ACT2-7 今カノの対抗心

 鷹音さんと一緒に入部届を出し、俺たちは晴れて同じ読書部になった。


 職員室にいた顧問の小林先生は、妙齢の――と言っていいのか、女性の先生だった。スーツ姿がパリッとしていて厳しそうに見えるが、俺たちを見ると嬉しそうに微笑む。


「鷹音さん、中学校まではテニス部だったんでしょう? 顧問の先生、きっと残念がるわよ。今年一番の大型新人だから」

「ご期待に沿うことができなくて、申し訳ありません。高校受験の勉強をするために引退して、あとは趣味で続けることにしたんです」

「ああ、テニス部の先生と話すことがあるから、ちょっと説明をどうしようかって思っただけ。でもそういうことなら、私は鷹音さんの考えを尊重するわよ。一度しかない高校生活、好きにやるのが一番だから」

「ありがとうございます、先生」


 思ったよりもざっくばらんな感じはするが、生徒のことを考えてくれる良い先生みたいだ。もし『テニス部の先生に悪いから』と言われてしまったらと、少し身構えてしまった。


「ええと……探りを入れてるってわけじゃないから、気楽に聞かせてね。先生がこんなこと言うのもなんなんだけど、二人はどういう関係?」

「っ……ま、まあその、まだ知り合ったばかりですが、気が合うというか……」


 考えてみれば、一緒に入部届を出したりしたら、そういう質問をされることも当然といえば当然だ――模範解答を考えていなかった。


「千田くんとは希望の部活が同じだったので、二人で来ました」

「そうなの……いいわね、青春って感じで」

「は、はい……いえ、そ、それは……」


 先生は冗談のつもりだったようで、鷹音さんの初々しい反応を見て楽しそうにする。鷹音さんは動揺を見せないように努めているようだが、髪を耳にかける仕草に出てしまっていた。


「ふふ、まあ部活って人との出会いの場みたいなところあるしね。気の合う相手を見つけて、部活でもそれ以外でも楽しくやるのが一番よ」

「はい、先生」

「いい返事。こういうときに迷ってるような顔の子は、部活来なくなっちゃうのよね。二人はちゃーんと、部活の色々に付き合ってくれそう」


 色々――というと、中学の読書部がそうだったように、本を読む以外にも何かしたりするということか。


「新入部員は、どういった予定で部活に参加すればいいでしょうか?」


 鷹音さんはすでにペンと手帳を取り出している。先生は感心するように目を瞠りつつ、少し考えるように視線を斜め上に向けた。


「最初の顔合わせは来週あたりで考えてるから、それまではまず学校生活に慣れることを優先していいわ。読書会をどんなスケジュールでやるかとかは、その顔合わせのときにざっくり決めるから」

「ざっくり……分かりました、ありがとうございます」

「ああ、やっぱり新入生の子は素直でいいわね。二年と三年は顧問への敬意が足りないっていうか、最近は友達扱いなのよねえ」


 何というか、やさぐれた表情を見せる先生――先生には先生と生徒の関係における理想像があって、少し現実とは離れているのだろうか。


「先に入部してきた中野って子がいるけど、あの子には気をつけなさいね、元はやんちゃしてたみたいだから」

「あ……俺、じゃなくて……僕は、中野さんと中学のとき同じ部だったので、一応知り合いです」

「え、そうなの? 中学の時同じ部だった子と、新しく知り合った子……」

「……?」


 先生が、何かあらぬことを想像している気がする――ここで目をそらすと、俺が女子の間でフラフラしているように見えてしまいそうなので、探るような視線に耐えて先生と向き合う。


