ACT2-2 元カノと今カノ
体育館にやってくると、結構な人数の生徒がいた。いい記録を出してガッツポーズをしていたり、悔しがっていたりと悲喜こもごもだ。
「お、うちのクラスの女子もいるじゃん」
高寺の言う通り、俺たちのクラスの女子たちが、班ごとに測定種目を回っている。
「鷹音さんと朝谷さん、やっぱり周囲から際立ってるよね。先輩たちまで注目してるよ」
鷹音さんたちは体育館で測定する種目の最後となる、反復横跳びの順番待ちをしていた。
教室を出るときは皆ジャージを着ていたが、今は動きやすいようにほとんどの生徒が脱いでいる。鷹音さんは少数派で、上のジャージを着たままでいた。朝谷さんも同じ格好だが、計測の時は脱ぐようだ――と、見すぎてはいけない。
しかし俺の自重をよそに、鷹音さんたちを遠巻きに見ている人物の存在に気づいた。
「あの先輩ら、めっちゃ見てね?」
「わー、ガン見してる……反復横跳びなんて、そこまで食いつくものかな」
高寺と荻島が引くくらい、鷹音さんたちに興味の視線を向けているのは――案の定と言ってはなんだが、テニス部の先輩男子たちだった。
「お、おい、あいつ……」
3年のゼッケンをつけた男子が二人。一人は俺を見て何か焦っており、もう一人もまずいものを見たという顔をしている。
しかし俺たちも計測に来たということがわかると、安心したように顔を見合わせ、こちらにやってくる。
(ニヤついてるな……何か妙なことでも考えてなきゃいいが、どうやら駄目みたいだ)
「そこの一年、計測に来たんだろ?」
「もうすぐ長座体前屈が空くから、俺らが手伝ってやるよ」
俺に足をかけようとした男子と、もう一人は――鷹音さんの鞄を掴んで、無理やり引き止めようとした男子。クラスは同じで、両方とも3年D組だった。
「上の学年が後輩に教えるのが毎年恒例になってるからさ。ほら、こっち来いよ」
体育担当の先生から実際にそう言われているようで、俺たちのグループは三人ずつ壁際に座るよう指示される。
俺の番がやってくる――俺の『指導』をするのは、鷹音さんの鞄を掴んだ男子だ。
「なあ、怪我とか別にしてないよな。俺ら、何もしてないからな」
男に囁かれるのは全く気分が良くないし、内容も内容だ――どうやら、俺が学校に言ったりしないかと気にしているらしい。
「何のことですか? 俺には覚えがないですが……」
「っ……な、ならいい。調子がいいんだったら、いい記録が出せるように手伝ってやるよ」
初めからそういうつもりなのだろうとは思っていたが、本当にその通りだと逆に同情したくなる。
「せ、先輩、後ろから押しちゃ駄目なんじゃないっすか?」
「いいからいいから。一回あれやっとくと記録が伸びんだよ」
高寺が注意してくれようとするが、もう一人の三年男子に制止される。
長座体前屈では、誰かに押してもらうのはルール違反だ。だが、先輩は思い切り俺の背中を押してくる。力加減は一切無い。
――しかし俺は初めの姿勢のままで、一切微動だにしなかった。
「……お、おい、何してんだ?」
「っ……ち、違う……こいつ……っ」
隣で高寺の計測を手伝っている三年男子が、驚きの声を上げる。
何をされるか分かっていて、されるがままになってやる義理はない。
「先輩、どうしました?」
「お、お前っ……!」
「そこ、何してるの! 体前屈でそんなふうに押しちゃだめでしょ!」
「っ……やべっ……」
先生が気づいて、ホイッスルを鳴らす――俺の補助をしていた男子は先生の小言を受けて、すごすごと体育館を出ていった。
「ときどきああいう悪戯する子がいるのよね……まったく、三年生にもなって」
「いえ、俺こそすみません、お手数をかけてしまって」
「何か困ったことがあったら先生に言ってね。計測、もう一回できる?」
「はい、大丈夫です」
安心したように先生は笑い、反復横跳びの計測に戻る。三年がそそくさとその場を離れたあと、高寺が死にそうな顔で声をかけてきた。
「千田、マジ悪ぃ……俺、先輩が相手だからって止めらんなくて……」
「僕もごめん、見てるしかできなくて……千田くん、あの先輩たちと知り合いだったの?」
「まあ、ちょっとな。気にしなくて大丈夫だ、何もなかったしな」
「何もないって、めっちゃゴツい先輩に押されてたじゃん、お前……あれ、見た目よりあの先輩が力無かったとか?」
「どうだろう。それより、測定してくれる人がいなくなったから頼めるか」
「お、おう。あれだけ押されても、千田の身体がめっちゃ硬くて動かなかったとか……って、うぉぉっ……!?」
ジムで股割りをしていると、柔軟性を問われる種目は自ずとして得意になる。
顔が自分の足に付くまで身体を倒し、指を伸ばして、つま先以上にまで測定器具を押した。
「どうだ……?」
「どんだけ身体柔らかいんだよ、お前……軟体生物か?」
「いや、うちの家族の方が柔らかいから」
家族といっても流々姉のことなのだが、なんとなく姉がいるとは言いづらい。きょうだいのいる人間なら、そういう時期があったり無かったりするのではないだろうか。
「お、おい……うちのクラスの女子も見てるぞ」
「え……」
顔を上げてみると、さっきまで俺たちのことに気づいていなかったはずのうちのクラスの女子たちが何人かこちらを見ていた。
その中に、鷹音さんと朝谷さんがいる。
鷹音さんは俺と目が合いそうになるとつい、と目を逸らしてしまい、朝谷さんはそれを見て――まるで友達に対してそうするように、困ったように笑っている。
「やっぱ朝谷さんって優しいんだな、千田が絡まれてるから心配してくれてたんだよ」
「ま、まあ……そうかもな……」
テニス部男子への対応に気を取られていた俺は、いつから見られていたのかに全く気づいておらず、一気に体温が上がってしまう。
それ以上に気になるのは、鷹音さんと朝谷さんが『一緒に』俺を見ていたことだ。
(二人の仲が険悪にならなかったなら、むしろ安心すべきなのか……一緒に行動してるうちに仲良くなったとか、そういうことなのか?)
