ACT7-2 二人の視線
駅前の七階建てのショッピングビル。女性向けの服のあるフロアで中野さんは一着服を買い、次はファンシーショップのあるフロアにやってきた。
スイーツバイキングの店を出たのが、午後二時。今はそれから少し過ぎて、午後三時だ。
中野さんから朝谷さんからの返事は、集合時間の一時間前を最後に来ていない。
「女子って可愛いもん好きだよなー、うちの妹も集めてるよこういうの。俺も結構詳しくなっちまってさ」
「高寺くんってこう見えて、妹さん思いっぽいよね。ただの勘だけど」
「まあうちの兄貴もだけど、末っ子だから甘やかしちゃってんだよな」
「ほんとに買って帰ろうとしてる。僕も嫌いじゃないよ、こういうの」
「なんだ、兄ちゃんが買ってやろうか? ……千田、のありん……じゃなくて、朝谷さんなら絶対来るって」
「ああ……」
時間のことについて、皆はもう焦っても仕方がないと思っているようだった。俺も同じだが、これ以上時間が過ぎると、朝谷さんの仕事が終わっても遊べなくなる。
現実的には、もう彼女は来ないと思うべきところだろう。それは悪いことじゃない、また後日ということでもいい――だが。
「……ナギセン、うち、思ってたことがあるの。みんなも聞いてくれる?」
「ん? 何でも聞くぜー、どんな無茶でも千田ならやってくれるし、俺もそこに乗っていくから」
「中野さん、朝谷さんのことで何かあったの?」
荻島が聞くと、中野さんは俺たちそれぞれの顔を見てから、最後に鷹音さんのことを見ながら言った。
「霧ちゃんがお仕事してるところの最寄り駅は分かるから……そこに、これから行っちゃうっていうのはどうかな」
みんな、朝谷さんの提案に驚いている――俺もそれは考えたが、現実的じゃないと思っていた。
仕事が終わっていなかったら、押しかけても俺たちにできることはない。収録スタジオではスマホが使えないので、今の朝谷さんの状況もわからない。
「これから電車で行っても一時間かかっちゃうし、もう四時だから、一緒にいられる時間はそんなにないけど……でも、帰り道にカラオケ行ったりとか、それくらいなら……」
中野さんが少しずつ勢いをなくしていく。それは、やはり行ったとしても朝谷さんに会えなかったらという考えているからだろう。
「……そんなことしたら、霧ちゃんに迷惑かかっちゃうかな?」
「んー、まあのあり……朝谷さんが仕事中なら、終わらないことにはって話だけどさ。だったらそんときは電車の旅ってことでいいんでねーの?」
「うん、僕もいいと思うよ。電車って、どこの駅?」
高寺と荻島は、あっさりOKを出す――何でもないことのように。
「え、えっと……みんな、交通費とか大丈夫?」
「おう、俺は問題ねーよ。他の用事で都内は結構行ったりするしな」
「僕も時々千葉の方まで行ったりするよ。舞浜にはよく行くし」
「じゃ、じゃあ、希ちゃんは?」
「はい、定期のICカードがあるので大丈夫です。薙人さんは……」
交通費がどうとかじゃなく、行くか行かないかで迷うところでは――なんて、悩んでるのは俺だけみたいだ。このメンバーの場合、そんなものは障害にならない。
「俺も行けるよ。時刻表は……今から駅に行けば、ちょうど急行が来るな」
「はい、じゃあ決定ということで……ダーッシュ!」
「中野さん、お店の中で走るのは……っ」
そう言いつつも、鷹音さんは余裕で中野さんについていく――俺たちもこうしてる場合じゃない。高寺と荻島がこちらを見て笑い、俺も笑う。
「これが学園のアイドル……いや、全国区の芸能人と遊ぶってことだぜ、千田」
「わー、なんかすっごい上からなこと言ってる」
「二人とも、話しながら走ってると息が切れるぞ」
「んなこと言って千田がいっちゃん速えじゃねーかよ! どんだけのありんに会いてーんだよ! 俺もだけど!」
懲りずに『のありん』と繰り返す高寺だが、今ばかりはお咎めはなしでいい。
朝谷さんに会えるかどうか、全員での賭けだ。もし駄目だったとしても、このまま時間切れになって解散になるよりはいい。
