ACT3-3 公開収録
駅の正面にある、ショッピングから食事までできる複合商業施設。そのビルの六階が、公開収録の行われる会場になっていた。
エレベーターを降りると道案内の看板があり、すでに客の列ができている。俺はその最後尾に並んで、待ち始める――若い男性の方が比率は多いが、女性客もかなりの人数が集まっていた。
朝谷さんが霧谷乃亜として出演中のドラマ、『恋と青のリリック』。上手くいかない恋愛をしている高校生たちが主人公で、朝谷さんは義兄に実らない片思いをしていたという役柄だ。
「今週の『青リリ』、良かったよね。もう何回も泣かされてるし」
「のありんめっちゃ可愛いよね、フラれた後も出番少なくならなくて良かった」
「先週は瑠都くん来てたんだけど、すっごい顔が良かった。のありんも可愛いんだろうなー」
前の方の女性客が出した名前――深川瑠都という俳優。彼と朝谷さんの関係について、ネットである噂が流れていた。
話題作りのためと言われてはいたが、ファンにとっては一触即発の話題で、深川瑠都の名前は禁句になっていた。のありんの事務所は交際厳禁だとか、まだ高校生なのにプライベートを探るマスコミはルール違反だとか――霧谷乃亜を擁護する意見は多かったが、同じだけ人気俳優と噂になった彼女に対して、見るに堪えないような中傷も多くあった。
番宣のために一緒に出ていたバラエティのことも、なぜ準主役の霧谷さんが出るのか、この二人の関係は怪しいから一緒に出演させないで欲しいとか、そんな反応がピックアップされて芸能ニュースとして出ていたりした。
ネットの記事は信じちゃ駄目だよ、と朝谷さんは友達に言っていた。そうやって芸能ニュースの真偽を直接確かめられることは初めてじゃない――彼女は年中、好奇の視線を浴び続けなくてはならない。
――私は気にしてないよ。周りの人が本当のことを知ってくれてたら、平気だから。
その言葉を額面通りに受け取って、朝谷さんは生まれながらにスター性があるんだなんて、みんなが憧れを込めて言っていた。
言うまでもなく、俺もそのうちの一人だ。
住む世界が違う相手が、同じ中学にいるということ。少なくても接点があることを、幸運なめぐり合わせだと思って――彼女に惹かれて、環境が変わることを都合のいいきっかけにして、彼女に告白した。
彼女が有名になる前に告白していたら、何かが違ったかもしれない。それはありえないことで、仮定でも考えるべきじゃない。
『霧谷乃亜』として有名になったことも含めて、『朝谷さん』なのだから。
「本日は『サタデーライブ・ピースフル』の公開収録においでいただき、ありがとうございます。これから観覧席にご案内しますが、二人連れ以上の方も少し間隔を空けて座っていただくために、観覧人数は抑えております」
スタッフの説明が始まる――そのまま移動するのかと思っていると、スタッフが並んでいる人に対して呼びかけ始め、観客が並び直していく。
「チケットAの10番の方、いらっしゃいますかー」
「あ……は、はい。Aの10番です」
一番後ろにいた俺が、前から10番目に移動させられる。どうやら周りの声からすると、このチケットは関係者が配られるもので、一般客は11番からになっているようだった。
俺の前後が空いていないのは空席を詰めたからなのか――それとも、中野さんはチケットを一枚しか貰っていなくて、それを俺に渡したのか。どのみち、後で彼女には話を聞かないといけない。
鷹音さんには、電話をしていいかメッセージで確かめてから、公開収録に行くことを話した。
――分かりました。行く前に話してくれて、ありがとうございます。
――朝谷さんは、薙人さんに来て欲しかったんだと思います。中野さんに、薙人さんを誘うように頼んだのかは分かりませんが……。
鷹音さんは、俺が悩んで出した推測と同じところまで、驚くほど早く達してしまった。
俺が鈍いか、考えすぎているのか。それとも女子同士の方が、言わなくても分かる何かがあるのか。
――ごめん、鷹音さんと付き合い始めたのに、フラフラしてるような態度で……。
――俺、朝谷さんのことを応援してたから……その気持ちは、今もゼロにはできてないんだ。
――でも、未練があるとかじゃない。俺が来てることに気づかれないくらいでいいと思ってる。
だから、行かせて欲しい――なんて。結局どうやっても、未練があるように聞こえてしまう。
それで鷹音さんの気持ちが冷めてしまうようなことがあったら。馬鹿なことをしていると、自分でもよく分かっている。
――行ってきても、大丈夫です。朝谷さんは、薙人さんの大切なお友達ですから。
――私がいいと言うんですから、薙人さんは何も謝ったりしないでください。
