第5話 幼馴染の申し出

 凛と一緒に肩を並べて帰路につく。

 学校の最寄駅へ向かうその途中、ある事に気付いた。


 凛との物理的な距離が、妙に縮まっていたのだ。

 朝は30cmものさしくらいの間があったのに、今は15cmタイプの距離感になっている。


「……」


 すっ。


 歩きながらさり気なく、少し身体を離す。


 すいっ。


 凛が、離した分だけ身体を近づけてきた。


「あの、凛さん?」

「私は化合物ではありません」

「それリン酸。えっと、なんか距離が近くないですかね?」


 すすーっと、凛が身体を離す。

 おやつをつまみ食いした猫のような表情で、一言。


「さあ、どこがでしょう?」

「わかりやすくシラを切るんじゃない」

 

 注意深く観察すると、瞬きの頻度はいつもより多く、横一文字に結ばれた唇はぷるぷるしていた。

 凛が焦っている時によくする仕草。


「気のせいです、たまたまです、思い過ごしです。そんなくだらないことに脳のリソースを割くぐらいでしたら、私がお腹を抱えて転げ回るような一芸でも披露したらどうですか?」

「ゴリ押し過ぎて逆に清々しいよ!」


 とはいえ、これは突っ込まないほうがいいとみた。

 本人がそれを望んでいないだろう。


 多分、気まぐれ。

 凛は猫みたいな性格だから、たまにあるのだ。


 幼馴染の俺にもわからない、言動や行動が。


 そこに理屈なんてない。

 気まぐれなんてそんなものだ。


 理屈がないんだったら、考えるのも仕方がない。

 というわけで、ここは大人の対応といこう。


 その代わり少しだけ妄想させてくれ。

 凛の行動を都合よく解釈するならば……まだ肌寒い季節、ちょっぴり人恋しくなったけど甘えられる相手がいない、いや、待てよ、幼馴染の米倉君なら……ちょっとだけ近づいちゃおーっと。


 え? 都合の良い思い込み?

 いいじゃないか、妄想は自由なんだから。


「今絶対に気持ち悪いこと考えてますよね脳みそシロップ漬けにしますよ」

「内心の自由だけでなく命まで奪われそうな件」


 駅について、電車に乗って、家の最寄駅に到着する。

 駅から家までの道を二人で並んで歩く。


 邪な妄想をしたバチが当たったのか、距離感は30cmものさしに戻っていた。

 ちょっぴり寂しい。


 しかしやっぱり、凛の様子はどこか変だった。


 会話内容だけを見ると、俺がくだらない事言ってそれを凛がズバッと斬っての繰り返し。

 田舎の風景のような、いつも通りのやりとり。

 

 しかしどこか、凛の言葉の斬れ味が、普段より鈍いような気がした。


 どこか別のことを常に考えている、というか。


 冷静に思い返してみれば、普段は橋下さん達と一緒に下校する凛が、わざわざ俺が執筆し終えるのを待って一緒に帰りたいと言い出したり、地味に距離を近づけてきたりと、おかしな点はいくつもあった。


 いや、普通に変やんこれ。


 気まぐれではなく、意識的な何かをお腹の中に潜めている、そんな予感があった。


 その予感は、当たっていた。


「そういえば」


 珍しく、凛の方から話を振ってきた。


「透君は、お昼はいつも購買のパンなのですね」

「えっ、うん。安いし早いし美味いし、重宝してる」

「では、無料で秒で出てきて美味しいお昼ご飯があれば、そちらを食べたいと思いますか?」

「へ? そりゃな。でもそんな神飯があるわけ」


 ……。


 …………。


「えっと、凛?」

「…………おべんとう」


 注意深く聞かないと、聞こえないほどの声量。


「お弁当とか、興味ありません?」


 ちらちらと、凛が視線を寄越してくる。


 いつもの無表情、いや、瞬きの回数が多い、頬が赤い、唇がぷるぷる震えている。

 その冬の星空のように澄んだ瞳に浮かぶ感情は……不安と期待?


「まさか凛、それを言うために」

「勘違いしないでください。これはいつもお昼ご飯が寂しいどこぞの幼馴染さんのために、ほんの少しだけ施しをしてあげようという、私の女神のような優しさが気まぐれを起こしただけです」

「自分のこと女神とか言っちゃったよこの人」

「うっさいです。いつも新世界の神を自称している透君には突っ込まれたくありません」

「黒いノートとか持ってないからね!?」

「獄炎不死鳥(インフェルノフェニックス)とか紅月堕天使(クリムゾンムーンエンジェラ)とかわけのわからない暗号だらけのノート持ってましたよね確か」

「それは黒歴史ノート! えっ? なんで凛がそのノートの存在を知ってるの?」


 俺の最重要機密情報(しぬほどはずかしいやつ)のはずなんだけど。


「で、どうなのですか?」


 尋ねられる。

 意識は黒歴史ノートから、凛の作ってくれたお弁当へ引き戻される。


 考える間も無く俺は、


「そんなもん、食べたいにきまっておる!」


 腕を組み、きっぱりと宣言した。

 なに喧嘩番長を気取ってるんですが気持ち悪い、的なツッコミがすかさず刺し込まれると思った。


 でも、そうはならなかった。


「そう、ですか」


 いつもより微かに上ずった声。

 目元を伏せ、口角を少しだけ持ち上げた凛の表情には、それはそれはわかりやすく『喜』の感情が見て取れた。


 ……可愛い。


 ぽんぽん。


 じんわりと伝わってくる体温と、さらさらとした肌触り。

 思わず、凛の頭に手を乗せていた。


「へあっ……」

 

 凛らしくない、短い悲鳴。


「あっ、悪いっ」


 ばっと手を離す。


「なんですかいきなり撫でてくるなんて頭おかしいんじゃないですか不審者にもほどがありますよ」


 俺が撫でた箇所に自分の両手を乗せ新幹線のような早口で捲し立てる凛。


 だが、その表情はまんざらでもなさそうだった。

 

 え? これも都合のいい思い込み?

 ……そうかもしんない。


「ごめん、つい舞い上がっちゃって」

「ほんとですよ、私じゃなかったら秒でドン引きです」

「あ、許してくれるのな」

「……わかってるくせに」


 ぼそりと、凛が抗議めいた視線を寄越して言う。

 むーと、子供のように頬を膨らませるその仕草も可愛い。


「昔は、よくやってたもんな」


 ふと、思い出す。

 

 薄暗い教室。

 埃とチョークの匂い。

 ぐすぐすと目元を覆って泣いていた凛の頭を、俺はよく撫でていたものだ。


「……大昔のことです」


 ぎゅっと、胸の前で手を握って、凛はそれだけ呟いた。


「とにかくお弁当、作りますので、そのつもりで。明日の朝、お渡しします」

「おお、ありがとう! いやー、めっちゃ嬉しいわ、楽しみ!」


 率直な気持ちをそのまま言葉にする。


 すると凛はもう一度だけ、ほんの少し口角を持ち上げてみせた。







 正直、この時の俺は嬉しみ感情が爆発していて、頭が回っていなかった。

 

 凛が俺にお弁当を作りたいと申し出た、真の理由に。


 その理由に俺が気づくのは、もう少し先のお話──。

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