ACT6-2 空席

 二日目に大雨という波乱こそあったが、予定に乱れが出ることもなく、無事に三日間の日程を終えた。


 最終日が木曜日だったので、翌日の金曜日は普通に授業だ。クラスメイトたちは気だるい様子で、高寺と荻島もぐったりしている。


「千田、今日鷹音さんまだ来てないの? いつもかなり早く来てるよな」

「千田くんが来てる時間に、鷹音さんも絶対いるイメージだよね」

「そうだな……どうしたんだろう」


 夜に連絡を取らない日はほとんど無くなっていたが、昨日は鷹音さんから連絡は無かった。疲れているのだろうと思い、メッセージを送ったりもしていない。


 朝谷さんはグループで集まっていて、鷹音さんのことを気にしているみたいだ。他のクラスメイトも心配している――それくらい、鷹音さんが始業の十分前になっても来ていないというのはいつもと様子が違う。


 朝のホームルームの予鈴が鳴る。席に戻って、今のうちに連絡しておこうかと考える――しかし欠席かどうかは先生が来れば分かるので、それからの方がいいかもしれない。


「おはようございます、皆さん。今日は、鷹音さんがお休みすると連絡がありました。授業でグループを組んでる人は、お休みのうちの授業内容について、彼女が出てきたら教えてあげてください。先生もできるだけフォローできるようにします」


 教室が少しざわつく――教室に来ていないことで、欠席なのだろうと想像はできていたものの、事実となるとみんな落ち着かない様子だ。


 離れた席にいる朝谷さんが少しだけ、振り返って俺を見る。鷹音さんと連絡を取れればと思うが、体調が優れないのなら無理に連絡するのも良くない――だが、何もせずに待っていることもできない。


 ホームルームが終わると、俺は席を外して階段に行き、人に見られないところで鷹音さんにメッセージを送った。


『鷹音さん、今日は休みって聞いてびっくりしました。ごめん、調子が悪かったのに気づけなくて。学校のことは心配しないで、ゆっくり休んでください』


 いつもよりノートを綺麗にまとめるか、それとも字が綺麗な女子に見せてもらうように頼むか。そんなことを考えていると――鷹音さんの既読がついた。


『ありがとうございます。風邪を引いてしまったので今日は休みますが、できるだけ早く治します』


 鷹音さんが返事をしてくれて、思わず胸を撫で下ろすほどに安堵する。


 やはり、オリエンテーリングで雨に濡れたのが良くなかったのか。今はどんな容態なのか――心配だが、それで学校のことが手に付かないとなれば、逆に鷹音さんを心配させてしまうだろう。


 隣の席に鷹音さんがいない。少し前まではそれが普通のことだったのに、今は胸に穴が空いたみたいに感じてしまう。


 肘に触れたり、手紙を渡してくれたり。鷹音さんがそうしてくれるたびに、自分がどれだけ嬉しいと思っていたのか。今日は、それを噛みしめる日になるだろうと思った。


   ◆◇◆


 その日の夜、自室で一日分の授業ノートの内容を確認していると、ドアをノックして流々姉が入ってきた。


「のぞちゃん、風邪引いちゃったんだ……なっくんは何してるの?」

「今日の分のノートを確認してるんだ。休み明けに渡そうと思って」

「……えっ?」

「えっ、と言われてもだな……」


 部屋着姿の流々姉が、呆れた顔で俺のベッドに座り、おさげを振り回す勢いで首を振る。


「なっくん、分かってなーい」

「っ……な、何が?」

「のぞちゃんは遠慮してるのかもしれないけど、そこはお見舞いに行くところじゃないの? 明日は土曜日だよ、お休みなんだよ? 休みの日に家で寝てなきゃいけないのって、凄く寂しいんだよ」

「鷹音さんは風邪が伝染るかもしれないから、配布のプリントとかは届けなくていいって言ってたんだ。だから、治るまで待つしか……な、なんだよ、腕を広げるなっ」

「女の子は素直になれない時の方が多いの。でもね、なっくんに風邪が伝染っちゃったらのぞちゃんが気にしちゃうし、お姉ちゃんはとても悩んでます」


 もし流々姉が俺の立場だったら、それは見舞いに行くのだろう。


 俺がどうしたいのか。鷹音さんが隣にいない一日を過ごしてみて思うことは――。


「……お見舞いって、長い時間いなくたっていいと思うの。ひと目顔が見られるだけでも、全然気持ちは変わると思う。のぞちゃんを喜ばせてあげたいって、そういう気持ちが少しでもあったら、行った方がいいと思うよ?」

