ACT2-4 それぞれのスタイル

 鷹音さんは体力テストの間に、朝谷さんとどんなことを話したのかを教えてくれた。


 応援する――朝谷さんがそう言ったと聞いて、俺は驚きはしたが、ありえないことだとは思わなかった。


「……薙人さん、すみません。薙人さんがいない間に、朝谷さんから色々話を聞いてしまって」

「あ……い、いや、それは全然いいんだけど。そうか、鷹音さんと朝谷さんは、一緒に持久走を走ったんだ」


 時間がなくなってしまうので弁当を食べながら話を聞いているが、いつもより味がわかりにくい。


 鷹音さんは先に話すことを優先してくれていたので、まだ開いてもいなかった弁当箱を開ける――中は彩り豊かで、率直に言って可愛らしい。


「あ、あの……慣れていなくて、恥ずかしいですが……」

「凄いね、鷹音さんのお弁当は。バランスが良さそうで、それに美味しそうだ」

「……は、はい。薙人さんのお弁当は、男の子っていう感じがします」

「今日は急いでたから、適当に昨日の残りを詰めて、姉さんが卵焼きだけ作ってくれたんだ。まあ、それも朝食のついでだけど」


 二人で順番に弁当作りをやっていると、お互いにどんな弁当なら学校に持っていけるかというのが分かってくる。手を抜きすぎず、疲れてしまうほどは凝らない。それが千田家の弁当だ。


 たまに流々姉がやる気を出すとキャラクター弁当にされたりするので、その時は密かに弁当を開ける必要がある。える写真を撮って送るようにとお達しが来るが、控えめに言ってもちょっと面倒ではある。


「お姉さんの卵焼きが、薙人さんの好きな食べ物……ですか?」

「弁当といえば定番だからっていうのはあるけど。甘すぎない卵焼きが好きかな」

「そうなんですね……で、では……」


 鷹音さんが話題の持っていきかたを、すごく慎重に考えているのが分かる。気を楽にしてもらいたいが――と油断していた、その時だった。


 ヘアゴムを取り出して、鷹音さんが口にくわえる。彼女は慣れた手付きで髪をまとめると、ヘアゴムを使って束ねた。食事の時に邪魔にならないようにということだろう。


 彼女にとっては日常の仕草なのだろうが、俺にとっては――なぜなのか自分でも良くわからないが、できればもう一度見たいなんてことを思ってしまう。

 

「こ、このお弁当の中では……っ、好きなものは、ありますか……?」

「あ……ご、ごめん俺、じっと見ちゃって……」

「み、見てくださって大丈夫……です。お野菜が少ししんなりしてしまいましたが……」


 俺が弁当ではなくて、鷹音さんが髪を束ねるところに見とれていたことは、彼女は緊張しすぎて気づいていなかった。


 改めて弁当を見せてもらうと、フライ、ウィンナー、野菜の類とバランス良く入っているし、何より香りがいい。


「この肉巻きは、おにぎりになっているんです。中にもち米を詰めて……」

「かなり手が込んでるね……何時くらいに起きて作ったの?」

「……母が手伝ってくれたので、いつもより二時間早いだけです」


 手伝ってもらったということは、鷹音さんが自分で作ったというのは間違いない。


 ということは――見るからに気になる、タコ型のウィンナーも鷹音さんの手作りということだ。


「懐かしいな……タコのウィンナーとか、リンゴのウサギとか。野菜を星型でくり抜いたり、うちの母親もよくやってたよ」

「……良かった。せっかくなら、可愛いお弁当を作りたいと思ったんですが、こんなところにしか手を入れられなくて」


 運動も勉強も完璧で、容姿端正で、非の打ち所がない。そんな鷹音さんが、可愛いお弁当を作りたいと思うのは――意外というよりも、彼氏の目線で言わせてもらうと、可愛いが過ぎると思ってしまう。


