ACT2-6 子犬の距離感・下
「鷹音さん、行こう。ちょっと早足でいいかな?」
「っ……はいっ、千田くん」
「あ、鷹音さん行っちゃう!」
「急いでるんだったら今はやめとけば? 部活だってもう決まってるかもだし」
「あぁ~、五十年に一度くらいの逸材が~」
後ろから追いすがる声を振り切って、渡り廊下に出る。向かい先は第二校舎の図書室だ。
読書部の活動場所――見学と言っても、どんなことをするのかはだいたい想像がついている。入学のしおりに載っていた部活動紹介も一応チェック済みではあるが。
「……昨日も掃除に来たけど、今日は、読書部の見学に来たんだ。地味な部活だけど、俺には性に合ってると思うから」
「本を読む時間は、意識して作らないと取れませんから。読書部に入るのは、有意義なことだと思います」
読書部という部活を肯定するコメントとして、これ以上のものがあるだろうか。
「では……部活動の最中かもしれないので、静かに入ってみましょう」
鷹音さんは人差し指を唇に当てる仕草をする。俺は笑って頷き、図書室のドアを開けて中に入っていく。
「……それで、軽音部も音楽部に間借りしてるから、ミーティングは図書室でやることになってて」
「そっかー、じゃあ中学のときと同じで、また合同で色々できるかも。文化祭で一発やらかしますか!」
「唯ちゃんって相変わらず、文化祭のこと一年中考えてるよね」
「えへへ、照れます」
「うん、褒めてるんだけど、ちょっと喜ぶのが早すぎかな」
聞こえてくる話し声に、俺と鷹音さんは顔を見合わせる。まさか――と思いながら、入り口近くにある本棚を回り込むと、窓際のテーブルに中野さんがいた。
その奥側の席に、朝谷さんも。声で分かってはいたが、本当にその姿を見つけると、容易に言葉が出てこない。
「それじゃ、私はそろそろ行くね」
「あっ……き、霧ちゃん、もう少し話していかないの?」
「ううん、ちょっと時間押しちゃってるから。ごめんね」
朝谷さんは中野さんの引き止めをやんわりと断り、俺たちに笑いかけて、そのまま図書室を出ていった。
「うーん、残念。久しぶりに、中学メンバー揃って駄弁れると思ったのに」
「中野さん……それに朝谷さんも、図書室にいるってことは……」
「霧ちゃんは軽音部に入ったんだって。ミーティングのときに図書室使うから、その時はよろしくって。あ、読書部の活動のときにはミーティングがかぶらないようにするから大丈夫だよ」
「中野さんは、読書部に入られたんですか? 他の部員の皆さんは……」
「今日は部活ないから、週に一度は出てくるよ。入部届は顧問の先生、あ、図書室の司書もしてるんだけど、小林先生にお願いすれば大丈夫。ナギセン……千田くんは入るの?」
「あ、ああ。そのつもりだけど……」
「そっかそっか、何となくそうかなって思ってたけど、やっぱり? 読書部って一回入ると病みつきになるよね」
「いや、そういうわけじゃ……ってこともないか」
「あはは、どっちそれ。私もさー、もう気がついたら魂が惹かれてたよね、この約束の地に」
中野さんは相手によって態度が全然違う――俺に対しては若干中二病なところがある。そういうのを楽しんでくれる相手と思われているらしい。あながち否定はできないが、鷹音さんの前ではちょっと恥ずかしい。
「……あっ。た、鷹音さんは、どうしてこんな
「い、いえ、同じ学校の敷地内ですから……」
「なんて誠実なツッコミ……鷹音さんになら、法廷で論破されても文句は言えないですね」
「あ、あの……見学に来たんだけど、部員の人たちがいないなら、とりあえず保留で……」
「ナギセ……千田くん、今もジム通いしてるんだよね? それなら読書部がちょうどいいじゃん、入るしかないじゃん。これ以上身体動かしたら壊れちゃうよ?」
中野さんはさっきどの部活に入るかとメッセージを送ってきたが、俺は読書部とは言っていなかった。