――一応、ナギ君の元カノ……でいいんだよね?
――今からは私が千田くんとお付き合いをするので、私が『今カノ』です。
まだ俺と鷹音さんが付き合うことになっていなかったとはいえ、あれは実質上の、鷹音さんからの宣戦布告だったと思う。
しかしそれを言われた朝谷さんが、鷹音さんに張り合うというのも考えられない。朝谷さんは俺のことをあっさり振ったし、あの場で彼女が『元カノ』と言うこと自体、全く想像もしていなかった。
朝谷さんが俺や鷹音さんに揺さぶりをかけるために言ったというのも考えにくい。俺と鷹音さんは確かに親しくなっていたが、それに朝谷さんが気づいたとして、気にかけたりするとは考えづらい。
図書室にあえて来たことを、朝谷さんの意思表示と捉えるのか。俺を振った彼女がまだ関心を持っているとか、そんなふうに想像するのも違うんじゃないか。
「千田、そろそろ次の測定行こうぜ。女子も測定始まるみたいだし」
「鷹音さんと朝谷さん、一緒に測定するんだ。さっきの先輩たち、見られなくて残念だったね」
荻島も先輩方には思うことがあったらしい。高寺は肩を竦めつつ、女子の測定が気になるようだったが、他の連中にも声をかけて握力測定に向かう。
「千田くん、先輩と何かあったん?」
「すげえよな、あんなふうに圧かけられたら普通びびっちゃうって」
確かにクラスメイトは先輩を前にして緊張しているようだったが、それで俺がクラスで浮いてしまうようなことが無かったのは良しとする。目に見えて喧嘩腰だったりすると、さすがに引かれてしまっただろう。
鷹音さんたちはどう思ったのだろうか――と、握力計の順番待ちの間に振り返ったそのとき。
「うお、鷹音さんも朝谷さんも運動神経すげえな……それにスタイルが二人ともヤバい」
「綺麗な子って何をしても絵になるよね」
高寺が語彙を失う気持ちもよくわかる。ジャージを脱いで上下体操服姿になった鷹音さんは、クラスの中で群を抜いて機敏な動きだった。
朝谷さんも運動神経が良く、鷹音さんと遜色ないくらいに速い。そして二人で競うような姿が、本当に絵になる――体育館にいる誰もが彼女たちに視線を送ってしまうのも無理はない。
「同じクラスで誇らしくもあり、俺たちのアイドルのありんをそんなに見んなよという気持ちもあり、複雑なとこだな。なあ千田」
「あ、ああ……」
「千田くんは鷹音さんの方が気になってそうだね。二股は駄目だよ?」
「っ……そ、そんなことあるわけないだろ」
荻島は冗談で言ったのだろうが、思わず動揺してしまう――高寺も荻島も気づいてはいないようだが。
計測が終わったあとになぜか拍手が起こり、鷹音さんは気にしていないようにジャージを羽織り、朝谷さんは愛想良く手を振っている。
俺たちも次は反復横跳びだが、鷹音さんたちは外での計測に向かうために体育館を出ていく。
最後に鷹音さんがこちらを見たが――俺と目が合うと、はにかんだ微笑みを見せる。
手を振ろうとした鷹音さんだが、横から朝谷さんが俺に向けて手を振ってくる。
「お、おい……のありん、俺に向けて手を振ってね?」
「どう見ても千田くんでしょ。やっぱり同じ中学で仲良かったんだね」
「ま、まあ普通にな……というか、みんな浮足立ちすぎだ」
「そりゃリアルに学園のアイドルがいるんだぜ。鷹音さんもやっぱすげえよな、のありんと一緒にいても目立ってたし」
「あ、ああ……」
今さら気づくのもなんだが、友達に対して鷹音さんの話をするとき、どんなスタンスで話すかを決めていなかった。
まだ彼氏としての目線で話すわけにはいかないので、クラスメイトとして考えるのが一番いいだろうか――秘密にしているわけではないので、付き合っているのかとはっきり聞かれたら、その時は腹を括って答えるしかないが。
「せっかく同じクラスなんだし、どっかで絡めるといいよな。なあ千田」
「そうだな……色々行事もあるしな」
「同じ部活とか委員会じゃないと接点少ないんじゃないかな?」
「それを言うなよ、もう部活変えらんねえんだからよ……あー、のありんどこの部に入んだろーな」
朝谷さんは軽音部がいいと言っていたが、本入部はしたのだろうか。
俺は読書部にしようと思っているが、まだ入部届は出していない。入る部活が決まったら鷹音さんに教えるという約束だが、読書部と言ったらどういう反応をされるだろう――そして、鷹音さんは何部を選ぼうと思っているのかも気になる。