先を行く鷹音さんに追いつく。彼女は俺を見ると、息を切らしながらも微笑む――風邪を引いていたばかりなのに、全力で走っても笑顔の鷹音さんは、やっぱり凄い女の子だ。
◆◇◆
急行を使ったからか、一時間よりはもう少し早く着いた。しかし、朝谷さんがどこで収録をしているかまではわからないので、駅で待つしかない。
「やっぱりメッセージは送れないのかな……あれ? 既読ついてる」
「じゃあ、電話を……ど、どうした?」
中野さんがすがるような目で見てくる――自分で朝谷さんにかけるのは緊張するということか。
鷹音さんも俺を見てくる。高寺と荻島は朝谷さんの電話番号を知らないとなれば、俺がかけるしかない。
「千田、朝谷さんと同じ中学だもんな。ここで頼りになるのはお前しかいねーよ」
「ああ、分かった……かけてみる」
出てくれるかどうか。祈りながら、朝谷さんのアドレスを表示して通話ボタンを押す。
皆の緊張が伝わってくる。何度か呼び出し音が続いて、もうすぐ留守電に切り替わりそうなところで――。
「――千田くん?」
朝谷さんの声がしたのは、スマホからではなかった。
声がしたほうを向くと――幻でも見たなんて、彼女は大袈裟だと笑うだろうけど。
前とは違う眼鏡をかけて、帽子を被って。そうやって変装をしていても分かる、朝谷さんがそこにいた。
「――霧ちゃんっ……!」
「っ……ゆ、唯ちゃん、落ち着いて。皆もどうしたの、こんなところで……」
「の……っ、朝谷さんのこと迎えに来たんすよ、皆で。な、千田」
「良かったー、ここで会えて。あ、でも、これから用事とかあったり……それは大丈夫?」
俺の右と左から、それぞれ高寺と荻島が出てきて言う。荻島が心配顔で尋ねると、朝谷さんは神妙な表情で溜めを作ってから――こちらに向けて、ピースサインをしてみせた。
「うぉぉぉぉ!! 千田、俺たちやったよ! こんな感動のゴールが待ってるなんて、やっぱ走って良かったんだよ!」
「高寺、声が大きいよ。でも良かった、本当に……僕が言うのもなんだけど、みんなで一緒に楽しくできたらって思ってたから」
「ありがと、二人とも。あんまり話したことないのに、私のために走ってくれたの?」
「の、のあ……じゃなくて、朝谷さんのためなら俺たちと、特に千田がどっからでも走ってくるんで、ほんといつでも呼んでやってください」
「勝手なことを……と言いたいけど。今日はまあ、良しとしとくよ」
「無礼講ってやつだな。いや、無礼講ってなんなのか知らねーけど、そんな感じだろ?」
「もー、男の子たちだけ盛り上がっちゃって。私も霧ちゃんが合流できてめっちゃ嬉しいんだから」
「私も、霧ちゃんと同じです。朝谷さん、お疲れ様です」
鷹音さんが言うと朝谷さんは嬉しそうに微笑み、軽く鷹音さん、中野さんとハイタッチをする。
「みんな、今日は来てくれてありがとう……って、何だかアイドルみたいな言い方になっちゃった」
「何をおっしゃいます、のあ……朝谷さんは本物の……」
「ごめんなさい朝谷さん、高寺って、朝谷さんの物凄いファンだから……」
「うん、でも『のありん』は外ではNGね。このルール、守れるかな?」
「はいっ、守ります! 親衛隊1号高寺、朝谷さんを次の場所までお守りします!」
「大丈夫、ナギセンがいるから。この人、大人しそうに見えてめっちゃ強いんだよ」
「っ……いきなり振らないでくれ、超びっくりするだろ」
「あー、千田って体力とかやべーからな。ここまで走ってくんのもケロっとしてんの」
それを言われると、朝谷さんに会うために走ってきたみたいで――訂正の余地もなくその通りだが、何となく朝谷さんの顔を見づらくなってしまう。
「……そっかそっか。千田くんも、みんなも、走ってくれてありがとね。私も皆が困ったことあったら、絶対走ってくから」
「はわぁ~! 霧ちゃん、これ以上うちを嬉しくさせないで! 涙腺がばかになっちゃうから!」