――朝谷さんには、せっかく薙人さんが来ているのなら、気づいてもらいたいです。
――知らないところで応援をしているなんて、それは朝谷さんに優しすぎますから。
俺がいることに朝谷さんが気づくかは分からない。気づいたとして、それが朝谷さんにどう受け取られるのかも、容易に想像できない。
なぜいるのか、と思うのか。来てくれている、と思うのか――だから俺は、朝谷さんが気づかないくらいでいいと言った。
しかし、チケットの順番通りに並び替えをしたとき、収録ブースから見えやすい位置に来てしまった。
(いいのか……これで。いや、席がこういう位置になるのは、中野さんに渡す時点で分かってるはずで……そもそも、中野さんのチケットが俺に渡されることを、朝谷さんは想定してたのかな……)
「皆さん、開始までに時間がありますが、五分前には戻ってくるようにお願いしまーす。最初に皆さんの声を聞かせてもらいたいので、ちょっと拍手と歓声の練習をさせてくださいね」
ラジオスタッフの若い男性が説明を始めている。しかし、俺の隣の席――11番と12番の人が大きめの声で話していて、少し説明が聞き取りづらかった。
「あー、早く生のありん見てえわ。こういう時ってエロい服とか着てきたりすんだろ」
「そういう売り出し方じゃないと思ってたけど、リュートと付き合ってるとかだったら話変わってくるよな」
「事務所がそうやって売り出してるだけだろ。色々束縛されて、逆に男に飢えてたりすんだよ。俺にはわかるね」
「っ……」
思わず席を立ってしまう。隣に座っている若い男性二人が驚いてこちらを見る――しかし何事も無かったように、ブースに視線を送る。
「やべやべ、関係者席に聞こえてたらまずいよな。のありん頑張れー、ファンでーす」
「公開収録もいいけど、写真集出して握手会とかやってくんねーかなー」
(……ガラス越しに見学するだけだし、こっちの声は向こうには聞こえない……でも……)
ネットで目にする、無責任な想像を書き込んでいる人々。そんな連中が、朝谷さんのファンとして公開収録に参加している。
高寺が心配していたのも分かる――ここまで具体的に『霧谷乃亜』自身への接触を図ろうとしそうな人がいるとなると、用心はしすぎるに越したことはないと思えてくる。
「番組が始まって次のコーナーで、霧谷さんが登場されます。出演時間は三十分で、終了後に記念品の配布をさせていただきます」
「それって、霧谷さんも参加するんですか?」
「お渡しは昨今の事情もありまして、今回は見送りとさせていただきます」
隣の席の二人が、目に見えて不満そうにしている――逆に、今日直接朝谷さんがファンの前に出ることがなくて良かったと思う。
本当なら、公開収録で活躍する朝谷さんを見て、応援できればそれで良かった。なのに、彼女を取り巻く状況の難しさを目の当たりにして、どうしても心が陰る。
ラジオ番組のレギュラー司会者が入ってきて、番組が始まる。言われていた通りに、最初のコーナーで『霧谷乃亜』が呼ばれる。
「――初めまして、霧谷乃亜です。今日はよろしくお願いします」
学校にいるときも、芸能人がそのままの姿で存在していると、そう思わずにいられなかった。
それは彼女の輝きが、一般の生徒に紛れられないほど強くなっていたからだ。
『霧谷乃亜』として、ヘアスタイルもファッションも同世代の先端にいる彼女は――決して華やかな場所ではないラジオの収録ブースを、その存在だけで全く別の場所に変えた。
「……おいおい、反則だろ……可愛すぎね?」
「やっべ……マジやべえ……」
好き勝手なことを言っていた隣の席の客二人も、語彙力を失っている。歓声と拍手の収録を頼まれたときは、観覧席全体が揺れるほどにギャラリーが沸いた。
「今日は公開収録ということで、のありんのファンがたーくさん来てくれてますよ。みなさーん、のありんですよー」
「すみません、のありんっていうの、ちょっと恥ずかしくて……でも、嬉しいです」
朝谷さんが観覧席を見回す。一番目の席から順番に。
十番目の席を、朝谷さんの視線が通り過ぎる――何事もなく。
そうなるはずだと、そう思った。
なのに、彼女は俺を見て、ほんの一瞬だけ驚いて。
――そして、笑った。
卒業式から、そして今日まで、見せてもらってない。そんなふうに、自然に笑うところを。
「……こんなにたくさん来てくれて、安心してます。出番までずっとドキドキしてました」
「すごい倍率だったそうですよ。番組始まって以来っていうくらい、ハガキでもメールでも応募が来ていて」
「ありがとうございます、当たった皆さん、お会いできて嬉しいです。外れてしまった皆さんにも、また会える機会があったら、ぜひよろしくお願いします」