しかしいざ顔を出してみると、中野さんは俺が来たことを喜んでくれているように見えなくもない。いつも飄々としている人なので、掴みどころが無いのだが。
「千田くんは、ジムに通っているんですか?」
「そうそう、実はこの人動ける方なの。お姉さんと一緒に、子供の頃から心身を鍛えるためにって言ってジムに通ってるんだって」
「それは言い過ぎだけど……」
「心身を鍛えるために……私も少し武道を習っていたことがあります。千田くんとは比べものにならなくて、恥ずかしいですが……」
「えっ……鷹音さん、ナギセンと何かあったの?」
「あっ……い、いえ。困っているところを、千田くんが助けてくれたんです」
中野さんはこちらを見るが、俺もどう言ったものか――鷹音さんは事実を言っているだけだが、こういう形で言われるとどうにも恥ずかしい。
「ナギセン、またそんなカッコいいことして……それで一緒の部活に入ろうってことになったり、ならなかったりです?」
「え……」
思わず声が出てしまう。一歩後ろに控えている鷹音さんを振り返ると――彼女は微笑んで、小さく頷いた。
鷹音さんが習い事で大変なこと、学校でも色々なところから引く手数多なこと。その状況を知って、彼女が部活に入るとしたら、何か特別な理由があるとばかり思っていた。
「私も読書部に入ります」
「ほ、ほんとに……? 鷹音さんが読書部って、私と同じ部活っていうこと? そんなことが起こってもいいの?」
今ばかりは、中野さんに何も言えない。半分くらいは彼女と同じ気持ちだからだ。
「……千田くん、私も一緒でもいいですか?」
「っ……う、うん。勿論いいよ」
「ありがとうございます。帰りに入部届を出しに行きましょう……あっ、すみません」
鷹音さんは何かに気づいて、図書室の外に出ていく――振動するような音が聞こえたので、電話がかかってきたようだ。
残された俺を見て、中野さんは腕を組む――腕に胸が乗っているが、ずっと立っていると重たくなるので癖だとか、前に話しているのが聞こえた気がする。聞こうとして聞いたわけではないのだが。
「……ナギセンって、やっぱりやる時はやるよね」
「やっぱりって……俺のイメージが偏ってないかな」
「勿論褒めてるんだけど。でも、鷹音さんって北中で生徒会長やってて、テニス部のエースだったって聞いたよ? それが読書部って、本当にいいのかな……?」
「……俺は、いいと思うけど。どの部活を選ぶかは、自由だからさ」
「……あ……」
自分で言っておいて、ふと気がつく。何か、既視感があるような気がする――。
「そ、そうだよね。部活は自由だもんね、私と鷹音さんの生きるステージが違っても、部活で友情を深めてもいいよね」
「本当に鷹音さんのこと、憧れてるんだな……」
「それはもう、私にないものを持ってる人には憧れまくりですよ。霧ちゃんだって……あ、そうだ。ナギセン、ちょっといい?」
中野さんは制服の胸ポケットから何かを取り出して、俺に見せる。それは、何かのチケットのようだった。
「のありんの、ラジオ公開録音の参加券。友達に配る用に何枚かもらったんだけど、私も行けるかわかんなくて。ナギセン、もらったら行くよね?」
霧谷乃亜の、ラジオの公開録音。朝谷さんが昼休みに言っていた通り、今度の休日に開催される。
応募する時期がかなり前で、春休みのうちだったので、俺もネットで応募していた。それは外れていたし、どちらにせよ行くことはないと思っていたのに。
「行けたらでいいから、プレゼントね」
有無を言わせず、中野さんがチケットを俺のポケットに入れてしまう。貰っても俺は行けない、と取り出そうとする前に、鷹音さんが戻ってきた。その気配を感じたのか、中野さんがパッと俺から離れる。
「すみません、お待たせしました。二人とも、どうかなさいましたか?」
「こここれから鷹音さんと仲良くしたいなって、ナギセンと一緒に話してただけです。あ、もうやっぱりいつもの呼び方に戻します、これが一番慣れてるので」
