プロローグ・3 予感

 午前の授業が終わると、昼飯で購買を利用する生徒はすでに争奪戦の厳しさを知っているのでダッシュで教室を出ていき、学食グループもその後に続く。


 俺はというと、一緒に昼飯を食べることになっている二人が学食に行ってみたいというので、どんなものかと様子を見に来た。うちの高校は生徒の半分くらいが学食を利用するそうで、結構な賑わいだ。

 

「これが碧桜へきおう名物の唐揚げ丼……一日二十食限定なのに、意外と頼めるもんだな」

「新入生に優しくしてくれてるんじゃないかな? 上級生の人が頼んでなかったし」


 見るからに腹ペコのツンツン頭が高寺たかでらといい、もうひとりの小柄で顔が整っているのが荻島おぎしまという。三人とも中学は違うが、初日の昼に何となく目が合い、何となく一緒に飯を食っている。


「千田、どこ座る?」

「こっちの席は?」

「お、いいねえ」


 広い学食の中心のほうというのは落ち着かないので、窓際に並べられているテーブルの一つに目をつけて座る。


 そして食べ始めようというときに――高寺と荻島は、揃って俺を真面目な顔で見てくる。


「な、なんだ……?」

「いや、先週は言うても知り合ったばっかで聞きにくかったけどさ、荻島がやっぱり気になるっていうから」

「えー、気になって寝れないとか言ってたのそっちじゃん。俺のせいにしないでよ」

「ああ……やっぱり気になるのか、その……」


 名前を口にしようとするだけで胸がモヤッとする。我ながら、まだ全然気持ちが切り替えられていない。


「俺と朝谷さんが、同じ中学だったっていう話だろ」

「いやーだってさ、住む世界違うじゃん? なのになんか、今日の朝だって仲良くてさ」


 やはり見られていたか、と冷や汗が背中を伝う。フラれたと正直に言うのは厳しすぎるので、ここは何とか言わずに乗り切りたい。


「うちのクラスもそうだけど、やっぱり本物の芸能人がいるって思うと気になっちゃうよね。テレビとか見てても普通に出てるしさ、自分まで優越感覚えちゃったりして」

「あー、あるある。俺なんてもう何度かのありんの名前で検索とかして、ファンに同じクラスって言いたい気持ちを抑えてるし」

「え、えーと……『のありん』は、本人は気に入ってないみたいだけどな」

「マジで? それは結構ファンには衝撃だな……じゃあこれからどうやって呼べばいいんだよ」

「高寺はにわかでしょ。違う芸能人のファンって言ってたじゃん」

「うぐっ……い、いつからでもファンはファンなんだよ。一秒前からでもな」


 SNSでの発言を見る限り、高寺は結構アイドル好きだ。こんなことを言ってはいるが、霧谷乃亜と同じクラスになったということは全く触れてないので、そこは安心して見ていられる。


 ネットではアイドルとして扱われがちだが、朝谷さん自身はあまりそう見られるのは嬉しくないみたいだった。それについては、そのうちやんわりと高寺に教えた方がいいだろう。


「あー、俺が千田だったら、同じ高校来たって時点でなんかいけんじゃね? って思ってるとこだよ。それも隣の席スタートとか恵まれすぎだし」


 思わずむせそうになるようなことを言ってくれる。しかし事情を話せない俺が悪いのであって、高寺に悪気はない。


「ま、同じクラスってだけで俺たちは一般人だけどな」

「わぁ、いきなり冷めたこと言ってる。高寺がうちの学校受かったの、ようやく納得できたかも」

「受験の時に詰め込んだもんなんて春休みでほぼ忘れたけどな。おまえら二人を頼りにしてるぜ、色んな意味で」

「いや、おまえも頑張れよ」

「あ、千田くんって結構鋭くツッコむタイプなんだ。ボケ二人にツッコミ一人ならバランスいいね」

「何の話だ……もうええわ」


 一応ツッコミの役目を果たしてやると、二人はやたら楽しそうだった。彼らも先週は大人しかったが、徐々に素が出てきたようだ。


(……ん?)


