ACT5-2 お預け
三限目の体育は、グラウンドでの陸上競技だった。この陽気の中で校舎の外周を走ったが、調子はまずまずといったところだ。
男子更衣室で着替えたあと、昇降口から校舎に入る。
そのとき、体育館から移動してくる女子の集団が目に入った。
鷹音さん――今日は室内で体操だそうだが、どんなふうに授業を受けたんだろう。女子だけの授業は男子にとって聖域に等しい。
(なんて、考えてる場合じゃない……今がチャンスなんじゃないのか?)
朝からまともに話せていないし、鷹音さんは授業の合間にはスマホを見ないので、直接でないと話す機会がない。しかし女子集団から鷹音さんが離れてこちらにやってくるということも――。
無いだろう、と思った矢先。俺の存在に気づいていた鷹音さんが、こちらに歩いてくる。
渡り廊下から校舎に行く人の流れから自然に離れているから、目立ったりもしていない。今なら自然に話せる、と俺は鷹音さんに向けて手を上げる。
「あ、やっぱりナギセンだ。今体育終わったところ? なんて、うちらもだけど」
「な、中野さん。俺たちも終わったとこだけど……」
「鷹音さん、どうしたの?」
「っ……はい、今行きます」
同じクラスの女子に声をかけられて、それでもこちらに来ると目立ってしまう。話せるチャンスだったが、この状況では仕方がない。
「希ちゃんも霧ちゃんも凄かったよー、次から創作ダンスやるんだけど、班のリーダーやって引っ張ってくれてて」
「そうなのか……中野さんは?」
「うちは希ちゃんのとこでやってるよー。あ……ごめん、今希ちゃん、ナギセンと……」
「い、いや。それは大丈夫だけど」
「ごめんね、空気読めなくて……分かりました、次のときは、鷹音さんと二人になれるようにうちも協力するから」
「そんなに気を遣わなくても大丈夫だよ」
当の中野さんが、ある意味鷹音さんをブロックしてしまったわけだが――と、怒るわけでもなく、素直に感謝しておく。
学校で鷹音さんと二人の時間を作るには、女子にも事情を知ってくれている人がいた方がいい。中野さんがその一人になってくれたら――というのは都合がいい話か。
◆◇◆
四限の終わりに挨拶をして着席するとき、鷹音さんがさりげなくメモを渡してくれた。
学食で待っていてください、とある。お互いに弁当だというのは確認していたので、昼は一緒に摂ろうということだ。
ここまでほとんど話せていなかったので、多少気がはやりつつも、まず先に席を立って教室を出る。高寺と荻島は購買に行くと言っていたので、健闘を祈って送り出した。
学食に着くと、定食などのランチを頼む生徒が列を作っている。それを横目にテラス席に出ると、皆は屋内の席の方がいいらしく、まばらに埋まっているくらいだった。
(なんか、さっきから見られてる感じがするんだけど……気のせいか?)
廊下に出てしばらくしてから、何となくそんな感じがする。テニス部の先輩とは一悶着あったし、また因縁をふっかけられる可能性もあるか――と思うが、まあその時はその時だ。
いつもの席に座って、弁当をテーブルの上に置く。すると、スッと視界が暗くなる。
誰かが日陰を作っている。この近くに座ろうとしているのかと思ったが、その人はなかなか動かない。
「あの」
「……え?」
声をかけてきた女子は一年生のようだが、別のクラスのようで、同じ中学というわけでもない。完全な初対面だ。
肩くらいの長さの髪は、先を遊ばせている感じで少しカールしていて、少しギャルっぽい感じもする――切れ長の瞳は鋭く、同じギャル系でも中野さんとは違うタイプだ。
こんな見るからに陽キャラという女子が、俺に何の用だろう。もしかして、この席に座ると心に決めていて、退いてほしいとかだろうか。
「ここの席、使うんだったら……いや、俺もできればここの方がいいんですが」
「鷹音さんと、一緒に帰っていた人ですよね。A組の」
「っ……」
鷹音さんの知り合いという線を、全く考えていなかった。そして、彼女が俺を見る視線が鋭いのは――これは、敵意を向けられてるということか。
一緒に帰ったのは一度ではないが、いつのことだろう。どちらにせよ、彼女は俺と鷹音さんが一緒に帰るところを見ていたということだ。
「私は鷹音さんと同じ中学だった、酒井雛と言います。彼女が生徒会長で、私は副会長でした」
「じゃあ、鷹音さんとは友達ってことかな」
「と、友達……というか……私が憧れているというか。とにかく、どうなんですか? 鷹音さんと一緒に帰っていたのは、貴方ですよね?」
今言うべきなのかどうか――できるなら鷹音さんと相談してからにしたいが、一緒に帰っていた理由を説明するには、鷹音さんが俺の彼女だからと言うのが一番早い。
でも、それを言うと、何となく酒井さんにショックを与えてしまいそうな気がする。気が強そうにも見えるが、鷹音さんに憧れていると言った時の彼女は繊細さを感じさせた。
「いつ酒井さんが見てたのかは分からないけど、たぶん鷹音さんと一緒にいたのは俺だと思うよ」
「やっぱり……良かった、人違いじゃなくて」
「俺に何か?」
「それは……」
聞いてみても、酒井さんはいざとなると言いにくいことなのか、少し迷っているようだ。
「お待たせしました、薙人さん……あっ……」
そのうちに、鷹音さんもやってくる。酒井さんは鷹音さんを見るとビクッとして、何やら落ち着かなそうにする。
「あ、あの……た、鷹音さん……」
「しばらくぶりです。酒井さんは、クラスには慣れましたか?」
「はい、それは……友達もできましたし、クラス委員に立候補して、なんとかやってます」
「そうなんですね。私も図書委員になりました。部活も読書部にしたんです」
