ACT5-3 読書部初日
午後の授業を乗り切り、ホームルームに辿り着く。
鷹音さんの隣だと、気を引き締めて授業に集中することができた。彼女が当てられて古典の教科書を朗読したりなんかすると、その声はいかにも雅であり、『をかし』と『あはれ』の協奏曲が――と、余韻に浸っていてはいけない。
「みんな、今日もお疲れ様。明日のロングホームルームで、来週のオリエンテーリングの班割りをします。毎年完全にランダムになるように決めてるので、どの人と一緒になってもいいように心構えをしておいてね」
はーい、と皆が返事をする。クラスの雰囲気が緩い感じだが悪くはないのは、先生が引き締めるところは引き締めるが、基本は放任というタイプだからだろうか。
「それじゃ、山口さんお願いね」
「はい。きりーつ」
鷹音さんがクラス委員になると思っていて、自分が立候補したことを引け目に感じていたらしい山口さんだが、鷹音さんと話すことができてから表情が明るくなっていた。
誰もが鷹音さんのことを認めていて注目しているのに、鷹音さん自身はとても控えめで、あまり前に出たがったりすることはない。けれど、求められたら前に出るような、責任感が強いところがある。
べた褒めするような考えしか頭に浮かばない。こんなだから、隣にいる鷹音さんに何気なく話しかけることさえできない――彼女はメモを渡したりしてくれているのに。
だが、起立して礼をして解散となれば、ようやく放課後だ。一緒に帰ろうかと誘うならどのタイミングか、努めて平然と帰り支度をしながらも、頭の中はフル回転している。
(――ん?)
つんつん、と左の肘に何か触れたような――と思ったところで、身体に電流が走る。
鷹音さんだ。鷹音さんが、何か伝えようとしている。
解散したばかりのクラスの騒々しさの中なら、鷹音さんにだけ聞こえるように伝えられるかもしれない。
「鷹音さん、今日――」
「今日は部活の日だから、部活に入ってる人はできるだけ出席してねー」
これから一緒に帰れるかな、と言おうとしたまさにその瞬間、先生によってインターセプトされる。
「ナーギセン、希ちゃん。私も一緒に部活行ってい?」
当然の如くそういう流れとなる。思わず天を仰ぎたい気分になるが、そんな当てつけがましいことをするでもなく――鷹音さんと顔を見合わせて、そうしても問題ない状況にささやかな幸福を感じながら、二人で答えた。
「もちろん」
「はい、一緒に行きましょう」
◆◇◆
図書室に行くと、もう二年と三年の先輩方が来ていて、それぞれ大きなテーブル二つに分かれて座っていた。
「あ、新入部員の子たち? うちの部を選んでくれてありがとう、部長の
「……副部長の……
制服からすると烏沢さんは三年生で、佐上さんは二年生らしい。烏沢さんの方はサバサバとしたお姉さんという雰囲気で、佐上さんはレンズの厚い眼鏡をかけており、すごく声が小さい。
「それと、視聴覚室でみんなで映画見たりすんの。映画部もあるんだけど、読書部の場合は本が映画化されたやつを見るわけね。よく考えてるでしょ?」
「……烏沢先輩がすすめるのは……ホラーが多いので……でも、みんなで見ると面白いですよ……恋愛の映画も、見ますけど……」
「まあ映画より読書がメインだけどね。じゃあ、まず学年ごとに自己紹介しよっか。一年生はそっちのテーブルに座ってね」
俺が座る席を決めると、鷹音さんが隣に、中野さんが向かいに座る――そして。
斜向いに座った生徒を見て、俺も鷹音さんもただ驚くしかなかった。
酒井さん――どの部活に入るとは言っていなかったし、読書部に入ると鷹音さんが言ったときも、そんな素振りは見せていなかったのに。
彼女は「入部しましたが何か?」という顔で俺を見て、鷹音さんには微笑みかける。それを見た中野さんが混乱している――酒井さんと俺たちが知り合いなのかということだろうが、後で説明するしかない。
「一年A組の千田薙人です。どんな本も読みますが、特に推理小説が好きです」
「一年A組の鷹音希です。古典ミステリ小説と、外国の文学や絵本が好きです」
「一年A組の中野唯です。話題になった本は結構読んでます、映画になってるやつとか」
一年生の新入部員は六人で、部員は全部で二十人だ。皆の自己紹介を聞いていると、色々読むという雑食の人が多かった。
「一年C組の酒井雛です。普段はあまり本を読みませんが、好きな本を探したいと思ってます」
酒井さんはやはり、急に読書部に入ることを決めたみたいだ――普段本を読まないって、素直に言っている。
全員に自己紹介が回って、部長の烏沢さんが席を立つ。そして、ホワイトボードに「自由活動」とマーカーで書いた。
「事前に顔出してくれた子には、部活の時間に読む本を決めといてって言ったんだけど、今日が初めての子もいるから。ふだんはあんまり騒がしくしちゃいけないんだけど、許可取ってあるんで、お喋りしてもいいし、図書室の本読んでもいいし、本格的な活動は次からっていうことで。明日から来てもいいけど、基本的に集合するのは毎週水曜の部活の日ね」
