルヴルちゃん、まだ2人には打ち明けてなかったのね。きっと子ども扱いされたくなかったからだわ」


「ま、まあ、そりゃあね。中身は大魔王様だからね」


 ネレムが言うと、ハートリーも苦笑で返すしかない。


「2人は信じる?」


「ハーちゃんの無茶苦茶なところは何度も見てきましたから」

「5歳だとしても、姐さんならあり得るかなって」


「ルヴルちゃん、良かったわねぇ。こんないい友達ができて。2人とも今日はもう遅いから泊まっていってちょうだいな。親御さんには私から事情をしたためた手紙を送っておくから」


「い、いいんですか?」


「むしろこっちがお願いしたいぐらいよ」


 マリルは満面の笑みを浮かべる。


 2人の両親は心配するだろうが、それでも今日は特別だ。

 マリルの厚意に甘えることにした。


「じゃあ……」

「よろしくお願いします」


 マリルに向かって頭を下げる。


「こちらこそ。まあまあ、今夜は娘が2人に増えた気分だわ」


 と、マリルは笑うのだった。




 ルヴルの部屋に使われなくなったベッドを入れた。

 それを元からあったルヴルのベッドと合体させ、3人で寝られるようにする。

 ルヴルを挟んで川の字になると、ハートリーとネレムは、アレンティリ家の天井を見つめた。


 横ではスースーとルヴルが眠っている。

 ベッドを入れる時、結構な物音がしていたにも関わらず、起きる気配はない。

 やはり相当疲れているのだろう。


 ハートリーとネレムは、ルヴルの片方の手を取り、握る。

 しばしその温もりを感じながら、余韻に浸っていた。


「ふふ……」


「どうしました、ハートリーの姐貴」


「なんかこうしてると、親子みたいだね」


「親子?」


「そうか。ネレムさんは知らないのね。下町の親子ってね。家が小さいから、こうやって川の字になって眠るんだよ」


「へぇ……。じゃあ、ハートリーの姐貴はお母さんですか?」


「わたしがお母さんでいいの?」


「ルヴルの姐さんは子どもで、あたいは――――お母さんでいいかな」


「お母さん、2人もいるの?」


「いいじゃないですか。この子どもは、母親が2人必要なほど手が掛かるんですから」


「ふふふ……。確かに!」


 というと、ハートリーとネレムは揃って笑った。


 すると――――。


「ハーちゃん…………。ネレム…………」


 ルヴルが声を発する。

 起きたのかと思ったが、銀髪の少女の瞼は閉じられたままだ。

 どうやら寝言らしい。


 わずかに口元が緩み笑っている。

 月光を受けた銀髪は美しく、唇はサクランボのように淡い。

 天使のようというよりは、天使そのものであった。


「幸せそうな寝顔……」


「ですね。この人が、学院で『ジャアク』って呼ばれているなんて、誰も思わないっすよ」


「だね。でも、わたしたちはルーちゃんの秘密を知ってる」


「それと比べたら、『ジャアク』の方がよっぽど子どもじみてます……けど…………ね」


 やがてネレムからも寝息が聞こえてくる。

 その頃には、ハートリーも瞼を閉じて眠っていた。

 2人にとっても、この3日間は大変な3日間だったのだ。

 ごろりと、ハートリーとネレムが動く。


 まるで子どもを守るようにルヴルの方を向くと、3人の娘たちは眠りにつくのだった。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


はあ……。てぇてぇ……。


面白い、メシうま、と思った方は、

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