ACT3-6 彼女と友達


「――ナギセン、ごめんなさい……っ」


 まだ部活が始まる前。他に人のいない放課後の図書室で、俺は中野さんに謝られていた。


「ごめんっていうのは……公開収録のチケットのこと?」

「……私、中野唯は、余計な気を回してしまいました。友達のことを思ってとか、全部言い訳です。私は空気の読めない、人の幸せを壊そうとしたサイテー女です……っ!」

「い、いや、そこまでは……全然というか、全く中野さんを責めるつもりはないけど」

「そこはめっちゃ責めて、そうじゃないと私が私を許せないから。縄とかで縛って、存分にヤキ入れていいから……!」


 中野さんは無抵抗を示すように、腕を後ろに回す――この状態で対峙しているだけで、いかがわしいことをしているように見られてしまいかねない。


「縄とか、そういうのも全然考えてないし……中野さん、言葉遣いが荒れてた時に戻っちゃってるよ」

「あっ……ご、ごめん。こんな時にギャル語とか引くよね」


 ギャルというかヤンキー的な感じがするのだが、それ以上は言わずにおく。


「それで……俺にチケット渡したら、行くだろうとは思ってたんだよな」

「……鷹音さんと急に仲良くなってるの、私だって気づいてたし。ナギセンはずっと霧ちゃんに片思い一筋だと思ってたから、勝手に暴走しちゃって……」


 片思い――確かに、中野さんの言う通りだ。俺は朝谷さんから好きだと言われたわけじゃない。


 それでも朝谷さんに『元カノ』と言われた以上は、ちゃんと告白を告白として受け取られていたことは事実で。


「……俺、朝谷さんに告白して、振られたんだ。高校に入ってすぐ」

「……ナギセンが? 奥手もいいところって先輩たちにからかわれてたのに……こ、告白って……えっ、どういうこと……?」


 中野さんは本気で困惑している――無理もない、俺だって、卒業式の日に告白しようと前から思っていたわけじゃない。


 あの時言わなければと思った。それは、高校で朝谷さんと疎遠になることを恐れたから――同じクラスになることも、期待はしても確実じゃないと思っていた。


「……じゃあ、私……絶対に、許してもらえないようなことしてた……?」

「……いや。中野さんには、感謝してる。公開収録に行きたい理由があったから」

「それって、ファンの人が出待ちするかもって噂のこと?」


 俺は頷く。そして、朝谷さんに会えたこと、車が迎えに来るまでは一緒にいたことを話した。


「……やっぱりナギセンって、やるときはやるよね。ときどき大胆っていうか」

「クラスに芸能人がいるからって、凄くはしゃいでる人みたいだけど……」

「またそうやって謙遜する。ナギセンは霧ちゃんにとって、他の人とは違うでしょ。同中だからってだけじゃなくて」

「はは……そうでもないから、振られたんだと思うよ」


 自分でも声に力がないとは思うが、事実とはいえ、言うには勇気が必要だった。中野さんは直接言葉にはしなかったが、俺と朝谷さんのことを応援してくれていたのだろうから。


 中野さんが気に病むことは全く無い。彼女に朝谷さんとのことを話していなかった俺も悪いのだから。


「……ナギセン、霧ちゃんからすぐに鷹音さんに乗り換えちゃったとか、そういうことじゃないよね?」

「それは……そう見えるかもしれないけど、そうじゃないよ」

「鷹音さんとどうやって仲良くなったのかもそうだけど、私がいつナギセンに話しかけようかってタイミング測ってるうちに、色々ありすぎでしょ……はぁぁ」


 中野さんは深い溜め息をつく――彼女は彼女で、色々と気苦労があったようだ。


「それで……え、えっと、霧ちゃんの収録を見学したことは、鷹音さんには……」

「伝えたよ。これから、一緒に帰る約束してるから……」

「……怒られちゃったら、全部私のせいでいいから。この卑しい中野唯めにはめられたって言っていいからね」

「言わないよ。それより部活が始まったら、改めてよろしく」

「お、おう……それはもう私こそっていうか、私も新人なんだけれども……」


 最初は責任を感じていた中野さんだが、何も彼女が悪いと思うことはない――俺を嵌めたというよりは、心配してのことだったようだから。


 後は俺が、鷹音さんに許してもらえているのかどうかだ。昨日の放課後は、彼女は何か用事があったみたいで、夜も少ししか話せていない。


「ナギセン」

「ん?」


 図書室を出ようとしたところで、呼び止められる。振り返ると、中野さんは小走りで駆け寄ってきた。


「また話せて良かった。もう変な気を回したりしないから、仲良くしてくれるかな?」

