ACT3-2 迷わないために

 ――そのうちに俺は、朝谷さんが友達と帰っているときに他校の男子生徒に声をかけられ、追いかけられたという話を聞いた。


 朝谷さんの友達は、彼氏を作って、その彼に守ってもらえばいいと冗談っぽく話していた。そのとき朝谷さんはこう答えていた。


『そういう理由で付き合うとかって、あんまり考えられないかな』


『みんなに迷惑かけないように、私がちゃんとしてればいいだけだし。逃げ足だって早いしね』


 心配する友達を元気づけるように、彼女は笑ってそう言った。


 夏祭りのことがあっても、男自体が苦手になったというわけじゃない。ドラマの撮影現場には男性が多くいるはずだが、朝谷さんの演技には不自然さはなかった。


 彼女は周囲から心配されることを望まなかった。俺もその周囲に含まれていて、それは今でも変わらないだろう。


(出待ちって、対策はちゃんとされてるよな。それが当然だよな……)


 俺が寝ている間に高寺がメッセージを送ってきたから、あんな夢を見たのかもしれない。


 ラジオに出演している朝谷さんをファンの一人として見に行く。チケットを貰ったから、捨てられないからと言い訳をして――鷹音さんと付き合い始めたのに、そんなことはするべきじゃない。


 朝谷さんは何事もなく仕事を終えて、帰っていく。ネットでの誰かの発言に反応して、心配して――そんなことは求められてない。朝谷さんが安全に仕事ができるように配慮するのは、彼女が一緒に仕事をしている人たちの役割だ。


 そうやって行かない理由を並べるのは、言い訳をしてるだけだと分かっている。


 貰ったチケットを無視することに、正当性が欲しいから。行かないのが当然なんだと、自分を納得させたいだけだ。


 中野さんが公開録音に行って、友達が応援しに来てくれたと朝谷さんは喜んで――それでいい。俺はもともと当選しなかったし、行くつもりもなかったんだから。


 心が決まったところで、また違うメッセージが届く。


 ――中野さんから。俺はその内容を、見る前に想像してしまっていた。


『久々の連絡だけど、お願いしちゃってもいいかな?』


「……なんで、あの時に……」


 チケットを渡した時に言わないのはずるいと、考えてしまう。


 渡した時には、こうすると決めていたんだとしたら。俺は中野さんに、聞かなくてはならなくなる――朝谷さんが俺にチケットを渡してくれと言うと思ったのか。それとも、朝谷さんが実際にそう言ったのかを。


『私ものありんの公開収録楽しみにしてたんだけど、急に用事ができちゃって』


『のありんの友達も見に行くみたいなんだけど、私ってまだあの子たちと打ち解けてないんだよね』


『それで、できたらナギセンに行ってきてほしいなって』


『ほら、同じ部活になれたし、アドレスも知ってるからいつでも話は聞けるじゃない』


『あ、ナギセンと鷹音さんとお近づきになってるのは知ってるから、ちゃんと空気は読むよ』


『内緒にしておいた方がいい? それとも、言っちゃってもいいのかな』


『大丈夫だよね、クラスメイトだし。鷹音さんと霧ちゃん、仲良さそうだったし』

 

「……空気を読めてないんじゃないよな」


 なぜ、ここまでして俺を公開収録に行かせたいのか。中野さんは、俺に疑われても仕方がないことをしてると自覚はあるはずだ。


 山口さん、伊名川さんとまだ中野さんが仲良くなっていないと言っても、それは入学早々にできた朝谷さんのグループに入るのが出遅れてしまっただけで、深刻な溝があるなんてことじゃない。