「ここにいる皆さんも、番組を聞いてるファンの皆さんも、喜んでくれてると思います。音声だけで申し訳ありません、のありんめちゃくちゃ可愛いです」
「そんなことないです、もう緊張しちゃってカチコチで、笑顔の練習してきましたから」
謙遜している朝谷さんだが、違和感なんて全くない――パーソナリティのネタフリに合わせて話しているだけで、無理なく場を持たせられている。
初めにラジオのゲストで出た時は、緊張して打ち合わせの内容が飛んでしまったと言っていた。それがここまで落ち着いて話せるようになったのは、経験と努力の賜物だろう。
このラジオ出演もドラマの番宣を含んでいて、話はその内容に入っていく。
「先週に来てくれた深川さんにも、リスナーからの質問が届いてたんですが……せっかく続けてのご出演ということで、聞かせてもらってもいいですか? 二人が本当の兄妹みたいで憧れるって声が多いですが、霧谷さんから見た深川瑠都さんは、どんな俳優さんですか?」
観覧席の一部がざわつく。
霧谷乃亜のファンとしてここにいる人の中には、深川瑠都のファンの人もいる――そういうことだ。
注目を一身に浴びている。霧谷さんは少しだけ考えて、そして答えた。
「……場の雰囲気を、和ませてくれる俳優さんだと思います。お兄さん役なんですけど、年齢的にもそういう感じで、頼りになる方ですね」
「深川さんも霧谷さんも新境地って言われていますよね。霧谷さんは、片思いの演技が本当に切なくて、前回の話で身を引いちゃうところなんて、本当にそれでいいの!? ってなっちゃったりして」
「……それは……」
――朝谷さんが、もう一度こちらを見る。
こちらを見ることは無いと思っていたのに、二度目――こちらに偶然視線を向けただけで、俺の気にしすぎだ。それとも知り合いがいたら、ふと見てみたくなったりはするかもしれない。
そんな考えを、朝谷さん自身の言葉が否定する。
「私も高校生になったので、分からなかったことも、だんだん分かるようになってきたっていうか。大人になってきたんじゃないかって思います」
「そうですよね、最近はグッと大人っぽくなって。でも僕は、のありんがブレイクしたきっかけのCMの印象が今でも残っていて、時間が流れるのは早いなってしみじみ思うんですけどね」
「あのCMは、今自分ではとても見られないです、恥ずかしいので」
「凄い人が出てきたなってみんな言ってましたよ、可愛すぎますもんね」
男性のパーソナリティが振った話に、朝谷さんが照れながら答える――そして、また一瞬だけ俺を見る。
「……今、のありん俺のこと見てたよな」
「マジで? やべえなそれ」
「俺、やっぱのありんに会うわ。先帰っててくんね、二人だと目立つから」
「うわ、ずりーな。俺も普通に行きたいんだけど、のありんに会えるんだったら」
よりにもよって――高寺が言っていた、出待ちすると言っていた人物なのか、そうじゃないのかは分からないが。
収録はつつがなく進んでいく。視聴者と、そして観客席とジャンケンをして、勝った人には景品のサイン色紙が贈られる――観客も一喜一憂するが、隣の男たちはもうまともに収録を聞いていない。
「『恋と青のリリック』、現在放送中です。私の出番は少なくなりますけど、ストーリーはこれから盛り上がっていきますので、ぜひ見てください」
「名残惜しいですが、のありん……霧谷乃亜さんはそろそろとなりますので、最後にお願いしたいと思います。番組の合言葉、覚えてくれてます?」
「はい、練習してきました。ハートにいつも、ピースフル! ……霧谷乃亜でした」
両手でハートを作り、観客席に向けて決めポーズをしたあと、霧谷さんは全方位にお辞儀をしてからブースを出ていった。
記念品を受け取ったあと、観客が捌けていく。出待ちをすると言っていた男二人は、スタッフに直接質問していた。
「ええと、どこから出てこられるかは、話せない決まりになってまして……」
断られると、渋々と言う様子で外に出ていく。俺も外に出る順番が回ってきた体で、男二人の後を追って外に出た。
「こっちじゃね? スタッフ出入り口」
男たちは物陰に隠れて、スタッフ出入り口の扉を見ている――もしそこから霧谷さんが出てきてしまったら。一人で出てくるということは無いと思うが、そのまま後を追いかけられるようなことがあったらまずいことになる。
俺が観覧に来ていたことに、おそらく朝谷さんは気がついている。目が合っているのだから、そこは疑うべくもないが。
念のために、伝えておくだけだ。出待ちをしているお客さんがいる、それさえ伝えられれば。
メッセージを送る口実だと思われないか。そうやって、幾らも迷っていられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます