ACT4-1 放課後デート


 気持ち次第で、風景はいかようにも色を変える。


 四月も半分を過ぎて、すっかり暖かくなった。駅に向かう道の風景も、いつもとは違っている――それは、なぜなら。


「同じ学校の人には、やっぱり少し見られてしまいますね」

「みんな結構寄っていくんだな、この辺に。あ……あの先輩たちだ」


 例の鷹音さんを勧誘していたテニス部の上級生と、女子たち――練習はどうしたと思いはするが、人の事情を気にしすぎるのも良くない。


「薙人さんがいると、安心します。私も、一人で対処できるようにしないと……」

「俺を頼ってくれていいよ。そのために俺がいるようなものだしさ」

「……いえ。薙人さんには、笑っていて欲しいので。あの人たちから助けてくれたときは、格好良かったですが……少し、迫力もありました。体力テストのときも」

「そ、そうかな……ごめん、怖がらせちゃったかな」


 鷹音さんはすぐに答えない――やはり、喧嘩はいかなる理由があっても、見ていい気分がするものじゃない。


「こんなことを言ったら、不謹慎かもしれませんが……あの時の薙人さんは……」


 断罪の時を待つ――とは言うものの、鷹音さんが俺を突き放すようなことは言わないんじゃないか、そんな信頼感は持ってしまっている。


「……とても、かっこよかったです」

「っ……そ、それは……えーと、光栄というか……」


 思い切り不意打ちをされて、顔が熱くなるのを止められなくなる。


 茶化すような感じで『カッコいい』と言われるのではなく、本心からそう思って言われたとき、全く違って感じられる。


 誰も見てない場所だったら、普通に悶えそうだ。これが付き合うということなのか――いや、こんなやりとりが常に続くわけではない。続いたら控えめに言っても心臓がもたない。


 鷹音さんがそういうことを言うのにかなりエネルギーを使っているのが分かる。俺もいつまでも照れたままではいけない。


「……薙人さん、少し汗をかいていますね。今日は陽気がいいからでしょうか」

「あ……ご、ごめん。確かに今日は、夏服でもいいくらいだな」


 ハンカチで額を拭かれる――あまりに自然すぎて、遠慮している間もなかった。


「鷹音さんは大丈夫? うちのブレザー、結構暖かそうだけど」

「はい、大丈夫です。私、平熱が低いみたいなので」


 体温が低いと、暑さに強い――ということもない気はするが、実際のところどうなのかは分からない。


「少しひんやりするかもしれません」

「え……」


 鷹音さんが俺の額に手を伸ばしてくる――そして、熱を測るみたいに触れる。


「どうでしょうか?」

「え、えっと……心地良い温度というか……確かにひんやりしてるね、鷹音さんの手。で、でも、そうしてもらうのはちょっと悪いな……」

「こうやって、涼を取りたいときには、私が何とかしますね」

「はは……鷹音さん、あんまり温まったら溶けたりしない?」

「雪女ではないので、大丈夫だと思います」


 何気ない話――傍から聞いていたら、惚気か何かにしか見えないのかもしれないが。こんなやり取りが、嬉しくて仕方がない。


 こんな完璧な人に惹かれない理由がないとか、理屈めいた考えで彼女と付き合っているわけじゃない。


「これは、例えの話ですが……薙人さんは、私が本当に雪女だったらどうしますか?」


 例えの話。想像してみる――鷹音さんが雪女だったら。


「鷹音さんなら、着物は似合うんじゃないかな」

「っ……そうでしょうか……」

「な、なんて……そういう話じゃなくて、だよな。雪女って、寒い時にしかいられないから、冬の方が好きそうだよな」

「冬……ですか?」

「ああ。だから、春になってもずっといられるように、方法を探すとか……」

「……それは……」


 鷹音さんは耳まで真っ赤になって、途中で言うのをやめてしまう。


 あくまでも例え話だ、もうちょっと冗談っぽいことを言った方が良かっただろうか。ただでさえ『付き合っている』ということを改めて意識してしまっているから。


「それは、私とずっと一緒に……」


 もう一度、鷹音さんがおずおずと俺の方を向いて、続きを言おうとする。


「なーぎーせんっ」

「っ……」

「な、中野さん、いつからそこに?」


 俺と鷹音さんが一緒に振り返ると、そこには中野さんがいて、悪びれずに手をひらひらと振っていた。


「なんだよー、寄り道なら誘ってくれたら良かったのに……なんてね。ナギセンと鷹音さん、放課後デート中?」


 放課後デート――考えてみれば、これがそうなのか。放課後の寄り道、付き合っている二人でそれをするならば、紛れもなくデートだ。そんなことにも気づかず、学校からここまで一緒に来てしまったのか。