「……読んでないんだよな。何でそこまで……」


 高校では中野さんと話すことは無くなるのかもしれないと思っていた。そんな俺が、彼女の考えが分からないなんて当たり前のことだ。


 何かの気を回しているのは、間違いないと思う。それが朝谷さんと話してのことなのか、中野さん自身の考えなのかが分からない。


 鷹音さんと朝谷さんの仲が良いように見えているのは、中野さんだけじゃない。実情は複雑でも、それ自体は疑うことじゃない。


 中野さんのメッセージの最後にはお願い、とスタンプが押してある。昨日じゃなく、来週に入部届を出していれば――そうは思うが、後の祭りだ。


「気づかれないように参加して……帰ってきて。それだけでいいんだな」


 中野さんの代わりに俺が来ていたとか、それは後で伝えればいいことだ。それも、中野さんから伝えてもらえばいい。


 ――鷹音さんに伝えて、行くなと言われたら行かない。


 けれど鷹音さんに連絡する時点で、それは甘えてるようなものじゃないのか。


 『今カノ』が許してくれるから『元カノ』の仕事を見に行く、そんなのは――。


「なっくん、朝ごはん一緒に作ろー。まだ寝てるー?」

「もう起きてるよ」


 返事をすると、一拍間を置いてドアが開く。流々姉は部屋に入ってくると、俺の顔を見て困ったように笑った。


「なーに、朝から真剣な顔。昨日やってたホラー映画の夢でも見ちゃった?」

「……夢は見たけど、そういうのじゃないな」

「あ、思ったより素直。なっくんがそういう顔してるときって、お姉ちゃんに頼ってくれないのよね。何か悩んでたら、相談くらいは乗るよ?」

「いや、俺の問題だから」

「大丈夫……じゃないよね。すっごく悩んでるよね?」


 いつもの流々姉とは違って、茶化すようなことを言わない。


 ――これからどうしようもないことを言って、俺は流々姉を呆れさせてしまうのに。



 朝食を作る間に、俺は中野さんから貰ったチケットのことなどを話した。


「……それは、はめられた……っていうやつじゃない? なっくん」

「そ、そういう表現は……」

「なっくんはお人好しすぎ。そういうふうに考えるのを避けてたんじゃない?」

「中野さんがそんなことをする理由が分からないし、朝谷さんにそこまでのつもりはなかったと思う。俺が行っても行かなくても……」

「私が霧ちゃんだったら、なっくんが見ててくれたら嬉しいけどな。お姉ちゃんが勝手にそんな想像しても説得力ないか」


 朝谷さんが、俺が来たと知って喜んでくれる。流々姉が言うならまだしも、俺がそんな想像をしていたら大馬鹿だ。


「……でも、心配なこともあるんだよね。それなら、私は行った方がいいと思うな。鷹音さんに言う必要があるかって言ったら、内緒にした方がいいかもしれないって思うけど……なっくんは、それは裏切りだって思ってるんでしょ」


 本当は迷うことですらない。チケットの期限なんて気にしないで、使わないものだと割り切ってしまうべきだ。


 なのに、そうできないのは。俺がまだ朝谷さんに気持ちを残しているみたいで。鷹音さんに対して、最もしてはいけない裏切りだ。


「事情を聞いたら、なっくんが行くって言っても止められない……優しい子なら、きっとそうなると思う。それでも鷹音さんに言ってから行くのは、酷いことだよね」

「……そうだよな」

「それでも、私は行った方がいいと思う。行かないでなっくんが少しでも後悔したら、その方が鷹音さんを傷つけると思うから」


 ――なんで、背中を押すんだ。


 俺の勝手にしたらいいって放り出してくれていいのに、そうやって悩んでくれるんだ。


「鷹音さんにちゃんと言って、霧ちゃんを見てきて、それで帰ってきたらいいじゃない。行ったら帰ってこないわけじゃないんだから」

「けど、この期に及んでフラフラしてるのは……」

「気持ちにちゃんとけじめをつけないとだめなんだよ、なっくんは。何だか分からないままに振られちゃって、でも霧ちゃんから嫌われたわけでもなくて、本当はまだ……」

「……それはない。絶対にないよ」

「それなら、今回のことが証明になると思う。なっくんは『霧谷乃亜』ちゃんを見に行くだけ。『霧ちゃん』のことがまだ好きだから見に行くわけじゃない」


 流々姉はそう言って、時計を見やった。午前八時過ぎ――起きてから、想像した以上に時間が経っていない。


「もうちょっと考えて、それでやっぱり行くのは駄目って思ったら、お姉ちゃんにチケット渡してくれたらいいよ。そうしたら、無駄にはならないでしょ」

「……流々姉」

「私も酷いこと言ってるよね、なっくんは今の彼女さんを大事にしたいだけなのに……だから、連帯責任っていうことで」


 何も流々姉が責任を感じることなんてない。相談に乗ってもらっておいて、しなければ良かったと一瞬思ってしまうくらい、俺は恩知らずな弟だ。


「自分で考えるよ。行くのかどうか、鷹音さんに伝えるのかも」

「……うん。じゃあ、ご飯食べよ」


 流々姉が朝食を食べ始める。作っている時は上の空だったが、よくよく見てみると、朝にはあまり作らない俺の好物ばかりだった。


 宙に浮かんだような、行きどころを失っていた感情に、答えを出したい。


 朝谷さんが俺を振った理由なら、幾らでも考えられる。そんな俺が、また人を好きになっても、気持ちが届くかどうか分からない。


 ――俺は、鷹音さんが好きだ。


 だから、嘘はつけない。信じて欲しいという言葉を、彼女が受け入れてくれるのかが分からなくても。

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