第18話 幼馴染と照り焼きバーガー
その日、いつもの時間に凛が来なかった。
10分経っても、30分経っても凛は図書室に姿を現さなかった。
心配になった俺は、執筆を止め図書室を出た。
凛を探すため、校内を歩き回った。
当時小学生だった俺は電子機器を持っておらず、凛とデジタルな連絡を取る手段は無い。
だから当てもなく、教室をひとつひとつ覗いていった。
でも、見つからない。
時間だけが過ぎていって、だんだんと足に疲労が溜まってきた。
もしかして今日は学校を休んでいるかも、体調でも崩したんだろうか、それとも……もう帰ってしまったんだろうか。
その可能性を考えて妙に物寂しい気持ちになった時──使われていない多目的室で、凛を見つけた。
見つけた途端、安堵した。
しかしすぐに安堵は驚きと戸惑いへと変わる。
教室の隅っこで、凛はひとりで泣いていた。
生まれて初めて目にする、女の子の泣き顔。
思わず硬直した足に鞭打ち、すぐに駆け寄った。
傍までやって来て、目線を同じ高さにし、尋ねる。
「どうしたの」
凛は答えない。
しゃがみこみ、目元を手で覆って嗚咽を漏らしている。
こんなことは初めてで、どうしたらいいか分からなくなった。
頭が真っ白になった、だけど、俺の身体がひとりでに動いた。
それ以上は深掘りせず、俺は自分の手を、凛の頭にそっと載せた。
泣いている理由を知りたいという欲求より、凛の悲しみをどうにかしてあげたいという気持ちの方が強かった。
凛の頭を、そのまま優しく撫でる。
泣き止むまでずっと、撫で続けた。
「……ごめんなさい」
感情の乱れが落ち着き紡がれた凛の第一声は、弱々しい謝罪。
「どうして謝るの?」
その理由を、凛はうまく言葉に出来ないようだった。
ただただ、頭を横に振るだけであった。
まだ、凛は悲しんでいる。
どうにかしてあげないと。
衝動的にそう思った俺は、己の直線的な思考に従って凛に提案した。
「いいところ連れて行ってあげる!」
「いい、ところ?」
頷く。
泣き腫らした表情をきょとりとさせた凛の手をとって、俺は学校を飛び出した。
◇◇◇
やってきたのは学校の近くになる、ハンバーガーのお店。
この店が、世界に誇る大手ハンバーガーチェーンだと、この時は知らなかった。
「ささ、どーぞ」
テーブル席。
対面にちょこんと座る凛に促す。
「これ……」
「照り焼きバーガー! 知ってる?」
凛がふるふると頭を横に振る。
「とっても美味しいから、食べてみて」
俺に言われるがまま、はむ……と、バーガーに口をつける凛。
その瞬間、しょんぼりしていた瞳が大きく見開かれた。
「美味しい、です……」
「良かった!」
気に入ってもらえたみたいだ。
一度目覚めて、まだ暖かい布団の中に戻った時のように安堵する。
泣いてお腹が空いていたのか、はもはもとバーガーに齧(かぶ)り付く凛。
その様子を眺めつつ、俺も自分のチーズバーガーに歯を立てた。
「どうして」
「え?」
お互いに半分ほどバーガーを食べたところで、凛が尋ねてきた。
「どうして、ここに、連れてきてくれたんですか?」
途切れ途切れの質問に対し、俺は間髪入れず答える。
「悲しい時は、美味しいものを食べるのが一番だから!」
この時の俺は、本気でそう思って言った。
以前、テストの点数が悪くて叱られた時、俺は泣いてしまった。
でもその後、お母さんが俺をマクサトに連れて行ってくれた。
ごめんお母さん言い過ぎた、だけど透には頑張って欲しいからと食べさせてもらえた照り焼きバーガーは本当に美味しくて、一生忘れられない味になった。
悲しい気持ちなんてすぐに吹き飛んで、次は頑張ろうって前を向けた記憶がある。
その経験は、子供ながら俺の脳裏に深く刻まれた。
泣いている凛も、この照り焼きバーガーを食べたら元気になるに違いない、そう思って連れてきた。
そんな諸々の背景を省いた俺の言葉を、凛がどう汲み取ったのかはわからない。
しかし凛は、その日初めて俺に笑顔を見せてくれた。
「……ありがとう、ございます」
やっぱり、美味しいものは偉大だと、俺は改めて思った。
「あの、おかね……」
食べ終えてお店を出た後、凛がおずおずと申し出る。
ピンクカラーの二つ折り財布を手に、伺うような視線を向けてきた凛に、俺は掌(てのひら)を見せた。
「いいよ、気にしないで」
照り焼きバーガーひとつ300円、チーズバーガーひとつ100円、合計400円。
小学2年生にとっては大きな出費だったけど、凛を笑顔にできたと思えば全然気にならなかった。
「で、でもっ……それはすごく、申し訳ないです」
俯き、財布をぎゅっと握る凛。
「んー、じゃあ、ひとつお願いごと、聞いて欲しい!」
お願いごと?
首をこてりと傾げる凛に、俺は裏の意味も邪な気持ちもなにもない、真っ直ぐな提案を投げかけた。
「今度一緒に、どっか遊びに行こ!」
多分、心の奥底のどこかにあった、放課後以外も凛と会いたいという気持ちが、俺にそんな言葉を紡がせたのだろう。
そしてその気持ちは、凛の方にもあったんだと思う。
俺の言葉に凛は一瞬、逡巡するような仕草を見せたが、すぐに夏の夜空を彩る花火のような笑顔を浮かべて、
「……はい」
この日を境に、凛と過ごす時間が徐々に増えていった。
距離感は近くて家族のような存在なのに、実際の距離は一歩遠い、幼馴染という関係性が着々と育まれていった。
──凛が泣いていた理由は、あとになって知った。
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