中野さんが感極まって、朝谷さんに抱きつく。鷹音さんは、それを少し戸惑った様子で見ている――けれど、俺と目が合うと、ふわりと柔らかく笑ってくれた。
◆◇◆
解散するときのことを考えて、俺たちは電車で地元に帰ってきた。みんな、行きと違って表情は朗らかだ。
高寺と荻島のフットワークの軽さと、思い切りの良さには感謝している。二人とも何でもないことだというように振る舞っていて、それも凄いと思うところだ。
中野さんは行く予定のカラオケ店に事前に電話していた。連休中で部屋が埋まっていて順番待ちも出ている中で、中野さんの機転のおかげでほとんど待たずに入店できた。
「はーい、サンキューありがとーう。いやー、久しぶりに歌ったから高音出ねえ出ねえ」
「高寺くんってバラードとか歌うんだねー。ラップとかかなと思ってた」
「ラップパートがある曲なら俺に任せといてよ、中野ちゃん」
「んーん、高寺っちとはデュエットとか絶対やだ。みんなで合唱ならいいよ?」
「ちょっとー、切ないこと言うじゃないの。じゃあ千田と歌っちゃうよ? 荻島も歌う?」
「テンション変なことになってるよ、クリームソーダしか飲んでないのに」
荻島は高寺の絡みを受け流して、自分はブルーハワイのクリームソーダを飲んでいる。トップバッターで歌ったのは荻島だが、女性ボーカルのR&Bを普通に歌えるくらい高音が出ていた――さすが演劇部というべきか。
「希ちゃん、霧ちゃん、歌う曲は決まった? リモコン見なくていいの?」
鷹音さんと朝谷さんは他の人の歌を聞きながら手拍子をしていたりして、曲を選んでいる様子がなかった。
「え、えっと……なんつーかその、芸能人芸能人ってはしゃいでるとかじゃなくて……いや、やっぱそれは否めないんだけど、俺も朝谷さんの歌はめっちゃ楽しみっていうか、そんな感じっす。もちろん鷹音さんと中野さんも」
「いいよー、うちらに気を遣ったりしなくても。だってうちも霧ちゃんと希ちゃんの歌聴きたいもん。うちはタンバリン係でいいくらい」
「あ、次は中野さんの入れた曲? 千田くんもそろそろ入れなよ」
「自慢じゃないが、俺は聞き手として定評がある選手なんでな」
イントロが入って、中野さんが歌い始める――彼女が選んだのは、流々姉が最近動画アプリで流行っていると言っていた曲だ。ノリが良くて、合いの手を打つところが分かりやすい。
中野さんが煽り、高寺と荻島、そして俺が合いの手を打つ――カラオケボックスならではのノリ任せの熱狂。俺たちは何をしてるんだろうと思いつつも、だがそれが悪くない。
「みんな、ありがとー! はい次、みんな正座して聞くよ!」
「っ……」
「え……?」
中野さんが入れた曲は、朝谷さんが今出ているドラマのエンディング曲だった。
「うぉぉぉぉ! 待ってました!」
「あ、この曲か。誰が歌うの?」
歌うのは、朝谷さん――そんな話をしていたから、俺は朝谷さんがマイクを手に取っても驚かなかった。
しかし、歌うのは一人じゃない。鷹音さんも、マイクを持っていた。
「えっ、希ちゃんも歌うの? 碧桜学園のアイドル対決……こんな凄いのが見られるなんて……ナギセン、ぼーっとしてる場合じゃないよ!」
鷹音さんがこの歌を知っているのは、朝谷さんのドラマを見たからだと思う。でも、二人で同じ歌を歌うっていうのは――それは、つまり。
『それじゃ……聞いてください。鷹音さん、一番は私が歌うね』
『はい』
鷹音さんの返事ははっきりしていた。もう、『そういうこと』だと思っていいだろう。
――これは、二人の対決だ。
朝谷さんがすぅ、と息を吸い込む。そして歌い始めると、身構えていた高寺がそのまま動きを止め、荻島は口を半開きにして、中野さんは声援を送ろうとした姿勢のままで固まる。
俺も膝の上に手を置いたまま、動けない。インスタのストーリーで上げた歌が評判になってバズったとか、中学のときに彼女の歌を聞いたことがあるとか。そんな前提が全部吹き飛んでしまう。
彼女は、たゆまない努力をしていた。人の前に出て、多くの人に声を聞かせるために。憶測じゃなく、間違いなくそうなんだと思える。