「少しでもって言われたら、それは……行くしかないってことじゃないか。来ない方がいいって言われたのに、押しかけるみたいに。本当にいいのかな」

「っ……それはね、私が責任取れるならいくらでも取りますよ? お姉ちゃんも、なっくんの大事な人が心配だから。付き添っていって、のぞちゃんをギュッてしてあげたいくらい」

「なんでそんなに鷹音さんが好きなんだ、みんな……いや、分かるけど」

「一番分かってるのがなっくんでしょ」


 そんな言われ方をされて、それでも行かないなんていう選択肢はない。驚かせるわけにはいかないので、事前にやっぱりお見舞いに行かせて欲しいと連絡してみなければ。


「じゃあ、言いたいことは言ったので、お姉ちゃんはなっくんがしてほしいことを何か一つしてあげます」

「それは俺が見舞いに行くという前提で、ご褒美的なものをくれるってことじゃないのか……? まだ鷹音さんに聞いてみないとわからないぞ」

「絶対大丈夫だよ。だって、のぞちゃんとなっくんが写ってる写真見せてもらって、二人がどれくらい仲がいいのか分かってるから」

「っ……勝手に見といてそういう恥ずかしいことを……」

「うん、私も自分で言っててちょっと照れちゃった。いいなー、なっくんは恋してて。私は少女漫画で恋するだけで満足ですよ」


 中学までは共学だったので、流々姉は弟の俺から見ても男子からの人気が凄かった。俺を通じて流々姉と知り合いたいとか、そういう輩もいたものだ。


 しかし女子校では他の学校の男子と合コンをしたりするらしいのに、流々姉はそれに駆り出されても彼氏を作る様子がない。


「風邪のときって卵酒がいいっていうよね」

「……いや、作って持っていくのはちょっと」

「じゃあお姉ちゃんはのぞちゃんに何もしてあげられないっていうの?」

「その気持ちだけでも嬉しいと思うよ、いや本当に」


 いつか対面したら、俺は流々姉の暴走を止めることができるんだろうか。正面から戦っても止められる気がしないので、どうかお手柔らかにしてほしい。


   ◆◇◆


 鷹音さんにお見舞いに行っていいかどうかをもう一度聞いてみると、こんな返事が帰ってきた。


『ありがとうございます、本当に嬉しいです』


『風邪をうつさないように私も気をつけるので、お言葉に甘えさせてください』


 そのメッセージの後に、鷹音さんは自分の家の地図を送ってくれた。鷹音さんは電車通学なので俺の家からは遠いが、自転車で十分行ける距離だ。


 ちゃんと時間を伝えた後で訪問するべきだと思い、朝の十時に着くと伝えて、翌日は余裕を持って家を出た。


 クロスバイクで四十分かかる道も、鷹音さんのところに向かっていると思うとあっという間だった。


 ――しかし、地図を見た時から何となく思っていたことなのだが。


 鷹音さんの家があるのは、北中の近くにある高級住宅街の一角だ。地図上で見るよりも実際に目にした方が広くて、最初はここなのかどうか分からずに通り過ぎてしまった。


 戻ってきて表札を確認しようとする。時間に余裕があるとはいえ、俺は何をしてるのか――と思ったところで。


 門の前に、誰かがいる。私服姿なので気づかなかったが――あれは、酒井さんだ。


 俺の姿に気づくなり、彼女は走ってその場から離れようとする。住宅街で大声を出すと迷惑になる――だが、そのままというわけにもいかない。


「酒井さんっ」

「っ……」


 自転車を止めて走り、酒井さんに追いつく。彼女がヒールのある靴を履いていたので、そこまで苦労はしなかった。


「……酒井さんも、鷹音さんのお見舞いに来た……と思うんだけど」

「私は……鷹音さんとは、小学校の時に同じクラスだったことがあって、家の場所は知ってるから。それで……風邪で休んでるって聞いたから……」

「じゃあ、やっぱりお見舞いに……」

「いいの。千田君が来てくれたなら、私がお見舞いなんてしても、お邪魔虫になっちゃうでしょ?」