「もう帰っちゃったと思ってたから、こんなところで会えて嬉しくなっちゃって。私、中野唯はついデートの邪魔をしてしまいましたっ」

「いえ、大丈夫です。中野さんも、せっかくですからご一緒しますか?」

「希ちゃん……やばい、めっちゃドキドキするんですけど。ナギセン、よく鷹音さんと一緒に歩いて落ち着いてられるね。綺麗すぎてやばくない? このタイツのおみ足とか」

「中野さんも、ハイソックスがよくお似合いです」

「え、そう? 足は自信があるんだよねー、ナギセンもうちの足だけは褒めてくれてたから」

「……『うち』?」


 足を褒めるとか、そんなフェチっぽいことは天に誓って一切したことはない。というか昔はスカートの丈が普通に膝丈だったのに、高校に入った途端、中野さんは膝上の結構危ういラインまでスカートを短くしてしまった。


 ――今は中野さんの足を気にしている場合ではない。彼女がポロッと口に出してしまった『うち』に、鷹音さんが疑問符を浮かべている。


「あ……え、えと。うちじゃなくて、私ね。鷹音さんにはちょっと耳慣れない感じだよね、うちとか」

「いえ、中野さんは薙人さんと話すときは、そうなのかなと思って」

「ナギセンと話す時に素が出るってこと? あー……そう言えなくもないかな」

「思わせぶりな感じだけど、単に中学の時の口調がそうだったってだけで、高校デビューで変えたんだよ。今までのうちとは変わるって言い出して」

「ひぁぁっ、あっさりばらすのやめて、うちとナギセンの桃園の誓いって言ったじゃん!」

「……桃園の誓いは、三人で結ぶものでは?」


 落ち着いた指摘だが、そもそも俺と中野さんがそういう誓いを結ぶわけがないという点においてはちょっとずれている。鷹音さんらしいといえばらしいのだが。


「じゃあ鷹音さんと私と、ナギセンで三人ね。うちが中学の時髪がもっと明るかったとか、よく授業サボってたとか、そういうのは秘密とします。いい?」


 全部自分でバラしているのでは? と、鷹音さんに倣って言いたくなるが――というか、この中野さんのノリは鷹音さん的にはどうなのだろう。


「あ……え、えっと。私の話とかどうでもいいっていうか、喋りすぎだよね、ごめん。悪い癖なんだよね、自分でも分かってるの」


 中野さんが恐る恐るという様子で、両手の人差し指を突き合わせながら聞く――鷹音さんからプレッシャーを感じているようだが、俺も同じように感じている。無言の鷹音さんはそれだけで『圧』というか、そういうものを感じる。


 しかし――鷹音さんはやはり鷹音さんだった。彼女は微笑み、中野さんに手を差し出す。


「そんなことはないですよ。薙人さんの友達のことは、私も気になりますし、知りたいです」

「ほんと? 良かったー……ナギセン、鷹音さんが私のこと知りたいって」

「はは……結構すぐに回復するよね、中野さんは」

「それはもう、嫌われてないって分かったら全回復だから。メンタルクソ雑魚だけど単純だから」


 中野さんはカラカラと笑っているが、確かに意外と繊細なところがある。明るく振る舞っているところを見ると俺も安心する――同級生なのに、まるで兄のような目線だ。彼女が小柄で、どこか妹っぽい雰囲気というのもあるかもしれない。