「は、はい……そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ、気を楽にしてください」
鷹音さんがなだめると、中野さんはいたく感激したようだった。憧れがさらに募っているのだろうか――俺も鷹音さんと一緒にいて、彼女の新しい一面が見えるたびに、少なからず心を動かしている。
だからこそ、このチケットはちゃんと中野さんに返さなくてはいけない。俺は朝谷さんのラジオを見に行くことはできない――そうするべきじゃない。
「じゃ、じゃあ……二人とも、職員室に入部届があるので、先生に出してきてください。鷹音さん、ナギセンのことよろしくお願いします」
「中野さんは、どうされるんですか?」
「私はちょっと、ここでまだすることがあるので。ナギセン、また面白い本あったら教えてね。私は図書室にある面白い本を教えるから」
中野さんは俺がチケットを返そうとしていることを察しているのか、その話をさせてはくれなかった。
元々、俺は朝谷さんの――『霧谷乃亜』のファンだった。中野さんと話すようになったのも、それが理由の一つだ。彼女もまた、芸能人としての朝谷さんのファンだった。
中野さんは、朝谷さんから俺とのことを聞いていない。俺が鷹音さんと親しくなっても、一緒に部活の見学にやってきても、それは『霧谷乃亜』のファンであることとは両立しうると思っている。
――両立は、できる。朝谷さんが俺と鷹音さんのことを応援してくれると言ってくれたのだから、芸能人としての朝谷さんを応援するのは、お返しをするようなものだ。
考えながら歩いているうちに、渡り廊下に差し掛かる。すでに日は傾き始めていて、少し夕日が眩しい。
「……薙人さん、図書室に行くまで内緒にしていたこと、怒っていますか……?」
「そ、そんなことないよ。びっくりはしたけど、やっぱり同じ部活っていうのは……」
俺も鷹音さんも立ち止まる。鷹音さんが待っている――恥ずかしいなんてもう言ってはいられない。
「……めちゃくちゃ嬉しいよ。本当にいいのかって思うくらい」
「っ……そ、そんなにですか……?」
「うん。鷹音さんは凄い人だから、やっぱり俺が一緒にいるにはまだ努力が足りないって思ってたし……」
「……それは、私なんです」
鷹音さんが俺の手を取る――緊張していたのか、その手はひんやりとしていた。
「一緒にいるためにどうすればいいか、いつも考えているんです。部活のことだって……一緒の部活は駄目と言われたときのために、図書委員になったんです」
クラス委員にならなかった鷹音さんが図書委員を選んだのは、何かの役職は担いたいという責任感によるものだと思っていた。
――それすらも、俺と一緒にいるため。図書委員と読書部の接点は、実際にはほとんど無いかもしれないのに。
「……す、すみません。一方的にそんなふうに言われても、重たい……ですよね」
「……鷹音さんがそこまでしてくれたんだから、俺も頑張らないと。でも、すぐに何ができるのか、思いつかなくて……もどかしいな」
今すぐにできることがあるとしたら――冷たさが心地良く感じる彼女の手を、温めることくらいだ。
「……薙人さんは、体温が高いんですね。温かいです」
「鷹音さんは、手が冷たいけど心が温かい……っていうタイプなのかな」
「そ、そうでしょうか……私、いつも薙人さんに、子供っぽいところを見せてばかりで……」
それが俺の前でだけ見せる姿なら、幾らでも見せてくれて構わない。
渡り廊下に他の生徒が来て、俺たちは手を離す。何事もなかったように歩き始めて――また、服の裾を掴まれる。
隣を歩くのはまだ恥ずかしくても、いつかは。そう思いながら、二人で夕暮れの階段を降りていった。
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