 果たして、そういうものだろうか。俺が来たから酒井さんはお見舞いを遠慮するとか、それが当たり前のことだとは思わない。


「中学の時も、同じ生徒会で頑張ってたんだよな。高校が同じになって、こうしてお見舞いに来たって、普通のことだと思う……んだけど、どうかな」

「……で、でも、私たちは生徒会で一緒だっただけで、鷹音さんに友達って思ってもらえるほどじゃ……」

「いや……難しいところだけど。俺も友達って何なのかって、最近よく考えるからさ」

「……何、それ」


 酒井さんはちょっと冷たい声で言う――けれど、笑っている。


「千田くんの悩みと、私の悩みが同じとはとても思えないんですけど。千田君は鷹音さんの……彼氏だし、私は鷹音さんにとって、生徒会に誘おうとしてくるおせっかいな人でしょ」

「それなんだけど……鷹音さんは、生徒会に入らないと決めたわけじゃないと思う。今のところは決めてないっていうだけで」

「そう……なの? 千田くんに、鷹音さんがそういう話をしてたの?」

「鷹音さんは……いや、これはちょっと言えないけど。部活を変わったり、図書委員に入ったのも、全部理由があることなんだ」

「理由……そ、そんなの……私だって、彼氏彼女のこととかには疎いけど、想像くらいつくから」


 鷹音さんは、俺とできるだけ一緒にいたいと言ってくれている。読書部に入ったのも、図書委員に入ったのも、それが理由だ。


「……だ、だから。私がいたら、邪魔なんじゃないかって言ってるの」

「俺は酒井さんも一緒に来て欲しい。ちゃんと家の前で会ったってことは説明するよ」

「ど、どうして……私、千田君に謝ったけど、それまで変な態度ばかり取ってたし、今だって……そういうの、怒ってないの?」

「理由を聞けば納得できるから、そういうことでは怒らないよ。理不尽なのは苦手だけど」

「……はぁ。本当は、インターホン押す勇気も出なくて帰ろうとしてたのに。彼氏ってずるくない? 私が悩んでること、パッとやっちゃって」


 俺もここに来るまで色々考えたりしたが、それは言わなかった。インターホンも押さずに帰るつもりだったとか、酒井さんはどれだけ鷹音さんに憧れてるんだろう。


「じゃあ、俺がインターホンを押してみるよ」

「……お願いします。大丈夫、もう逃げたりしないから」


 酒井さんはしおらしく言うと、俺の後ろで緊張した様子で控えている。それにしても、門が大きい――洋風の鉄の門で、こんなのを構えてる家を訪問したことがない。


 時間は九時五十五分。インターホンを押して、しばらく待つ――すると、しばらくして通話が繋がった。


『はい、鷹音です』

「鷹音さん、俺……千田薙人です」

『薙人さん、本当に来てくれたんですね……ありがとうございます。今、お迎えに行きますね』

「鷹音さん、安静にしてなくて大丈……」


 言う前に通話が切れてしまっていた。門の中に広がる庭、その向こうのお屋敷と言っていい豪邸の扉が開く音がする。


 鷹音さんは寝間着の上にカーディガンを羽織って出てきていた。他に家の人はいないと聞いていたので仕方ないことなのだが、ここまで来てもらうだけでも心配になる。


 やがて内側から施錠が外され、扉が開く。鷹音さんは、少し顔が赤い――見るだけで熱があると分かるのだから、風邪はまだ良くなってはいない。


「……薙人さん……それに、酒井さんも……」

「門の前で会ったんだ。酒井さんも、鷹音さんのお見舞いを……」

「っ……鷹音さんっ、大丈夫!?」


 鷹音さんがふわりとバランスを崩す。反射的に受け止める――それだけでも分かる、鷹音さんの身体が熱くなっている。


「……すみません……ちょっと、ふらっとして……」

「ベッドで休んだ方がいい。俺が運んでいくから」


 鷹音さんは俺に支えられたまま、朦朧とした目で俺を見る。力なく頷いた彼女を抱き上げて、家まで運んでいく――玄関の鍵は鷹音さんが出てきたときに開けたままになっていたので、酒井さんが扉を開けてくれた。