「ではでは、ちょっとだけついていってもいいですか? 同じ読書部のよしみで」

「はい。中野さんのおすすめのところはありますか? お話できるところで」

「じゃあ向こうのカフェにしよっか。雰囲気いいし。ナギセン、女の子二人と一緒で両手に花だね」


 そう言っておきつつ、中野さんは鷹音さんの腕を取って歩いていく――距離感が俺より近いが、羨ましいなんて思ってはいけない。


「鷹音さんの隣で歩くだけでめっちゃいい匂いする……ナギセン、よく正気を保ってられたね」


 中野さんが言うならいいが、俺がそんなことを言ったら少々変態が入ってしまっている。


 しかし考えてみると、同級生の女子二人と放課後に寄り道して、それもカフェなど――中学時代には考えられなかった状況だ。部活で一緒に行動するのとはまた違う。


「これ、ナギセンがクリスマス会の出し物で歌ってるとこ。ああ見えてめっちゃ歌上手いんだよ」

「っ……な、中野さん、いつの間にそんな写真を……っ」

「写真じゃなくてムービーだよ。外だから音出せないけど」

「……中学校の時の薙人さん……これは、二年生くらいのときですか?」

「そうそう、三年のときは集まれなかったから。可愛いよねー、ナギセンも私も。あ、私は可愛くないか」

「中野さん、これって……髪の色が、金色ですね」

「あはは……ね、これも色々あるっていうことで。そーだ、ナギセン、今度みんなでカラオケ行かない? 霧ちゃんとか、ナギセンの友達も誘って」

「ま、まあ、考えておくけど……カラオケとか久しぶりだな」


 鷹音さんのピアノを聞いたあとで、彼女に俺の歌を聞かせるというのは恥ずかしい――のだが、当の鷹音さん本人が期待している目だ。意外にカラオケにも興味があるということなら、一緒に行ってみたくはある。鷹音さんはどんな歌を歌うのか、そんなところまで想像が展開しそうになった。


「中野さん、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「はーい、何でも聞いて。今の私は全面的にオープンです」

「朝谷さんから、薙人さんとのことはどれくらい聞いていますか?」


 ――地雷というわけではないが、鷹音さんは核心にすんなり踏み込んでいく。


 俺と朝谷さんのことを心配して色々気を回してくれていた中野さんからすると、何を言っていいのかという心境だろう。


「え、えっと……その、ごめんなさい! 私、中野唯は要らないことをしてしまいました! 要らん子なのに調子に乗ってごめんなさい、カラオケとか浮かれすぎてました!」

「中野さん、それはもう大丈夫だから……」

「そうだよねー、鷹音さんがナギセンと付き合ったりするとか、それはちょっと想像がエスカレートしちゃってたっていうか……ほんと駄目だよね、そうやって突っ走っちゃうの」


 これは――確かに中野さんには言っていないので、そう思われるのは無理もないが。


 まだ中野さんは、俺と鷹音さんが付き合っていることまでは知らないというか、気づいていない。『放課後デート』という言葉を使ったのも彼氏彼女だと思ったからというわけじゃなく、男女一緒だからというだけだろう。


「…………」


 鷹音さんが目で訴えてくる――こういう場合どうしたらいいんでしょうか、という子犬のような目だ。


 切り出すタイミングがあったら言うし、そもそも朝谷さんが後で中野さんに教えるかもしれない。しかし朝谷さんは、そういうことを広めたりはしない――翻弄されてばかりの俺がそう思い込むのもどうなのかという自覚はあるが。


「じゃあ色々、積もる話もあるということで。今日は私のおごりだから、いっぱい炭酸とか飲んでいいよ」

「それは自分で出すから気にしないでいいよ」

「ちょっとー、そこはお言葉に甘えてよ。私だって信頼回復に必死なんだから」


 いつもこんなノリの中野さんだが、悪い子ではない。公開収録のチケットをくれたのも、朝谷さん、そして俺を思ってのことだろう。


「あー、やっぱりいい匂いする。ナギセンも希ちゃんの近くで深呼吸しない?」

「その……呼び方が混じっていますが、私はどちらでも大丈夫です」

「良かったー、じゃあ希ちゃんで。私のことも唯でいいからね。中学の友達はゆいぽって言うけど、それはもう捨てた名前だからね」


 中野さんの距離の詰め方の早さには感心させられる。俺と出会った頃の、まだ髪を金色に染めていた頃の彼女は、常に威嚇してくる感じだったというのに――今は二つに結んだおさげもあいまって、人懐っこさがありすぎるウサギみたいだった。

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