「……用事がある人は、早く帰ってもいいですが……一言、私か部長に声をかけてください」
事前に買ってきた本を持ってきているが、そういうことなら何か話した方がいいだろうか。もっと具体的な本の好みとかでなくても、雑談とかでも良さそうだ。
だが、それより何より――やはり気になるのは、酒井さんが読書部に入部した動機の本当のところは何なのかだ。
「雛ちゃんって可愛い名前だねー。中学の時は何部に入ってたの?」
「私? 剣道部だったけど」
中野さんに対する態度と、鷹音さんに対する態度では全然違う――というか、酒井さんの素はもしかしたら今の方なのか。
「ねえ、それよりちょっといい? 中野さんもAクラスなんだよね」
「うん、千田くんと鷹音さんと一緒だよ」
「ふぅん……そうなんだ。三人とも、仲良いの?」
「千田くんとは同中で、ふだんは薙人くんだからナギセンって呼んでるの。鷹音さんとはまだ知り合ったばかりだけど、希ちゃんって呼ばせてほしいかなって思ってて」
「っ……そ、そう……希ちゃん……」
「いえ、その……その呼び方は恥ずかしいので、名字で読んでもらいたいと思っています」
鷹音さんがそう言うと、緊張していた他の一年生女子たちも、鷹音さんを名字で呼ぶことに同意している。話を聞きながらうんうんと頷く子というのは、往々にして真面目だ。
酒井さんは何かショックを受けてしまったようだが、それはやっぱり中野さんの鷹音さんに対する距離の詰め方が凄いことに対してだろう。
ここは女子同士の話の聞き役に回ることにする。鷹音さんが話すたびにこちらを見てくれるのが微妙に照れる――表情が緩まないようにしなくては。
◆◇◆
少し話したあと、図書室の中の本を見て、気になるものがあったら読んでもいい時間となった。
掃除の時に蔵書の一部を見ているので、今日は違う棚を見てみることにする。映画になった本というとベストセラーだが――確か恋愛小説なので、積極的には食指が伸びていなかった。
「――薙人さんが気になるのは、この本ですか?」
「っ……た、鷹音さん」
最初は別行動だったので、鷹音さんが近くに来ていると気づかなかった。
同じ部の部員なのだから、もう普通に話してもいい。
でもいざそうなってみると、胸がいっぱいで言葉が出てこない――何度もお預けをされている気分を味わったからか。
「これ、一年前くらいに映画になってたんだよな」
「私も、少し気になっていました。恋愛の小説ですが、ミステリの要素があるので」
「そうなんだよな。うちの姉さんは映画だけ見たって言ってて、結構泣いたってさ……そういえば、今日の昼の弁当も、鷹音さんに食べてほしかったみたいなんだけど」
「すみません、ご一緒できなくて……山口さんに上手く説明できれば良かったんですが」
「まあ、お昼を一緒に摂るのは時々になるのかな。毎日だったら、俺としては最高なんだけど……」
「……薙人さん……」
思っていることは素直に言わなければ仕方がない。毎日というくらいの気持ちでいる、それくらいじゃないと、鷹音さんは人気があるから、昼食どきに一緒にいられる日は限られてしまう。
――けれどそれは、束縛してしまってるってことにならないだろうか。毎日というのは言い過ぎだったろうか、訂正しようか――いや、と考えていると。
「……私もです。できるだけ、薙人さんと一緒に……いつも、そう思っています」
「っ……」
そんなことを言われると、非常に困る。こんなところで、考えることじゃないのに。
手を繋ぎたい。そうでなくても、彼女に触れたい。人を好きになると、そんなことを自然に思うものなのだと実感する――でも、図書室で、それも部活の最中に考えるのはどうかしてる。
「一緒に、読んでみませんか?」
「……えっ?」
浮かれたことを考えてはいけない。そう思っていた矢先に言われて、思考が停止する。
「……読書部ですし、一冊だけ読みたい本があるのなら、一緒に読むのも良いと思って」
「あ……そ、そうか……」
普通は文庫よりサイズの大きいハードカバーでも、二人で一緒に読んだりすることはないだろう。
それにこの作品は恋愛要素も軸に入っている。男女で一緒に読んでいたら、それはそういうことと受け取る人もいるくらいの――というのは、考えすぎか。
「鷹音さん」
そろそろ来るだろうか、という気はしていた。その通りになると、思わず苦笑いしてしまいそうになる。
酒井さんが、鷹音さんを探しに来ていた。彼女はこちらにやってくると、俺の存在などそこにいないかのように、鷹音さんだけを見て言う。
「鷹音さんの、お勧めの本って何かありますか? ……あっ、それって、去年映画になった本ですよね。『山羊と西瓜』」
「はい。前から気になっていて、でも手に取る機会がなかったので」
