ACT4-3 GWの約束
結局俺は一度も自分でフォークを使うことなく、鷹音さんの手でクレープを半分と少しだけ多く食べた。少しというのは、イチゴ一個分俺が多く食べたということだ。
何やら中野さんが油を差してないブリキの人形みたいにぎこちなくなってしまったのも、無理もないとは分かっている。付き合いたてによくある風景(なのだろうか)とはいえ、『あーん』される俺を見せられ続けた彼女の気持ちは、察するに余りある。
「薙人さん、すみません……」
「ああいや、美味しかったし、最初から俺が払うつもりだったから」
「ナギセンめっちゃ太っ腹だね、腹筋はカチカチだけど」
中野さんが手を伸ばしてきて、制服の上から腹筋を確認してくる――このボディタッチは、中学の頃から何気なく繰り出されているので、悪気はないと分かってはいる。だが鷹音さんの彼氏としてなあなあにはできないので、しっかり言っておかなくては。
「俺だからいいけど、いきなり男の腹筋に触るのは問題ありだな」
「あっ、ごめ、つい手が出ちゃって。中学の時とは違うんだよね、ナギセンも可愛い彼女が出来ちゃって、うちは彼氏とか無縁で、ナギセンだけ変わっていっちゃうんだね」
無縁なんてことは無いはずで、中野さんも人懐っこい性格の上に容姿は小動物的な魅力があるので、中学の頃から人気があったのだが――彼女がそう言うのなら、高校デビューで即彼氏ができたりということは無いみたいだ。
「薙人さんが変わっていくというのは、私とお付き合いをすることで……ですか?」
「た、鷹音さん。中野さんの言うことは結構勢い任せだから、あまり気にしないでいいよ」
「あー、そういうこと言われるとめっちゃ悪戯したくなるんですけど。腹筋くらいでとやかく言うなよ、それがうちにとってのとりえなんだからさー」
「……そんなに……いえ、中野さん、薙人さんには素敵なところがいっぱいあるので、そんな言い方は良くないです」
鷹音さんはそう言ってくれるが、それはそれで照れるものがある。そして、鷹音さんの様子からすると、彼女も少しなりと興味を持ってくれているようだ。
「ごめんごめん、今のは冗談。うちもナギセンのいいとこなら知ってるよ。めっちゃ付き合いいいし、男の子が興味なさそうな話でも真面目に聞いてくれたりするし」
「付き合いがいい……というのは?」
中野さんには言葉選びをもっと慎重にしてもらいたい――『付き合い』という単語はニュアンス的に疑いを受けやすい。鷹音さんも分かってくれているとは思うが、それでも迫力を感じてしまう。
「ま、まあ……中野さんが友達とやってるゲームを、俺も誘ってくれたりとか。読書部でパーティゲームやることになったとき、事前に練習に付き合わせられたりとか……」
「……それだけですか?」
「他には、受験勉強を図書室でやったりとか。俺はオマケみたいなものだったんだけど」
「みんな一緒じゃないと、ナギセンって誘ってもつれないんだよね。だから、二人だけっていうのはあんまりなくて」
「そうだったんですね……」
鷹音さんが胸に手を当てて、ふっと微笑む。心なしか張り詰めていた空気が和らぎ、安堵する――中野さんはそんな俺を見て、楽しそうに微笑む。
「ナギセン、今度からは鷹音さんも一緒に遊べるね」
また中学での読書部と近い空気になるんだろうか。高校になり、部員の顔ぶれも変われば、そうはならなさそうではある。
しかし鷹音さんは、俺や中野さんがやるようなゲームなどに興味があったりするんだろうか――そんなことを考えていると。
「はい、良かったら私も誘ってください」
「うんうん、遠慮なく誘っちゃう。カラオケも楽しみだねー、さっき聞いてみたら霧ちゃんも都合ついたら来てくれるって」
「っ……そ、そうなのか……」
スマホがあればいつでも連絡を取れるとはいえ、まさか俺たちと話しているうちにそこまで話を進めているとは――中野さんはやはり油断ならない。
「じゃあ次の休みあたりで。それともゴールデンウィーク中とか?」
「その辺りはそれぞれ予定もありますから、改めて相談して決めましょう」
「おけまる! ナギセンも友達呼ぶなら言ってね、うちがみんなに連絡するから。そうだ、まだ希ちゃんとしてなかったよね、アドレス交換」
「はい、お願いします」
中野さんは流れるようにスマホを操作して、アドレス交換をあっという間に済ませてしまう。
「一応うちらのグループ作っておいたけど、二人とも間違えてのろけを投稿したりしないように」
「い、いえ……それは、間違えたりしません。ですが、チェックは二重にします」
「あ、やっぱりそういうのってあるの? 二人の間のラブなやりとり……やば、自分で言っててめっちゃ体温上がってきちゃった」
「勝手に色々想像して、そんなことを言われてもな……」
「こうやってクールを装ってるナギセンが可愛いんだよね……って目で希ちゃんが見てるよ?」
「……装ってるのかどうか、確かめてみるか?」