 高寺と荻島の話題はゲームの話に移っていたが、後ろのテーブルからの話し声が耳に入ってきて、思わずそちらに意識が向く。


「なんだそれ、鷹音たかねのぞみってうちの部に入るんじゃなかったのかよ?」

「いや、それが高校では勉強に集中したいとか言っててさ……」

「じゃあ、北中の奴に勧誘させろよ。二年の女子、何人かいたろ」

「ああ、それいいかも。ちょっと連絡しとくわ」


 テニス部の上級生が二人、鷹音さんの勧誘について話している。


 鷹音さんは自己紹介でもテニスをやっていたとは言わなかった。それは、高校でテニスを続ける気が無かったからということだろうか。


 上級生たちは見るからに機嫌が良くなく、それが高寺と荻島にも伝わって、二人が声のボリュームを落として言う。


「なあ、向こうの人らガラ悪くね?」

「テニス部みたいだけど、ちょっと怖い人もいるみたいだよ」


 入学から一ヶ月は部活を選ぶ期間なので、荻島は色々と下調べをしているそうだった。それでテニス部のことも聞いたのだろう。


 二人の話は続いている。聞き耳を立てなくても、学食の喧騒の中で聞こえるように話しているから、否応なく聞こえてしまう。


「今日の朝なんて取り付くシマもないってやつでさ、スタスタ歩いて行っちゃって」

「じゃあ俺が話してみるわ、今日の帰りに」

「え、マジで? 俺も行こうかな、リベンジしたいし」

「リベンジとか言ってんじゃねーよ、希ちゃんが怖がるだろ」


 上級生が席を立つ――歩いていくところが見えたが、二人とも二年のようだ。


 鷹音さんは一年の中で際立っている存在だ。それでも、こんなに部活の勧誘攻勢をかけられたりするのは、実際に目にしてみると行き過ぎのように思える。


 それに、何か嫌な予感がする。鷹音さんを女子テニス部に入れたい理由は、あの男子たちが彼女との接点が欲しいからなんじゃないだろうか。


「ん、どした? 大丈夫? 唐揚げ食う?」

「鷹音さんも大変だね、あんなに勧誘されちゃって。ていうか、下心が出ちゃってるし」

「……やっぱりそう思うか?」

「おーい、俺あんまりよく聞こえなかったんだけど? 仲間外れは寂しいぞ?」


 高寺の平和そうな顔を見ていると、同じクラスの鷹音さんがピンチかもしれないとはとてもじゃないが言いづらかった。


 ◆◇◆


 教室に戻ってきたあと、授業が始まる前に朝谷さんはノートを返してくれた。


『ナギくん、これ。すごく分かりやすかった』

『あ、ああ……ありがとう』

『もー、何お礼言ってんの。私のほうがありがとうだよ』


 楽しそうに笑う朝谷さん。俺が受け取ったノートを少し見ていたような気がしたが、多分気のせいだろう。


 授業時間は過ぎていく。朝谷さんと隣の席でいられる時間が、終わろうとしている。


 五限が終わり、六限が終わって――帰りのホームルームの時間。席替えのクジ箱を持って、先生が教室に入ってきた。


「前の席がいいっていう子は二人ね。その席を他の子が引いたらもう一回クジ引き直しで、そっちの列から一人ずつどうぞ」


 一人ずつクジを引いて、黒板に描かれた座席表に名前が書き込まれていく。


 俺は窓際から二列目の一番後ろ。朝谷さんは、廊下側の前のほう――今までよりも大きく席が離れた。


 高寺と荻島も前の方に座っている。他にも同中の知り合いがクラスに一人だけいるが、俺とは離れた位置に座った。


 最後から二番目にクジを引いたのは鷹音さんだった。彼女はクジを広げて見ると先生に番号を伝えて――こちらを見やる。


「…………」


 俺も彼女を見ていたので、目が合う――しかしそれも一瞬のことで、彼女は何事もなかったかのように、俺の左斜め前に座った。


 窓から差し込む日差しが、鷹音さんの背中に届く長さの髪を輝かせる。光が流れるようで、後ろ姿だけでも絵になると思わされる。


 同じクラスにいるのに、明確に壁があって隔てられている。そういう人がこのクラスには二人もいる。


 俺の左隣に座ったのは渡辺さんという女子で、確か朝谷さんと同じグループだった。朝谷さんを除くグループの三人がやってきて、一番いい席で羨ましいとか、代わってほしいとか、そんなことを言われている。


「これで全員の席が決まり、と。もしどうしても変えたいときは先生に相談に来てください。そういうもろもろの相談とか連絡のためにクラスのSNSグループを作るかどうかは、現在考え中です。じゃあみんな、気をつけて帰ってね」