「まあ、君は真面目そうだし、心配のしすぎかしらね。二人とも、来週からよろしく」

「は、はい……よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。それでは、失礼します」


 鷹音さんと一緒に挨拶をして、職員室を出る。昇降口を出て鷹音さんを待っていると、靴を履き替えた彼女が出てきた――けれど、どこか寂しそうにしている。


「さっき、家から電話があって、車で学校まで迎えに来るそうです」

「そっか、じゃあ今日は……」

「あ、あの……薙人さんも、一緒に車に乗っていかれますか? お家までお送りします」

「ほ、ほんとに? あ……でも俺、自転車があるから」

「あっ……ご、ごめんなさい、すっかり失念していて……では、自転車置場までは一緒に行きます」


 こんなとき、少し前の俺なら、申し訳ないからと断っていただろう。


 それが、今は、恐れ多いと思いながらも、肯定できるようになってきている。


 彼女が少しの時間でも一緒にいたいと思ってくれていること。そこに、何の裏表もないということを。


「来週から、一緒の部活ですね」

「うん。改めてよろしく、鷹音さん」

「……明日も、明後日も、隣の席ですね」

「う、うん。そう考えると、長い時間一緒にいることになるな……」


 こんな会話をしていると、だんだん体温が上がってきてしまう――鷹音さんはどんな様子だろう、と横を見てみると。


 彼女は歩きながら、胸にかかった髪を指先でくるくるといじっていた。耳まで真っ赤になって、こちらをそろそろとうかがって――俺が見ていると気づくと、また目をそらす。


「薙人さんは、あまり一緒にいすぎると、その……落ち着きませんか?」

「ま、まあ……その、まだあまり時間が経ってないし、普通に顔を合わせるだけでも……」

「時間が……というのは……」

「……つ、付き合いたてだから……その、改めて意識すると緊張が……」


 放課後ずっと一緒に行動していて、いまさら何を言ってるんだと人は言うだろうが――やはり鷹音さんは綺麗で、隣を歩くことさえ夢見心地だ。


「……千田くんも同じなら……だ、大丈夫です……っ、私も、緊張して……」

「えっ……あ、た、鷹音さんっ……」


 俺の手を取って、鷹音さんがどこに持っていこうとするかと言うと――それはまずい、鼓動が伝わる場所だからといっても、それはまだ俺たちには早すぎる。


「ま、待った……その、まだ学校だから、それは……」

「っ……す、すみません、私、勝手に……」


 それは全く構わないのだが――俺の手を取ることに関しては、鷹音さんは大胆になってきている。


「……その……急だと思っていますよね、私のこと……付き合い始めたばかり、なのに」

「きゅ、急というか……俺が全然そういうことができてないから、鷹音さんから……っていうことなのかなとは、少し思ってるけど……」

「……そうじゃなくて……勝手なんです」

「勝手……鷹音さんが……い、いや、そんなことは、全然ないよ」

「……朝谷さんとは……手を繋いだり、したのかなって……家にいるとき、一人になったときに、勝手な想像をして……」


 ――その問いの答えは、『繋いだことはある』ということになる。恋人としてじゃなく、けれどそういうことはあった。


「繋いだことは……あるよ」

「……それは、どんなふうにですか?」

「その……逃げる時っていうか。朝谷さんが芸能人として有名になってきて……人の多いところで、気づかれたことがあったんだ」

「そうだったんですね……でも、それは……」

「……付き合ってるからって意味で、手を握ったわけじゃない……んだけど……」


 鷹音さんがどう思うか――『元カノ』とどんなことをしたとか、そんな話は、普通は聞きたくないものじゃないだろうか。


 でもそれは、『普通は』の話で。鷹音さんは、他の誰かと同じじゃない。


「それなら……お付き合いをしているときに、手を繋ぐのは……」

「鷹音さんが初めてだよ。高校にもなってそれって、どう……なのかな」

「……それは……私にとっては、嬉しいことです。『今カノ』でも、薙人さんと初めてのことができるんだって、張り合いがあります」

「俺、朝谷さんに告白したのはいいけど、彼氏らしいことは全然できなかったんだ。だから……」