「変なってことはないよ。中野さんは良かれと思ってしてくれたんだと思うし、められたなんて思ってないよ」


 改めて強調すると、中野さんは少しだけ目を潤ませて、別の方向を見て顔を袖で拭ってからこちらを見た。


「薙人くんってそうだよね、いつも人のこと悪く言わないの」

「……ナギセンって言わないときの方が、俺のことを尊重してくれてないかな?」

「あはは、バレちゃった。いえいえ、そんなこと無いですよ? 私は本当に敬愛を込めてナギセンって呼んでるんだから。じゃ、ふつつかものですがこれからもよろしくね」

「ふつつかというか……まあいいか」


 中学のときもそうだった。いつも一緒にいたりはしないが、顔を合わせて話し始めると長くなるような、中野さんはそういう相手だった。


 俺が図書室を出ていくまで、中野さんはひらひらと手を振って見送ってくれた。疎遠になると思っていたけど、高校でも同じ部活だし、どうやら腐れ縁になりそうだ。



 自転車置場のところで待っていると、鷹音さんは言っていた。長く待たせられないと、急いで来たのだが――。


 いつものように、姿勢良く立っている鷹音さん。その隣には、朝谷さんの姿がある。


 これは――もしかしなくても、処刑の時間なのだろうか。


 鷹音さんと付き合っていながら、朝谷さんの公開収録を見学に行ってしまった。そして、朝谷さんは意識していないかもしれないとはいえ、缶コーヒーで間接キスをしてしまった――いや、朝谷さんが気にしていないのなら、それを鷹音さんに言うわけもない。


「あ、固まってる。ナギ君ったら、そういうとこ可愛いよね」

「っ……朝谷さん、話し合ったとはいえ、それは……っ」


 鷹音さんが引き止めようとするが、朝谷さんはこちらにやってくる――その足取りは、弾んでいるように見える。


「ナギ君、ごめんね。昨日の放課後、鷹音さんのことちょっと借りちゃってた」

「っ……鷹音さんと、二人で話を……?」

「うん。鷹音さん、私のこと想像してた以上に分かってて……これから仲良くしようってことになって。正式な友達になっちゃった」


 正式っていうのも変かな、と朝谷さんは鷹音さんの方を振り返りながら言う。


 『友達』――それは俺に対しての『友達』とはまた違うのだろうが、話が急すぎて理解が追いつかない。


 どこか牽制しあっているようなところのあった二人が、確かに打ち解けているように見える。『今カノ』と『元カノ』の間に友情が成立している――そんなことが起こりうるものなのだろうか。


「一緒に待ってたのは、そのことを伝えたかっただけ。ナギ君が収録に来てくれたこと、まだお礼し足りないなって思ってて……今度またお礼がしたいんだけど、鷹音さんはお茶をするくらいならいいよって言ってくれたの」


 鷹音さんと付き合っているのに、朝谷さんと二人でカフェに行ったりするのは良くない――その考えは今も変わっていないが、当の鷹音さんが許可をしてしまったら、今度誘われたら断れなくなってしまう。


「……ナギ君は、迷惑かな。私がこんなふうに、二人の近くにいたら」


 世の中の別れた男女というのは、距離を置いてからでも友達のような関係を続けられることもあるという。俺にとっては現実味がなく、そういうことができる人たちは特殊な事情があるだけだと思っていた。


 今、朝谷さんに同じことを求められている。けれどそれは彼女が言っていた通り、今後も友達だということなら、彼女は意見を変えたりはしていない。


 鷹音さんもこちらにやってきて、朝谷さんを見てから、俺に微笑みかける。彼女は無理をしたりはしていないように見えた。


「私は大丈夫です。朝谷さんがどんなに魅力的でも、絶対に負けませんから」


 朝谷さんは友達で、鷹音さんは俺の彼女で――『負けない』なんて宣言する必要はないはずなのに。


 何か、ピースが足りていない。けれどあえて足りないままで、二人は話を進めようとしていて。そこに口を出すのは野暮に思える。


「じゃあ……今日は、二人でごゆっくり。今度、一緒に鷹音さんと唯ちゃんとお買い物に行くけど、ナギ君も来てくれる? カラオケも行く予定だよ」

「え……そ、それは、女子だけの集まりなんじゃ……」

「そんなことはないです、薙人さんがいてくれた方が……いえ、その前に、できれば……」


 鷹音さんのどぎまぎとした様子を見て、遅れて気がつく。彼女は俺と二人でも会いたいと、そう言おうとしてくれてるんじゃないだろうか。だろうか、とか偉そうなことは言えなくて、それはとても光栄な話で――駄目だ、情報が過多で整理できない。