◆◇◆
体育館での測定を終えたあと、少し早めの昼休みとなった。
高寺と荻島は入ったばかりの部活の先輩に呼ばれ、昼は別行動することになった。そうなると自動的にぼっち飯になるところだったのだが――。
晴れの日は、学食からウッドデッキに出ることができる。数十人分のテーブル席があるのだが、俺は日差しが直接当たらない場所を選び、端の席に座っていた。
「っ……お待たせしました、薙人さん」
「う、うん。俺も今来たところだよ」
待っていた俺の姿を見るなり、鷹音さんが物凄く感激してくれる。
教室で着替えているときに鷹音さんからメッセージが来たときは、体育館でのことを言われるのかと思ったが、少しやり取りをして彼女の意図が分かった。
『今日はお弁当を持ってきたんです』
『薙人さんもお弁当だったら、一緒に食べませんか?』
クラスの人に誘われているんじゃ、とか、色々世間体を気にするような考えが過ぎったが、それよりも嬉しさの方が大きく勝った。
「あ、あの……体育館で見かけたとき、本当は声をかけたかったんですが……」
「俺もそうしたかったんだけど、さすがに目立つからさ」
「体力テストと言っても授業中ですから」
目立たないようにと言っても普通に一緒に登校してきているし、他の生徒に見られてもいる。しかしクラスの一同が揃っている体育館で喋ったりしたら、やはり何事かと思われるだろう。
「……すみません。私のことで、テニス部の先輩に何か……」
「俺のことは覚えてるみたいだったけど、大したことはされなかったよ」
「は、はい。薙人さん、すごく身体が柔らかいんですね。先輩に押されたときは動かなかったのに、いざ測定してみたら……朝谷さんも驚いていました」
「そ、そうなんだ……ジムで怪我しないように、いつも柔軟とかしてるからさ」
「朝谷さんも凄く柔らかいんです。私も子供の頃にバレエを習っていたので自信があったんですが、長座体前屈は同じくらいでした」
朝谷さんの名前が普通に出てくるが、そのことについて聞いてもいいのだろうか。思いはするが、なかなか触れづらいものがある。鷹音さんがバレエをしていたというのも気になるが、そこに食いつきすぎても引かれてしまうだろうか。
「鷹音さんはどの種目が得意なの? 反復横跳びも凄かったけど」
「あれは、朝谷さんが競争しようと言ってきたので、それで……」
「そ、そうなの? 朝谷さんが……結構負けず嫌いだからな」
「私も少し自信はあったんですが、勝ったり負けたりで、最後まで決着がつきませんでした。反復横跳びは同じ回数だったんです、握力は私の方が……」
鷹音さんが言い淀む。なぜだろうと考えて、今回は我ながらすぐに思い当たった。
「鷹音さんはテニスをやってたからかな」
「は、はい。グリップを握る利き手は、いつも力を入れていたので……」
「俺も結構握力はあるほうだよ。あまり役に立つところがないけどさ」
握力で朝谷さんに勝ったというのは、乙女としては複雑なところかもしれないと思ったのだが、どうやら思った通りみたいだった。
「……では、比べてみますか?」
まさかこう来るとは――この場で握力を比べるとか、それは互いの手を握るとかそういうことになってしまう。
「え、えーと、鷹音さんが良いなら……」
「ふふっ……すみません、つい薙人さんの驚く顔が見たくなってしまって」
「っ……た、鷹音さん……」
楽しそうに笑う鷹音さん。普通に手を出しかけていた俺は、何事もなかったかのように手を引っ込める。動きが不自然極まりない。
「……男子と比べたら、そんなに強くはないですよ?」
そう言って微笑む鷹音さんを見ていて思う。俺はもしかしたら、客観的に見て「リア充爆発しろ」と言われてしまう状況なんじゃないかと。
「今日はお昼休みが長くて良かったです。こうしてゆっくり話せますから……」
「俺もその……色々、話したいことあるから。鷹音さんが連絡くれて良かった」
「はい。私も、話したいことがあります。きっと、今薙人さんが聞きたいと思っていることだと思います」
鷹音さんと朝谷さんが、どんな話をしたのか。それだけを話したいわけじゃないが、できれば聞いておきたい。
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