「……では……私は朝谷さんに、薙人さんのことを勿体なかったって思ってもらえるように、もっと頑張らないと」


 朝谷さんは、俺と鷹音さんがどれだけ仲良くしたって、あの完璧な笑顔で『応援する』と言ってくれるんだろう――そんな気がする。


 当てつけるなんてことじゃない、それに意味はない。それより何より、鷹音さんの気持ちが嬉しかった。


「俺、鷹音さんと会えてよかった」

「だ、駄目です……その言い方だと、寂しい感じがします」

「そ、そっか……じゃあ、ええと。鷹音さんの彼氏になれて、凄く嬉しい」

「……っ」


 もう少し言葉を選ぶ余裕があれば、こんなに恥ずかしがらせずに言えるんだろうか。


 俺は鷹音さんが思っているよりずっと、男女が付き合うということに関して経験が足りていない。だから、俺も鷹音さんに負けないくらいに頑張らなければ。


「……そういうことを急に言うと、落差が激しくて、びっくりします」

「あ……やっぱり俺には似合わないか、そういうの。キャラじゃないっていうか」

「ち、違うんです……悪い意味じゃなくて……私が、勝手に嬉しいと思っているだけなので……」

「そういうのは……勝手とは、言わないかな」


 好意を言葉にして、それを嬉しいと言ってもらえることが、どれだけ嬉しいか。


 ――知ってたよ。


 その言葉からは嬉しいとか、嫌だとか、どんなニュアンスも汲むことはできなかった。


 拒絶ではなかったというだけ。高校が一緒で、連絡を取ってもいい関係というだけ。


 俺たちの間に一歩先はなくて、朝谷さんのことを何も知らないままで、それで終わったのは――良いこと、だったんだと思う。



 自転車置き場に着いて、スタンドを上げ、歩き出す。


「ん……鷹音さん?」


 真横じゃなくて、一歩下がったところからついてくるみたいな、鷹音さんの歩き方。けれど視線を送ってみても、そこに彼女の姿はない。


「……ちょっとだけ、いいですか?」

「っ……」


 腕に力を入れて、自転車のバランスが崩れないように支える。鷹音さんは荷台のところに、横向きに座る――風が吹いて、長い髪が流れる。


「……二人乗りは駄目ですけど、映画で見て、少し憧れていたんです」


 学校の敷地内、ほんの短い距離だけ。俺は鷹音さんを乗せて、自転車を走らせる。


 誰かに見られるかもしれない、それを気にしていないのは、お互いに同じで。


 校門に続く道に出る前に、鷹音さんは俺の背中に触れる。自転車を止めると、彼女が降りて、少し先まで歩いていく。


「こんなに楽しいんですね、二人乗りって」

「……俺も、驚いてる。鷹音さん、じゃあまた明日」

「明日……ですか?」


 鷹音さんが聞いて、俺は笑って、彼女も笑う。


「夜にまた連絡するよ」

「はい。お待ちしてます……では、帰りはお気をつけて」


 鷹音さんが歩いていく。その後ろ姿を見ながら、少しだけ本気で考える――もしこれから何かがあって、俺が鷹音さんに連絡できないようなことがあったらと。


(……一秒でも長く生きていたい、とか。本気で思うものなんだな)


 恋愛脳というのは、傍から見ると感心しないものなのかもしれないと思っていたけど。それを悪くないと思うくらいには、自分が変わってきたことを自覚していた。


 ◆◇◆


 木曜日、そして、今日、金曜日――鷹音さんと付き合い始めて、隣の席で、授業中にペアを組むような場面もあったりして。


 とても楽しかったし、今日は昼休みに、例のテラス席で一緒に弁当も食べた。鷹音さんは週に二回くらいは早起きしてお弁当を作ると言っていて、俺もその日に弁当デーを合わせることにした。高寺たちと一緒のときは彼らに合わせ、購買、学食を利用する。


「なっくん、お休みは何か予定あるの?」


 夕食の時間に、流々姉が聞いてくる。今日のメニューはハンバーグだ――『お姉ちゃんの手捏ねハンバーグ』と言いながら出されたそれは、何だか最初の一口に微妙なハードルを感じたが、食べたら勿論美味しかった。姉さんのハンバーグしか勝たない。


「お姉ちゃんはなっくんが一人だったら、ゴールデンウィークに備えて服を買ってあげようかなと思っているけど、来週でもいいよ。あ、来週のお休みからゴールデンウィーク始まっちゃってる?」