「……は、恥ずかしいですよね、高校生にもなってタコさんなんて。すみません、またちゃんとしたお弁当を作って……」

「い、いや。俺が好きなものというか、食べたいのは、ウィンナーなんだけど……肉巻きおにぎりも気になるけどね」

「っ……」


 鷹音さんが弁当を下げようとするので、何とか思いとどまってもらう。


 ――しかしどうやらギリギリだったようで、鷹音さんの目が少し潤んでいる。泣きそうというわけではないが、かなり思い詰めていたようだ。


 お弁当を見せるというのは、彼女にとってそれだけ勇気が必要で。


 それでも俺を誘ってくれた。さらには、この中で何が好きかを聞くということは――分かっていて答えるのは、どうしても照れてしまう。


「……ウィンナーでよろしいですか?」

「……よろしい、はかしこまり過ぎかな」


 鷹音さんは微笑み、箸を持つと、ウィンナーを俺に差し出してくる。


 テーブル越しに身を乗り出しても、お弁当に髪がかからないように――つまり鷹音さんは、ここまですることを最初から考えていた。


 位置が離れているとはいえ、テラス席には他の生徒もいる。それでも、鷹音さんは周りのことを気にする様子がなく、俺も彼女を止めるなんてことは考えない。


 鷹音さんの口が動く。口を開けるように言おうとしてくれたのか、今の俺は何を言われても彼女に従う以外には――。


「――あ、あそこに座ってるのって鷹音さん?」

「「っ――!!」」 


 俺も鷹音さんも同時に反応する――テラス席の出入り口の方から、聞いたことのある声が聞こえてきた。


 座り直した鷹音さんは、声の主の方を見て小さく手を振っている。そしてやってきたのは、中学の時に同じ部活にいた中野さんだった。


「な、ナギセンが鷹音さんと一緒にいる……一人で来た私の判断は正解だったってことですねー、危ない危ない」

「あ、危ないってことはないけど……」


 高校に入ってからは一度も話していないから、久しぶりすぎてどう話していいのか分からない。


 中野さんは俺と朝谷さんとのことを知らないし、鷹音さんとのことも――改めて思うが、俺と鷹音さんとのことを、どういった相手になら知られていいのだろうか。


 二人でいるこの状態について、すでに怪しまれている節もあるが――しかし改めて見ると、中野さんは中学の頃と比べてかなり容姿の印象が変わっている。受験に備えて髪を黒くしたりするのは必要なことなので、当然といえばそうだが。


「霧ちゃんに紹介されて鷹音さんとはもう友達みたいなものなので、私も空気を読む要員として数えてもらっていいですよ?」

「……その方向で、よろしくお願いします」

「えっ……た、鷹音さん?」

「こういうときって男子の方が狼狽うろたえるんですよね。まあナギセンって中学の時から女の子に弱いし、変わらないところは好感持てるけどねー」


 鷹音さんにはなぜか敬語で、俺に対してはため口というのが、彼女の中でのヒエラルキーを示しているらしい。


「ナギセン……というのは、千田薙人さんだからですか?」

「あ、それもありますけど、ちょっと違ってですね……私、読書部に入ったのは途中からだったんです。それで先に部に入ってたナギセンを先輩って呼んでたんですけど、それから紆余曲折あって……」

「いや、俺は一度もその呼び方に同意したことはないんだけど……」

「ナギくんは霧ちゃんとかぶるし、ナギセンが私には丁度いいんだよ」


 その理屈も良く分からないが、中野さんは相変わらずといった調子だ。


 中学の頃はクラスの陽キャラグループと絡んでいて、その中でもリーダーシップを取れるようなギャルだったのだが、そんな彼女が読書部に入ってきたのは、色々と理由があり――というのは、今はいい。


 鷹音さんは俺と中野さんが知り合いだったというのを、どう思っているだろう。体力テストの時に中野さんと話したというのは聞いたが、「明るい人ですね」という第一印象を話してくれただけだ。


「それにしても、あのナギセンがねえ……鷹音さんと接点っていつあったの? 街角でパンをくわえてぶつかったとか?」

「その辺りはノーコメントで。中野さん、友達が待ってるみたいだけど」

「うーわ、無理やりスルーした。あとで呪いのスタンプを送ってやる……鷹音さん、良かったらまた仲良くしてください! それじゃ!」


 中野さんは俺に向けて威嚇するような顔をしたが、鷹音さんに対してはやたらと素直だ――格好いい女性に憧れると言っていたので、鷹音さんも当てはまっているらしい。


「……そ、その……中野さんは、面白い人ですね」

「そ、そうだね……本人も、そう聞いたら喜ぶと思うよ」


 『明るい人』から『面白い人』になったのは、評価が上がったと言っていいのだろうか。

 

 それからは談笑しながら弁当を食べたが、最後まで鷹音さんは俺にもう一度弁当を食べさせてくれようとはしなかった。その点においては遺憾ながら、中野さんに呪い返しを行わなくてはいけないだろう。