「そうだよね。二人の初デートのこととか、気にしちゃうのも野暮だから。できれば、ゴールデンウィークには一緒に遊びたいね」


 話が進んでしまっているが、なぜこんなにも朝谷さんの様子が変わっているのだろう。


 それを聞かれることを察したみたいに、朝谷さんは一歩引いて、鷹音さんを俺の前に押し出す。


「私は、ナギ君と鷹音さんのことを応援してる」

「……ありがとう、朝谷さん」

「前にもそう言ったけど、今はちょっと違うよ。応援だけじゃ、ないから」


 それは――どういう意味なのかと尋ねる前に。


 朝谷さんは俺に近づき、耳元に、涼やかな声の響きを残していく。


「間接キスのこと、言っちゃった」

「っ……」


 彼女はそれ以上は何も言わない。手を振って、走っていく――サイドテールが風に流れ、ただ走る姿さえ、印象的なワンシーンに変わる。


「……すみません、薙人さんに言わずに、朝谷さんとお話しして」

「い、いや……少し驚いたけど。鷹音さんが、そうしたかったのなら、俺は……打ち解けられたみたいだし、良かったと思うよ」

「本音を少しだけ、ぶつけあったんです。私たちは、お互いのことが嫌いで……やっぱり、ライバルみたいなので」

「ライバル……朝谷さんが?」

「今は、気になさらなくても大丈夫です。私も朝谷さんには思うところがあったので……優しいばかりでは、ないです」


 そんなことはない――鷹音さんは、他に類を見ないくらいに優しい人だ。


「……薙人さん。私に、何か謝りたいことがありませんか?」

「謝る……あ、ああ。朝谷さんを送ったときの……」

「はい。とてもひどいです。私は、まだそんなことをしてないです。『今カノ』なのに」


 糾弾されているのに、言葉はとても柔らかい。優しく責められることが、癖になってしまいそうで――それじゃ、完全にハマってしまってる。


 それはもう分かっていたことだ。


 鷹音さんのことが好きだ。朝谷さんを前にしても、その気持ちは揺らがない。


「だから……ちょっとだけ。ゲームを、しませんか」


 スクールバッグから、鷹音さんが小さなお菓子の箱を取り出す。どこの店でも目にするポピュラーなものだ。


「鷹音さん、それ……」

「友達に貰った、ということにしておいてください。本当は校内では控えめにしないといけないんですが……今日だけは、特別に……」


 苺チョコレートのプレッツェル。それを一本取り出した鷹音さんが、俺に差し出してくる。


 いつもは働かない勘が訴えてくる。鷹音さんが言った『友達』は、たった今までここにいた朝谷さんのことなのだと。


「……あーん……」


 誰かが見ているかもしれない、けれど今俺たちがいる自転車置き場に人の気配はない。


「……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 俺は意を決して、鷹音さんの差し出したプレッツェルを食べようとする。


「……引っかかりました」


 すっ、とプレッツェルが横を向いて。代わりに、頬に柔らかい感触が触れた。


 キス――鷹音さんが、プレッツェルを持っていない方の手を俺の肩に置いて、少し背伸びをして。頬に、唇を触れさせた。


「……鷹音さん」

「…………」


 鷹音さんは何も言わないで、俺をじっと見つめながら、改めてプレッツェルを俺に差し出す。


 戸惑いつつも、何を求められているのかを察して口を開けると、ゆっくりプレッツェルを口に入れられる。


 半分以上俺に食べさせたあと、鷹音さんは残りの半分を食べてしまう。そして、いつもクールな彼女からは想像できないほど楽しそうに言った。


「間接キスだけでは、おあいこなので……」


 何度も彼女のことを天使のようだと思った。


 こんな俺を好きだと言ってくれて、こんなふうに、言葉にならないくらいの幸せをくれる。


 顔を真っ赤にするくらい照れながら、彼女は今みたいなことをしたいと思ってくれた。


 朝谷さんに負けたくない、それは無理をしているわけじゃなくて、彼女が望んでそうしてくれているのなら。


「薙人さんを好きな気持ちでは、他の誰にも負けませんから」


 鷹音さんが朝谷さんとどんなことを話したのか、まだ全部は聞けそうにない。


 朝谷さんは、俺と鷹音さんのことを応援してくれている。でも、それだけじゃないとも言った。それがどういう意味なのか、やっぱり俺には想像もできない――朝谷さんのことは、未だに分からないままだ。


 でも、それだけではないとも思える。朝谷さんが俺を振ったことに何か理由があるのなら、それをいつか聞けるかもしれない。『友達』としてならば、話せることかもしれないから。


「……今日は、途中まで一緒に帰ってもいいですか?」

「うん。俺も、そうしたいと思ってたんだ」

「っ……」


 校門まで一緒に行くだけでは寂しいと思った。そう全部言葉にすることはできなくて、けれど気持ちが伝わっていればと思う。


「鷹音さん、途中で寄りたい場所はある?」

「……読書部の活動で読む本は、買っていっても良いそうなので。本屋さんに行きませんか?」

「それはいいね。お互いにいい本があったら交換したりとか……は図々しいかな」

「い、いえ。私も、そう思っていました。薙人さんの読んだ本なら、何でも読んでみたいです」


 誰かに見られることも気にしないで、俺たちは校門まで歩調を合わせて歩いていく。どんな作家の本が好きだとか、なぜか中野さんや朝谷さんの好きな本を教えられたりだとか――時には驚いて、時には彼女の笑顔に目を奪われながら。


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