「いや、今回の連休はつながってないみたいだけど」

「自主的に休んで連休を繋げられるほど、私たち姉弟はフリーには生きられないんだよね」

「まあ……姉の背中を見て育ったというのは、多少あるかもしれない」

「ええー、なに、お姉ちゃんが服買ってあげるって言ったから? それとも彼女さんができて丸くなっちゃったとか?」

「そこまで喜ぶことを言ったつもりはないんだが……流々姉も食べたら?」

「はーい。それで、なっくんの予定は?」

「特にないけど……いや、鷹音さんと喧嘩したとか、そういうことじゃなくて。まだ、そういう話をしてないってだけだよ」

「じゃあ、急に用事ができるかもしれないっていうことね」


 流々姉は、俺に『急な用事』ができる可能性が高いと思っているようだが――そういう話は本当にしていないので、何もない一日になる可能性が高そうだ。


「私ものぞちゃんに挨拶したいけど、弟の初デートに参加するお姉ちゃんとか普通に引かれちゃうもんね」

「絶対に無いとは言わないけど、遠慮してもらえた方が……というか、のぞちゃんって」

「鷹音さんって名字も素敵だけど、下の名前が可愛いから、お姉ちゃんはそっちで呼びたいなって」

「まあ、鷹音さんは怒らないとは思うけど……会うのはかなり先になるんじゃないか」

「かなり先までお付き合いしてるって、それ、私がお義姉さんって呼ばれるところまで視野に入ってない? のぞちゃんのこと妹だと思っていいの?」

「そういう告白は、直接会ってからにしてくれ」

「ちょ、直接なんて……まだ心の準備ができてないから、ちょっとだけ待って?」


 挨拶したいと言っておいて――と指摘するのはやめておく。流々姉は内弁慶なところがあるので、俺に対しては外向きより気が大きいのだ。



 流々姉が風呂に入っている間に、鷹音さんにメッセージを送ってみた。すると彼女はしばらくして、折返しで電話をかけてくれた。


『こんばんは、薙人さん。今、課題を終えて休憩していたところです』

「うん、お疲れ様。鷹音さんは、課題を土日に回さないんだね」

『はい、課題はなるべく出たその日にやるようにしています』

「俺も今日のうちに終わらせておこうかな、鷹音さんを見習って」

『い、いえ。薙人さんは、好きなタイミングでされた方が……でも、嬉しいです』

「……鷹音さん、何かあった?」

『っ……』


 少し鷹音さんの声が硬く感じたので、何気なしに聞いてみる。


『……薙人さんは明日、お家にいらっしゃいますか?』

「う、うん。そのつもりだけど……」

『そうなんですね……お家に……』

「どうしたの? 鷹音さん」

『……あ、あの。薙人さんがこれからお勉強なら、私はピアノを弾きましょうか』

「え……今、ピアノが弾けるようなところにいるの?」

『レッスン用の、防音になっているお部屋があるんです。ご近所の迷惑にならないように』


 家に防音室がある――それって、鷹音さんの家はやっぱり、かなり大きかったりするってことじゃないだろうか。前に、書斎があるとも言っていたし。


『休憩として、気分転換に弾こうと思って……それで、薙人さんに聞いてもらえたらって』

「……ああ、駄目だ」

『っ……す、すみません、今はご都合が……』

「俺、鷹音さんに何も返せてない。凄く嬉しいことばかりしてもらってるのに」

『……私が好きでしているんですから、いいんです……あっ、す、好きというのは……』


 もしかして違う意味だろうか――なんて、それはやっぱり杞憂で。


『……そのままの意味の、好きですが……駄目ですよね、そんなことばかり……』

「……どっちも、駄目じゃないと思うよ。俺も「駄目」って言うのは、やめにする」

『はい……私も、すぐ逃げてしまわないようにしますね。恥ずかしいとか、そういうことを言っていたら、「今カノ」失格ですから』


 それは――いいんだろうか。朝谷さんへの対抗心で、鷹音さんが大胆なことをしてしまったりということになったら。


『薙人さん、何か、曲のリクエストはありますか?』

「なんでも聞きたいな。鷹音さんの、お勧めの曲で」

『では、勉強に集中できるように、メロディが静かな曲にしますね……』


 コトン、とかすかに音がする。俺はスマホの音声をイヤホンに切り替えて、鷹音さんがピアノを弾き始める。


 ――まるで、一緒の部屋にいるみたいで。周りを見てもいるわけがないのに、つい周囲を見回してしまう。


 こんな環境で勉強できるなんて、俺は幸せ者もいいところだ。あまり気が進まなかった課題に集中する気力が出て、物凄く捗った――課題が全部終わってからは、ただ鷹音さんのピアノに耳を傾けていられるくらいに。

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