 ◆◇◆


 鷹音さんは次の授業で当てられているからと、俺より先にテラス席を後にして教室に戻った。


 戻る前に、鷹音さんはじっと俺の顔を見ていたのだが――その意図が分からないまま、一息つきながらぼんやりしている。


 そうやって気を抜いているから、不意を突かれることになる。


「ナーギーくん」

「え……」


 不意に声をかけられ、肩に軽く手を置かれる。それだけで、それが誰なのか分かってしまう。


「……朝谷さん」

「ふふ、お腹いっぱいでゆっくりしてたところ? ナギくんには珍しくリラックスしてるね」

「ま、まあ普段と変わらないつもりだけど……」

「そっか、それなら私に対しては隙がなかっただけなのかな?」


 朝谷さんはいつもの髪型に戻っている。サイドテールがさらりと流れる――体力テストの間は違う束ね方をしていたのに、彼女の髪にはくせ一つついていない。


 それは彼女が芸能人だからじゃなく、表に見せない努力があるからだ。常に隙がない、そう例えるべきは彼女自身だろう。


「……鷹音さんから聞いた?」

「朝谷さんが、応援してくれる……って」

「うん、そう。前の時は、シリアスな空気になっちゃったから。夕方の図書室って、雰囲気あるよね」


 朝谷さんの声は軽やかだった。彼女は鷹音さんが座っていた席を見やる――鷹音さんがいたことを、朝谷さんはおそらく気づいている。


「俺と鷹音さんのことを、食堂の中から見てた……とか?」

「最後のほうだけね。鷹音さん、何か用があって先に戻っていったでしょ。だから、チャンスかなって」

「あ、朝谷さん……」

「ナギ君にも言っておきたかったし。鷹音さんとのこと、応援するって」


 もう付き合い始めてる――そう律儀に訂正しても、彼女はきっと微笑むだけだろう。


 聞きたいことはたくさんある。春休みの間は、俺たちはタイミングがずれて、会って話したりはしなかった。


 それが今になって、朝谷さんが俺のことを気にかけているように見えるのはなぜなのか。


「元カノに応援されてもしょうがないか」

「そんなことは……ただ、なんでだろうって思いはする……かな」

「ふふっ……ナギ君、探偵役に向いてそう。溜めを作って話すの、雰囲気出てる」


 本当なら、茶化しているように言う彼女に何か言うべきなのかもしれない。しかしそうできないのは、朝谷さんに悪気があるように見えないからだ。


「前にラジオで、推理ドラマっていうのをやったんだけど、視聴者の人は全然答えがわからなくて。難しすぎても駄目なんだよね、ヒントがないと」

「それは……確かに。でも、ヒントが多すぎても、自分で解いてるって感じはしないかな」


 朝谷さんがかすかに目を見開く。感心してくれているような――俺がそんな意見を出すとは思わなかったという反応なのか。


「適度なヒントが大事ってことなのかな。私もそれが分かってたらな……」

「……朝谷さん、またラジオに出るって聞いたけど」

「そうそう、連休中に、久しぶりに公開収録があるんだよね。ちょっと前にも……」


 『前にも』――ラジオの話なら、確か春休みの間に、朝谷さんがラジオにゲスト出演したことがあった。今やっているドラマが始まる前の、番宣の一環だ。


「――ナギ君、何か気づかない?」

「え……」


 急に言われても――と思うが、今の話の流れだと、ラジオ関係のことだろうか。


「3、2、1……」


 朝谷さんは容赦なく秒読みを始める。それだけの時間では答えに思い当たらない――すると。


「……時間切れ」


 朝谷さんが手を伸ばしてくる。そして、何をするかと思うと――。


「っ……」

「……ん」


 こともあろうに――俺の頬についていたご飯粒を取って、朝谷さんが食べてしまった。


「真面目な話してるのに、可愛いよね。ナギ君は」

「あ、朝谷さん……」

「じゃあ、またね。応援はちゃんとするから、心配しなくていいよ」


 朝谷さんは俺を残して、テラスから学食に入っていく。


「……心配って、どういうんだ……」


 いたたまれなくなり、テーブルにうずくまる。何事かと身構えていたら、まさか頬にご飯粒とは――鷹音さんが俺の顔を見ていたのも、それが理由だったのだろう。


 ちゃんと気づいて取っていれば、朝谷さんに翻弄されることもなく。朝谷さんは元カノの気軽さで、鷹音さんが遠慮するところを素通りしてしまった。


(元カノって言っても、付き合った期間が長いわけじゃないし、友達みたいなもので……それで、こんなことするのは普通なのか……?)


 考えているうちに、鷹音さんからメッセージが届く。そろそろ戻ってきたほうが、というので、急いで戻る旨を伝える。


 他には中野さんからの呪いらしいスタンプが届き、その下に文章が添えられていた。


『ナギセンさ、部活って霧ちゃんと同じにしたの?』

 

 この質問が何を意味するのか――なんて、俺には推理できない。そのままの内容で受け取り、『違う部活だよ』と返信しておいた。


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