「私もお勧めしたい本を見つけたんです。向こうで一緒に話しませんか? テーブルも空いているので」
中野さんと話している時とは全く違う――というか、中野さんが少し離れた書棚の陰から、申し訳なさそうに両手を「×」にしている。もしかすると、酒井さんを足止めしてくれようとしたとか、そして失敗したとかだろうか。
「……駄目ですか?」
ここまで来ると、酒井さんはただただ鷹音さんが好きなのだろうと思う。生徒会役員になることを視野に入れているような人が、鷹音さんの前だと常に緊張していて、一言話すだけでも勇気が必要そうなのが伝わってきて。
そんな人に対して、俺は――鷹音さんと一緒だから邪魔をしないで欲しいとか、そうまでは邪険にできない。彼女の鷹音さんに対する感情は、ひたすら「尊敬」の一色だからだ。
鷹音さんは俺を見る。鷹音さんが折角誘ってくれたのだから、という思いはある――でも。
――制服の裾を、鷹音さんがきゅっと掴む。そして、驚いている酒井さんに告げる。
「千田くんも一緒でいいですか? 私は、千田くんの『今カノ』なので」
「――!?」
ここで言うべきなのか――いや、いつ伝えても良かったのか。
そして「彼女」じゃなくて「今カノ」とあえて言うと、色々想像させてしまわないだろうか。酒井さんはもちろんそれどころじゃない様子だが。
「っ……、っ……!」
酒井さんがこちらを見る。思い切り顔が赤くなっていて、何か言いたそうで、口を動かしても声が出ていない。
「……駄目ですか?」
「……いえ」
怒られたりするかと思ったが、酒井さんは震えるような長い息をついたあと、もう一度俺を見る。顔は赤いままだが、表情は落ち着いていた。
「言ってもらえて良かったです。そういうことなら、あれだけ仲良さそうに歩いていたのも納得できますし……ああっ、私、これじゃただのお邪魔虫……」
「……酒井さんは、読書部を続けますか?」
何のために入部したのかを考えたら、酒井さんは入部を止めてしまってもおかしくない。
しかし酒井さんは少し離れたところにいる中野さん、そして他の一年生を見た後、鷹音さんに向き直って言った。
「……剣道は個人的に続けていて、学校では文化系の部にしようと思っていたので」
「じゃあ……読書部で、これからも一緒ということですね」
「っ……は、はい、それは、鷹音さんと千田くんがお付き合いをしているからって、辞めたりはしません」
「すみません、そのことですが、あまり広まってしまってもいけないので……」
「はい、分かってます。私も誰かと付き合う時は……い、いえ、そういうことはまだ全然ありませんが、学校では秘密にする方がいいと思っているほうなので。なので、分かります」
「ありがとうございます、酒井さん」
鷹音さんがお礼を言うと、酒井さんは物凄く嬉しそうにする――いや、顔に出さないようにしているのだろうが、目がキラキラしているので分かってしまう。
「その……千田くん、今までのことは謝ります。私、鷹音さんが急に中学の頃から考え方が変わってしまったような気がして……そんなこと、私は心配させてもらえるような立場では無いんですけど」
「いや、謝ることないよ。酒井さんは鷹音さんが好きなんだなっていうのは、何となく分かってたし」
「っ……す、好きというか……その……」
「ようやく出てきてもいい空気になった……? 希ちゃんにナギセン、酒井さんと仲良くなったの? 私も混ぜてもらっていい?」
「……あなたは、鷹音さんの何なんですか? お友達ですか?」
「希ちゃんには憧れてて、告白までしたくらいの関係でーす。なんちゃって」
「っ……わ、私は、中学の時生徒会でずっと一緒だったんだから。中野さんより先を行ってますから」
「酒井さん生徒会だったんだ、すごーい。雛ちゃんって可愛い名前なのにね」
「な、名前は生徒会と関係ないでしょ。そっちだって人のこと言えるの?」
「私より雛ちゃんの方が可愛いよ。どこの美容室行ってるの? めっちゃキューティクル綺麗で気になっちゃった」
「こ、これは……それほどでもないけど、駅前の……」
何というか、中野さんと酒井さんが火花を散らしている――というより、こうなってみるとじゃれ合っているようにしか見えない。
鷹音さんがこちらを見る。中野さんと酒井さんのじゃれ合いに戸惑っているということもなく――彼女は俺の服の裾を引いて微笑む。
――今のうちです。
そう、鷹音さんが伝えようとしてくれているのが分かって。俺は本を持った鷹音さんの後についていく。
「あっ……待って中野さん、鷹音さんが……っ」
「まあまあ、私にも雛っちのお勧め本教えてよ」
「ひ、雛っち……ああっ、ちょ、ちょっと、何引っ張ってるの……っ」
中野さんに捕まった酒井さんには申し訳ないが――俺を引っ張っていく鷹音さんは、どこか楽しそうだった。
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