「やー、ナギセンが虐めるー。でも怖くないよ、そうやって怒ったってね、こうやって希ちゃんをバリアにするから」
やりたい放題の中野さん――しかし鷹音さんがじっと見つめると、はしゃいでいた彼女も大人しくなる。
「私は薙人さんの味方なので、中野さんの盾にはなってあげられません」
「はーい、分かってまーす。ちょっと二対一って寂しいなと思って、調子に乗っちゃいました。ナギセン、希ちゃんは君に返すぜ」
「あ、ああ……って、中野さん?」
「本屋さんに行くって話だったけど、うちは昨日行ってきたばかりだから、二人でゆっくり見てきて。それで面白い本あったらまた教えてね」
中野さんはそう言って手を振り、一人で行こうとした――のだが。
鷹音さんは中野さんの手をしっかと握って引き止める。
「中野さんも一緒に行きませんか? 本屋さんはすぐそこですから」
「……あれ? うちが気を利かせてかっこよく立ち去るところだったのに、どうして捕まえられちゃったの?」
「鷹音さんがそう言うなら、三人で行きたいな……っていうことで」
「……えー、ほんとにいいの? うちも一緒に行ったりして。読書部で読む本とか関係なしに、ナギセンにマンガとか勧めちゃうよ?」
「私も興味があるので、中野さんのお勧めの漫画を教えて欲しいです」
鷹音さんが手を離すと、中野さんは照れたようにこちらを見てから、先に書店に入っていく。
「……中野さんは、凄く気遣いをする人なんですね。そう見えないようになさっていますが」
本当によく見ている――しかし、中野さんについて、中学からの知り合いである俺から言わせてもらうと。
「俺もそう思うけど、半分くらいは素なんじゃないかな。天然なところがあるし」
「天然……ですか?」
鷹音さんの耳にはあまり入らないだろうか――あまりいいニュアンスでは使われないが、勿論悪い意味でもない。
「面白い、ってことかな」
「ふふっ……そうですね。中野さんの自然体なところは見習いたいです」
俺が天然と表現するところを、鷹音さんは自然体と表現する――意図はそれほど遠くないだろうか。
「あー、ちょっと二人にしただけでいい雰囲気になってる。こっそり見守っててもいい?」
「わ、悪い……今行くよ」
「すみません、中野さん」
「いいよー、うちは今日混ぜてもらっただけで嬉しいから。希ちゃんのことやっぱり好き。また告白しちゃいそう」
「ごめんなさい、中野さん」
「わー、同じ謝られてるのでも全然意味が違う。ナギセン、この幸せ者っ」
中野さんは鷹音さんと一緒に店に入っていく。鷹音さんはクラスでも人望があるし、中野さんも何だかんだで懐いているようだ。
それにしても、そんなに警戒することはないと自分に言い聞かせはするのだが、中野さんに爆弾を持ち込まれてしまった――朝谷さんと遊びに行くとか、今までの経緯からして簡単に実現していいものなのだろうか。
――間接キスのこと、言っちゃった。
朝谷さんは、俺を翻弄するようなつもりであんなことを言ったわけじゃないと思う。だが、鷹音さんは俺が思っているより、朝谷さんから俺とのことを聞いているかもしれない。
やましいことは何もない。朝谷さんも俺と鷹音さんを友達だと言っている――鷹音さんを裏切るようなことにはならないし、これからもそんなつもりはない。
気持ちを切り替えて店に入ると、鷹音さんと中野さんは朝谷さんが出ている雑誌を一緒に見ていた。立て続けにプレッシャーをかけてくるのはやめてもらいたい。
◆◇◆
本屋での買い物を終えたあとで中野さんと別れ、駅まで鷹音さんを見送ったあと、俺はいつも通っているジムに向かった。
そこで流々姉と合流し、トレーニングウェア姿の彼女と向き合って何をしているかというと――キックを受け止める役割だ。
「――えいっ!」
鞭のようにしなるミドルキック――パァン、とキックミットが気持ちのいい音を立てる。
「流々ちゃん、今日もキレのあるいいキックね」
「そんなことないです、最近来られてなかったので、ちょっとなまっちゃいました」
「あはは、そっか。なっちゃんは大丈夫? 私が代わってあげようか」
「先生、そろそろ『なっちゃん』は……俺も高校に入ったので」
「そう? 私にとってはいつまでも可愛い教え子なんだけど」
俺と流々姉が通っているジムの娘さんで、トレーナーをしている彼女は
ふわっとしたミディアムヘアの女性で、いつも快活に笑っている印象だが、格闘技を教えるとなると雰囲気ががらりと変わる――俺もかなり彼女にしごかれたものだ。
「先生、聞いてください。なっくん、最近彼女さんができたんですよ」
「ちょっ……流々姉、そんな藪から棒に……」
「……何それ、聞いてないんだけど? そこのところ詳しく」
「私もまだそんなに聞いてないので、これからちょっとずつ聞いていこうかなって思ってるんです」
弟を前にそう宣言する流々姉。防具をつけていて勇ましい格好なので、ちょっと迫力を感じてしまってツッコミが入れ辛い。