ドラマの内容は時々切ない、少女漫画原作らしいラブストーリーだが、エンディング曲は明るくてポップな曲調で、出演者が踊るダンスが評判になっている。
今の朝谷さんは歌うことに集中していて、ダンスのフリをつけたりはしていない。けれど身体全体でリズムを取っていて、中野さんも合わせて踊り出しそうなくらいだ。
一番を歌い終えると、朝谷さんがマイクを胸元に抱いて、鷹音さんを見やる。
『どうぞ』と、朝谷さんの唇が動いた。鷹音さんは――少し緊張しているのか、その瞳は真剣そのものだ。
鷹音さんが俺を見る。目と目が合って、彼女の瞳が少し揺れたように見えた――でも。
歌い出した鷹音さんは、朝谷さんに負けないくらいの声量で、またしても見ている俺たちを圧倒する。
朝谷さんはリズムを取りながら聞いている。その笑顔は――鷹音さんの歌を認めているようで、でも、どこか余裕がある。
「……すげ……こんな上手いんだ……」
高寺が思わず声に出していて、隣の俺にも聞こえる。
俺も知らなかった鷹音さんの一面。少しだけ音程が揺れるところはあったが、物凄く上手いことに変わりない。カラオケに慣れていないように見えたのに、マイクを持って場の空気を変えてしまった――朝谷さんと同じくらい。
二番が終わって間奏に入る。鷹音さんと朝谷さんは、お互いを見つめ合っている。
どちらも上手くて、けれど合いの手を入れたりしてはいけない空気で、みんな二人に呑まれてしまっている。
けれど、どちらが上手いのかとかそういうことよりも、今は。
鷹音さんと朝谷さんが、こちらを見る。俺はその瞬間、難しいことを考えるのをやめる。
勢いよく立ち上がって、全力でタンバリンを振る。
盛り上げなければカラオケじゃない。二人の歌は俺たちを圧倒して、そして、コンサート会場みたいに沸かせるだけのエネルギーがある。
驚いていた鷹音さんと朝谷さんが――笑う。それは、弾けるみたいな笑顔だった。
「鷹音さん、一緒に歌お!」
「――はいっ……!」
「そ、それじゃ、うちもコーラスいきますっ!」
女子三人が歌い始める。俺と高寺、そして荻島も、肩を組んで合唱する――歌詞は画面を見ればいい、今は身を任せればいい。
最後にもう一度繰り返されるサビ。その最高潮の瞬間に、有名なフリがある――アイドルが見せるような決めポーズ。
それを、朝谷さんが決める。鷹音さんは振りはつけられなくても、歌でこのステージを支えている。
みんな笑っている。こんなにテンションが振り切れるなんて思ってなかった――もう一度座って、最後のメロディをしっとりと歌いあげたあと、余韻を残して曲は終わる。
――エンディングダンスの、最後の締め。画面に向かってウィンクし、手を伸ばす場面を、鷹音さんと朝谷さんが再現する。俺に向けて微笑みながら。
「――うぉぉぉぉぉ! のありーーーーん!!」
「希ちゃーん! なんですかその歌唱力! 霧ちゃんと二人、ほんとキラキラしてた!」
高寺と中野さんは興奮冷めやらないという様子で、鷹音さんは急に顔が真っ赤になってきている――熱が出てしまったのかと心配するが、恥ずかしさが後から来たみたいだ。
朝谷さんが、もう一度こちらを見る。ぺろ、と小さく舌を出す仕草は、素直に言って反則的だった。
「凄い人たちとカラオケ来ちゃってたんだね……まだ震えてるよ」
「ああ、俺も」
荻島は俺を見て、少し呆れたみたいに笑う。そして、横にいる俺だけに聞こえるくらいの声で言った。
「その二人を連れてきたのって、僕は千田くんだと思うんだけど」
「それは……何というかだな……」
「あはは。僕と高寺もそうなんだけどね」
そう言ってカラカラと笑う荻島――そして感涙にむせんでいる高寺を見て、俺は柄にもなく、碧桜でこのメンバーと同じクラスになって良かった、なんてことを考えていた。
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