 改めて挨拶などはせずに、そのまま解散となる。高寺と荻島はもう部活が決まっているので、放課後は単独活動だ。


 部活に入る気は今のところない。中学までは読書部で、部活動のない日は子供の頃から通っている知り合いのジムで、多少武道のようなものを教えてもらっていた。


 高校に入ってからはまだジムに行ってないので、そのうち身体を動かしに行きたい。しかし今日は、どうしても行きたい場所がある――駅前にある本屋だ。


「朝谷さん、演劇部の見学行くんだよね」

「私たち軽音も見に行くけど、演劇部のあとで一緒に行かない?」

「うん、どっちも興味ある。でも部活あんまりできないかもしれないし、見学するだけになっちゃうかもしれないんだ。それでもいいかな」

「あーそっか、平日の放課後もお仕事あるんだよね」


 朝谷さんたちが教室から出ていく。その後で、別のグループの女子たちが鷹音さんのところに集まってきた。


「鷹音さん、放課後の予定ってある?」

「私たち、どこかでお茶でもしながら勉強して帰ろうかなって。家に帰ってやるよりその方が集中できるしね」

「ごめんなさい、今日は家での習い事があるんです。また誘ってください」


 鷹音さんが謝ると、女子たちは名残惜しそうにしつつも帰っていく。


「あ、あの……」


 朝谷さんたちのグループだが、一緒に行かずに残っていた渡辺さんが、鷹音さんに声をかけようとする――だが声が小さすぎて、鷹音さんはそのまま出ていってしまった。


「あ……ご、ごめんなさい。私も帰ろうかな」


 俺に見られたと思ったのか、渡辺さんは気まずそうに謝ってパタパタと出ていった。


 決めつけは良くないが、なんとなく状況から察する。渡辺さんが鷹音さんに言いたいことがあるとしたら、席のことじゃないだろうか。長身の鷹音さんと、クラスでも小柄なほうの渡辺さんでは、かなり身長差がある。鷹音さんの後ろからでは黒板が見にくくなるかもしれない。


 しかし「鷹音さんに席を代わって欲しい」というのは気が引けるだろう。背が高いことを気にしている女子もいるからだ。身長を伸ばしたいと言っている女子も同じくらいいる気はするが。


 俺がお節介を焼くことでもないし、勘違いだったら渡辺さんにも悪いので、今するべきことは特にない。


 だが、悪い予感と同じくらいに、俺のこういう『なんとなく』はよく当たるのだ。人間観察が得意なんて、中二病っぽいことを言うほどでもないが。


 ◆◇◆


 学校から歩いて十分ほどの場所に駅があり、駅前プロムナードは帰り際の生徒が立ち寄る場所として、あるいは生徒が遊びに行く先としてよく利用される。


 今日は買いたい本があったので本屋にやってきた。朝谷さんがモデルとして出ているファッション誌――ではなく、新刊のマンガと文庫小説だ。


 高校の制服姿でそういうのを買うのは初めてなので、サッと買い物を済ませる。目当てのものを見つけ、レジに持っていこうとして――やはり見つけてしまったら見逃すことはできないと、ファッション誌コーナーに近づく。


(うわ、先客がいる。タイミングをずらすか……いや、待てよ。あの二人って……)


 思わず隠れてしまったが、同じ学校の制服をかなり着崩している男子が二人いる。学食で鷹音さんのことを話していた連中だ。


「マジで載ってんじゃん、すげー」

「ほんと今の一年は恵まれてるわ、こんなレベルのが二人もいるとか」

「霧谷乃亜と絡めたら、芸能人紹介してもらえたりしてな」

「今んとこめちゃくちゃガード固いけどな。鷹音希がうまくいったら、霧谷乃亜もいけそうな気がすんだろ」

「いけるいける。ヤッバ、テンションアガるわ」


 昼休みに彼ら――いや、もう奴らと認識すべきか。奴らの話を聞いてなければ、ここで二人に気を止めることも無かった。


 しかし俺も、朝谷さんが出ているからと、好奇心で雑誌を買おうとしているのは間違いなくて。


 ファンだから、応援したいからと言っても、それを理由にして朝谷さんへの興味の種類をごまかしてるだけだ。ただ彼女の魅力に惹かれて、少しでも知りたいと思っているだけなのに。


「……お、ミサのほうは上手く行ったって」

「鷹音希が来てんの? さすがに女の先輩には邪険にできなかったかー、希ちゃん」


(っ……)


「すげえ悪い顔してんぞ、俺のこと言えた義理じゃねーな。行くぞ」


 男子二人は雑誌を乱雑に戻して、店から出ていく。


 俺はその雑誌を綺麗に並べ直す――胸が悪くなるような感じは続いて、鼓動も早まり続けたままで。


「ありがとうございます」

「あ……」


 俺が本の並びを整えたところを見ていた店員が頭を下げてくれる。


 ――新しい彼女できたら、良かったら教えてね。


 なぜそんなことを思い出すのか。


 あのときだって、俺は朝谷さんがいつもと違うように感じたのに、気のせいだと流されることが怖くて何も聞けなかった。


 だけど、本当にそれで良かったのか。


 無難な選択をして、それが正しかったと自分を納得させて、波風を立てないようにやっていけたら満足なのか。


 気がついていながら何もせずに、あの時行動していたら何かが変わったかもしれないと後から思うのは。


 自分は間違っていなかったと慰めたいだけの誤魔化しだ。

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