「……クラス委員じゃなくて、部活も読書部ですか?」
「はい。テニスは、中学校の時にやりきったつもりですから」
鷹音さんがはっきりと言う。酒井さんの横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「鷹音さんは……生徒会に入る予定は、ないんですか?」
「はい。図書委員の仕事も、部活もありますから」
「読書部なら、余裕はあるはずです。それに図書委員でも、生徒会の推薦を受ければ、役員の研修を受けるために生徒会室に出入りできるって聞きました……っ」
酒井さんの声に熱がこもる。その様子を見れば、彼女が何のためにここに来たのかは感じ取れた。
酒井さんは高校でも、鷹音さんが生徒会に入ると思っていたのだろう。そうならなくて、その真意を確かめにきた――ということなのか。
しかしそれで俺たちが帰るところを見ていて、話しかけられなかったというのは、何というか想像してみても切ないものがある。
「酒井さんは、生徒会に入るんですか?」
「は、はい。二年生になったら選挙に出るつもりですが、今年の後期から書記か会計に入れればと思っています。ですから、鷹音さんも……」
「……すみません、今のところは、生徒会に入ることは考えていません」
「そう……ですか……」
酒井さんがこちらを見やる。責めるような目でもなく、どこか申し訳なさそうで――でも、最後にはきっと少し睨むようにして、鷹音さんに会釈をして行ってしまった。
「鷹音さんの、中学の時の友達ってことでいいのかな」
「その……生徒会で一緒でしたが、一緒に遊んだりとか、そういうことはありませんでした」
「そうなのか。結構何ていうか、生徒会とかやりそうにないっていうか、そんなイメージだったけど。人は見かけによらないな」
「中学の時は、派手でも真面目っていう自分のギャップが好きなんだと言っていました」
それは――気が置けない関係でなければ、なかなか話さないようなことなんじゃないだろうか。
「明るい人で、私のことをよく助けてくれました。彼女自身でも、生徒会長ができるくらいみんなを引っ張る力があると思います」
「鷹音さんは、酒井さんと生徒会をやっててどうだった?」
「それは……」
鷹音さんは少し考えている様子だった。高校では中学までと違ったことをすると鷹音さんが決めたのなら、それは良いことだと思う。
それでも、鷹音さんと酒井さんが話しているところを見て思った。鷹音さんは生徒会に関しては、絶対に入らないなんて決めてしまうことはないんじゃないかと――それも、一番優先するべきは鷹音さんの考えではあるけれど。
「……私は、できるだけ薙人さんと一緒に……」
「あ、鷹音さんいたー。霧ちゃーん、鷹音さんいたよー」
「「っ……!?」」
鷹音さんが「どうしよう」という目で俺を見る。鷹音さんだから「どうしましょう」だろうか。いずれにしても、今のところは付き合っていると大々的に知れたらまずい――ような気がする。
声をかけてきた山口さんがこっちにやってくる前に、鷹音さんが出迎える。山口さんの視界に俺が入ってしまう前に。
「鷹音さん、誰かと一緒だった?」
「っ……い、いえ。大丈夫です」
「そっか、良かった。向こうに霧ちゃんたちいるから来ない? 中野さんもいるよ」
「はい、お邪魔します」
山口さんが歩き始めたところを見て、鷹音さんがちら、とこちらを振り返る――そんな顔をされると俺も胸がキュッとなるような、子犬みたいな目をしている。
それでもこうなってしまったら仕方ないので、鷹音さんは小さく会釈をして、朝谷さんたちのグループと合流した。
(鷹音さんのことを、子犬みたいとかって思っておいて……お預けされてるのは、俺のほうだ)
昼休みは余裕が欲しい方なので、甘んじてこのまま弁当を食べ始める。朝、一緒に弁当を作っている時の流々姉の姿が脳裏をよぎった。
――お姉ちゃん気合い入れて卵焼き作ったから、のぞちゃんに一つおすそ分けしてあげてね。代わりに「あーん」してもらったら?
言いたい放題の姉だが、そういった恋人らしい時間はまたの機会となった。
姉さんの卵焼きには今日はチーズが入っており、懐かしくも俺が好きな味だった。放課後こそ鷹音さんと――そう思いながら白米を噛み締める。
だが同時に、二度あることは三度あるなんていう縁起でもない考えもまた浮かんできてしまって、思わず頭を振ってしまった。
このままでは不審に思われてしまいかねないし、こんなことを思ってはいけないと分かっているが――鷹音さんが足りない。隣の席に座っていてもこんなに話せないとは思わなかった。
付き合っていることを自然にクラスに浸透させるなんて巧妙な立ち回りは俺にはできない――と苦悶していると、メッセージが送られてくる。
『ナギくんごめんね、山口さんが鷹音さんを誘おうって言い出して、駄目って言えなくて』
『ナギセン、なんとかして流れを変えようとしたんだけど、学食に二人でいるとか言わない方がいいよね?』
二人が謝ってくる――二人とも、俺が鷹音さんと待ち合わせていたのは知っているということか。それはそれで恥ずかしくなってくる。
二人に気にしないでいいと返信する。朝谷さんも中野さんも秘密を守ってくれているのだから、そこは不可抗力というほかはなかった。
そうまでして隠す必要があるのかというと、それも照れがあるというくらいなのだが。まだ付き合い始めなので、慣れてくるとまた変わってくるだろうと思いたい。
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