「お邪魔します……鷹音さんの寝室でいいかな」

「……はい……私の部屋は……二階に……」

「千田くん、一人で大丈夫? 私も何か……」

「大丈夫、酒井さんはまた扉を開けてくれるかな、両手が塞がってるから」

「階段もそのまま登れるの? 細い感じなのに、力あるんだ……」


 脱力した人を運ぶのは大変だと言うが、抱え上げたところで鷹音さんから捕まってくれたので、それほど大変でもなかった。


「んっ……」

(――!?)


 一瞬思考が止まる――足を止めるわけにはいかないので、無心になって二階まで上がり、鷹音さんの部屋らしいネームプレートのかけられた部屋に着く。


 鷹音さんを抱き上げたこの姿勢のせいで、触れてはいけないものが俺の胸に当たっている。一刻でも早く鷹音さんを運び終えて、忘れないといけない。


   ◆◇◆


 鷹音さんをベッドに下ろして寝かせると、彼女はしばらくして意識を取り戻した。


「すみません、鷹音さん……急に来てしまったりして」

「いいえ……大丈夫です。酒井さんは、一度うちに来てくれたことがありましたね。小学校の時に」

「えっ……お、覚えててくれたの……くれたんですか……?」


 鷹音さんは部屋の隅にいる酒井さんを見て、頬を上気させながらも微笑む。やはり熱が辛いようで、できることなら俺が代わりたい。


「うちに友達が来るのは珍しいので、お母さんが喜んでいたんです……あの時も、酒井さんは私が休んだ時に、プリントを持ってきてくれたんですよね」

「そうだったのか……」

「っ……だ、だって、あの時は、すぐに帰っちゃったし……鷹音さんが覚えててくれるなんて思わなかったから」


 言うなれば、酒井さんはお見舞いにおいては俺の先輩ということになる。


 ギャルっぽい酒井さんが、小学生の頃から鷹音さんと仲良くしたいと思っている。その光景を想像すると、微笑ましいものがある――そして。


「……俺も、鷹音さんと小学校から同じだったら良かったな」

「薙人さん……」

「……そういうこと真顔で言えるのって凄くない? 私が聞いてても照れるくらいなんですけど」

「あ……ご、ごめん。鷹音さんと酒井さんの話を聞いてたら、ついそう思って」

「……嬉しいです、そんなふうに思ってくれて。私も、薙人さんが同じ小学校だったら、もっと早く好きに……い、いえ、その……」


 何か恥ずかしさが最大に達してしまった――酒井さんが後ろを向いてプルプルとしているのは笑っているのではなくて、この空間がそうさせるのだろうか。


「……あ、あの……酒井さん、すみません、わざわざ来てもらって、こんなことをお願いするのは……」

「は、はい、何ですか? 私で良かったら何でもします、おかゆとか作りましょうか」

「いえ……酒井さん、こっちに来てもらっていいですか?」


 酒井さんが鷹音さんの前まで行き、身を屈めて話を聞く――酒井さんは何やら驚いている。


「えっと……千田くん、少し向こうに……じゃなくて、廊下に出ててもらっていい?」

「え? ……あ、ああっ! ごめん、すぐ出るよ」


 最初はピンと来なかったが、廊下に出なければいけない理由を考えてようやく思い当たった。


「すみません、薙人さん。酒井さんに協力してもらいたくて……」

「少し待ってて、終わったら呼ぶから」


 鷹音さんが汗をかいてしまったので、酒井さんが拭く手伝いをするということだ。俺はすみやかに廊下に出て、鷹音さんの部屋から少し離れたところの壁にもたれかかる。


「……良かった……鷹音さんの顔が見られて」


 安堵が口をついて出る。お見舞いに行った方がいいという流々姉のアドバイスに従って良かった――今日家にいたら、俺はたぶん後悔していた。


 スマホを見ると、流々姉がどうだったかと聞いてきている。俺は鷹音さんに会えたこと、今お見舞いをしている旨を伝えて、部屋の中に呼ばれるのを待った。

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