第8話 夜空の下の奇跡
「またね、ルヴルちゃん!」
「また明日。ご機嫌よう、ハーちゃん」
我とハーちゃんは、寮の前で別れの挨拶を交わす。
なかなか悪くない。
学校から寮までの道のりは決して長くないのだが、それでも1人で帰っていた時よりも、ずっと何か身体の中が充実しているように感じる。
魔王の時は天涯孤独だった。
だが、我はそれを好み、むしろ徒党を組むものを冷たくあしらったこともあった。
しかし、今我はそうした黒歴史を悔いている。
友達、最高ではないか。
だが、そうなると魔王も人間も欲が出るものだ。
もっと色んな者と友達になりたい。
我はそう思うようになった。
そのためにはどうしたら最善か。
首を捻りながら、学院から学院内にある学生寮に戻ろうとしていた時、我は道ばたで蹲る老婆を見つけた。
見かけない顔だ。
おそらく学院を訪れた来賓者であろう。
我は学舎に残って、ハーちゃんと一緒に自習していたため、すっかり夕方だ。
生徒はすでに学生寮に戻り、教官殿の姿もない。
校舎はがらんとしていて、赤い夕日の光と細く長く伸びた我の影があるだけだった。
「どうしました?」
我は駆け寄る。
どうやら老婆は足をくじいたらしい。
目が悪く、道の凹みに気付かず、足を踏み外してしまったようだ。
老婆の足の容態を見て、我はピンと来た。
仮に我が老婆の足を治せば、同窓の友の見る目を変わるのではないか、と。
善行を積むことは人の信頼に繋がると、母マリルが以前言っていた。
今回の機会だけではなく、同じような善行を積んでいけば、皆の見る目も変わってくるのでは、と思ったのだ。
「私がお婆さんの足を治してもよろしいでしょうか?」
「あなた? ここの生徒さん?」
「はい。まだまだ未熟者ですが」
「そう。じゃあ、お願いできるかしら」
任された!
我はふんと鼻息を荒くする。
油断はできぬが、回復箇所はたかだか足の捻挫だ。
この程度であれば、転生する前に幾度も治してきた。
最高の回復魔術を施術してみせよう。
我は手に魔力をためる。
強く、強く、強く、時に禍々しいぐらい魔力が光る。
その度に破裂音を鳴り響いた。
夕闇が白く染まる中、老婆は我に質問する。
「あ、あの……。捻挫を治すのに、そんなに魔力が必要?」
「ご心配なく。すぐ立てるようにしてみせますよ」
「え? ちょ……。本当に…………?」
手に十分の魔力を握り、我はいよいよ患部に向かって掲げる。
狙いを定め、我はありったけの魔力を解き放った。
さあ、回復してやろう!
空が、大地が、そして我と老婆が、白く染め上げられる。
膨大な魔力は回復魔術の餌となり、老婆を包んだ。
完璧だ。
寒気がするぐらいに……。
我はそう確信した。
やがて魔力の光が止む。
再び夕闇の聖クランソニア学院の敷地に、我らは戻ってきた。
「これで治っているはずです」
「は~~あ……。びっくりした。足の怪我が治る前に、心臓が飛び出るかと思った。あ、ありがとう。回復魔術って随分と大げさなのね」
「すみません。ちょっと力が入りすぎたかもしれません」
「回復魔術っていうよりは、攻撃魔術みたいだったけど。じゃあ、よっ――――あれ、痛ッ!!」
老婆は顔を歪めた。
また足をさする。
見ると、足の炎症は全く治ってなかった。
む?
あれ?
もしかして……。
「あらあら……。治ってないみたいね」
「すすすすすみません。も、もう1度――」
「もういいわ。さっきのを見たら、今度こそ心臓が止まりそうだし」
老婆はぼそっと呟く。
くっ! まさか捻挫如き、治せぬとは……。
油断? いや、違う。
たとえ油断であったとしても、それもまた我が未熟だったということ……。
捻挫だと侮った我が、未熟だったのだ。
「すみません。あのせめて家まで送らせてもらえないでしょうか?」
「家まで? でも、私の家――ここからだとちょっと遠いわ。馬車を使わないと」
「大丈夫です」
我は軽々と老婆を背負う。
「あらあら。お嬢ちゃん、力持ちなのね」
「鍛えていますから。さあ、どこですか?」
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えようかしら、あっちよ」
「わかりました。あっちですね」
我は老婆を示した方を向く。
ぐっと足に力を入れると、思いっきり跳躍した。
高度は上がり、一瞬にして王都にあるあらゆる建物より高い場所に到達する。
今にも、徐々に姿を現し始めた星に手が届きそうだ。
「ひゃああああああああああ!!」
我におぶられた老婆が悲鳴を上げる。
「大丈夫ですか?」
「あ、あなた……。随分と高く飛べるのね」
「はい。鍛えてますから」
「今時の聖女はどんな鍛え方をしているのかしら。それにしても、綺麗ね」
老婆は顔を上げる。
夜空に浮かぶ星を見て、子どものような声を上げて感動していた。
気持ちはわかるぞ。
昔と比べて、随分様変わりしたが、それでも星々の輝きは、いつ見ても綺麗なものだ。
しばし、我は老婆と一緒に夜空の星を楽しんだ。
◆◇◆◇◆
ルブルは老婆を家まで送り届ける。
家の前には、老婆の帰りを待っていた使用人が立っていた。
老婆を引き渡し、ルブルは帰ろうとするが、寸前で止められる。
「あなた、名前は?」
「ルブルです。じゃあ、また。お元気で、おば様」
ルブルは短く自己紹介する。
スカートの端を摘まみ、優雅に一礼した。
踵を返すと、そのまま風のように学生寮へと帰っていく。
夜の闇に紛れるルブルを見ながら、老婆はあることに気付く。
奇しくも新月の空に浮かぶ満天の星に違和感を覚えた。
「あら……。私、目が――――」
と呟くのだった。
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