「なっちゃんがねえ……もうちょっと先だと思ってたけど、中学校のうちから付き合っちゃうような子も多そうよね、最近は」
「せ、先生。今日はトレ―ニングに来たんであって、そういう話は……」
「まあまあ、後でご飯おごってあげるから」
「そんなことでは懐柔されないですよ……と言いたいところですが、全然聞いてくれる気はないみたいですね」
「分かってるじゃない、私の性格。この歳になるとね、若い子の恋愛話でも聞いて潤いにしたくなるのよ」
「私もなっくんが相談してくれるとすっごく嬉しいんです。夜中に部屋から電話してる声が聞こえてくると、なっくんも大人になったなってしんみりしちゃうんですけど」
そのまま廊下で聞いているというのは控えてほしいが、それほど壁が厚いわけでもないのでいかんともしがたい。
「まあ、その話は置いておいて……なっちゃん、どう? ここで練習したことは何か役に立ってる?」
「はい、色んなところで役に立ってます」
「そっか、良かった。うちに来てもらうようになって随分立つけど、なっちゃんは選手でこそないにせよ、私の自慢の教え子だからね。もちろん流々ちゃんも」
「ありがとうございます。体力テストとかで毎回すごいって言われます、ジムでいろいろ鍛えられてるので」
「あはは、流々ちゃんは私とでもスパーリングできるくらいだしね」
護身術として習い始めたキックボクシングの実力も、俺が流々姉に頭が上がらない理由の一つだったりする――正直を言って、普段のゆるふわな雰囲気からは想像もつかないくらいに流々姉は強い。
「じゃあ最後もう少し受けてもらおうかな。なっくん、大丈夫?」
「ああ、いつでも来い」
流々姉が笑って、キックミットを構えた俺に鋭い蹴りを放ってくる――綺麗なフォームから放たれる蹴りを受け止める。流々姉の額には汗が光っていて、薄手のウエアも汗で濡れている。
「今日、なっちゃん以外は女の子ばかりで良かったわね」
(……?)
瑛先生のつぶやきの意図が一瞬測りかねて――すぐに気がつく。流々姉のウェアが汗で透けて、その下の線が――しっかりしたタイプのスポーツブラの形が浮いている。
「先生、何かおっしゃいましたか?」
「ううん。頑張れ弟くんって言ったのよ」
「っ……え、瑛先生、ちょっと俺と交代してもらって……」
「なーに言ってんの、最後までしっかり受けてあげなさい。情けないこと言ってると筋トレ追加するよ?」
「いくよー、なっくん。お姉ちゃん最後は思いっきりいくからね」
(ちょ、待っ……!)
俺の内心の同様などつゆ知らず、流々姉が放った華麗なキックは、見事に俺の体勢を崩してくれた――受け身を取って転がり、仰向けに倒れる。
「なっくんっ……大丈夫!? お姉ちゃんやりすぎちゃった!?」
「……大丈夫。俺もまだまだ、練習不足だ……」
「お疲れ、なっちゃん。約束どおりご飯おごってあげるから、シャワー浴びて着替えてきなさい」
瑛先生は俺の手を引き起こすと、全く悪びれずに笑っていた。俺が動揺した理由は分かっているとは思うが、あえて口にはしない――その気遣いには感謝すべきだが。
「はー……先生、どうして笑ってるんですか?」
「ううん、忠実で可愛い弟を持つとお姉ちゃんは心配よね、色々と」
「忠実っていうことはないですよ? 私はなっくんの自主性を重んじてるので」
「るー姉、練習上がり? 私たちも一緒に上がっていい?」
「うん、いいよ。みんなお疲れ様、今度は一緒に練習しようね」
『はーい』
中学生でジムに通っている女の子たちが、流々姉の周りに集まってくる。流々姉はその性格もあり、俺に対してだけでなく姉的なポジションで、後輩女子に慕われているのだ。
しかし今日のキックはしばらくぶりなのに、今までにない威力を感じた。流々姉がストレスを溜めたりしてはいないか――と心配してしまうあたり、不本意ながら、俺は瑛先生の言う通り忠実な弟なのかもしれなかった。
※この場をお借りしてお知らせさせていただきます。
本作「高嶺の花の今カノは、絶対元カノに負けたくないようです」の
書籍化が決定いたしました!
5月1日に角川スニーカー文庫さまより発売予定となっております。
すべて読者の皆様のお力によるものです、改めて感謝を申し上げます。
イラスト担当の「Rosuuri」先生による、希と霧の向かい合うイラストが
目印となっておりますので、書店様などでお見かけしましたら、
ぜひチェックをいただけましたら幸いです!
全編に渡って修正・改稿を行い、書き下ろしのエピソードも追加されております。
引き続きカクヨムでも執筆を続けて参りますので、今後ともお付き合いを
いただけましたら幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
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