第40話 幼馴染のいない平日
授業が始まる時間になってもパジャマで布団に包まっているというのは不思議な感覚だ。
まるで、期間限定で違う世界に迷い込んだかのような錯覚があった。
見慣れた天井をぼんやりと見つめながら、俺はゆったりと思考を走らせていた。
今回、体調を崩した原因は明白だった。
3日前から、俺は小説を一文字も書けていない。
物語を、一秒も生み出せていない。
正確には、書こうとして椅子に座りノーパソと向き合うも、頭が、身体が、書くことを拒否するのだ。
無理やり書こうとしても、頭痛と吐き気が襲って来て何度もトイレに駆け込んだ。
精神負荷を何度も繰り返しているうちに、免疫力が下がってしまったのだろう。
「どうするかな……」
正直、参っていた。
以前にも似たようなことがあったが、ここまでひどくなかった。
とにかく何か書かなければならない。
そうだ、現代恋愛ならまた書けるんじゃないかと試みるも、それもダメだった。
書く行為、物語を生み出す行為自体を、身体が拒否していた。
まるで生存本能が、死へ向かう理性にストップをかけるかのように。
こんなことは、初めてだった。
……背中を、冷たいものが伝う。
この状態は、いつまで続くのだ?
1週間? 1ヶ月?
もしかして、この先ずっと……?
最悪の事態が、脳裏を過る。
俺はもう、一生小説を書けない
そうなると、凛との約束も、当然……。
また、胃袋がムカムカしてきた。
何も胃袋に入れていないはずなのに、熱を伴った液体がせり上がってくる感覚。
いけない、今それを考えるのはいけない。
布団を頭まで被り、ぎゅっと目を瞑る。
ズキズキと痛む胃袋に手を当て、身体を丸める。
考えるな、考えるなと念じているうちに、だんだんと意識が朦朧として来た。
まるで身体の防御機能が働いて、スイッチが切れたかのように。
気がつけば抗えない眠気に誘われ、俺は意識を闇に落とした。
夢は、見なかった。
◇◇◇
お昼過ぎ頃に目を覚ました。
幸運なことに熱はだいぶ下がっていて、調子も幾分かましになっているように思えた。
睡眠の偉大さを噛み締めつつ実際に体温計で熱を測ると、平熱ちょい高くらい。
やはりこの熱は、一過性のものだったらしい。
体調が回復傾向にある事を自覚すると、急に胃袋が空腹を主張し始めた。
「……なんか、食べよ」
一階に降りてリビングへ。
すると、
にゃー。
なんでおまえおるん、みたいな顔をしたシロップが足元にやってきた。
にゃーん。
おるんやったらメシくれ、とか言ってそうだ。
「お前は気楽でいいよな」
苦笑を浮かべて屈み込み、餌の対価として少しだけもふもふさせてもらう。
珍しく、シロップは嫌がる素ぶりを見せなかった。
まるで俺の不調を察してくれて「今日だけ特別やぞ」とでも言わんばかりに。
──今だけ特別です。
そう言って撫でさせてくれた凛の、気持ち良さそうな表情を思い出す。
今頃、お昼休みだろうか。
胸に、ひんやりとした風が吹いた。
……ごろごろ。
珍しく甘えたな様子で撫でさせてくれるシロップを眺めながら、そういえば拾ってきて10年経ったのかと思い返す。
雨の日、学校の帰り道。
Ama-izonのダンボールの中でみゃーみゃー泣いていた子猫も、今や立派な家族の一員だ。
時が経つのは早いものである。
家庭内の地位が俺より高いのは、なぜとしか言いようがないが。
シロップに軽めの餌をやった後、がさごそと自分の食糧を漁る。
しかし、胃袋に優しそうなものは見つからない。
ふと、凛の手作り弁当が頭に浮かんだ。
最近ずっとそれだったから、今日は食べれないと思うとなんだかもの寂しい。
嗚呼、食べたいなあ、たけのこ炊き込みご飯……っと、いけない。
余計に腹が減ってきた。
「なんか、買いに行くか」
最寄りのコンビニまでは徒歩3分。
自分の体調と相談して、それくらいならまあ大丈夫だろうと判断する。
すこし外気に触れたい気分だったから、ちょうど良かった。
念のため厚着し、マスクを装着して家を出る。
じんわりと温かい風が頬を撫でる。
随分と長かった冬が終わって、本格的に春の訪れを感じられた。
少しだけふわふわした感覚を覚えつつ、コンビニまでの道のりを歩いていると、
「あら、透くん?」
名前を呼ばれ、振り向く。
そこには、
「……薫さん?」
凛の母親、薫さんが驚いた表情で立っていた。
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