第30話 幼馴染と、中学の日の決意


「小説、ネットに投稿しようと思うんだ!」


 あれは確か、中学1年の秋。

 休日の昼下がりに、俺は凛に切り出した。


「ねっと?」

「そうそう、『小説で食おうぜ!』っていう、無料の投稿サイトがあってさ」


 ぽちぽちとスマホをタップして、凛に見せる。


「へえーっ、こんなサイトがあるんですね」


 まじまじとディスプレイを見つめる凛は、初めて人間の赤ちゃんを目にした猫のように興味津々といった様子だ。


「調べたら、ここに投稿して人気になれば、小説家になれるらしい!」

「そ、それは凄いですねっ」

「でしょ? 佐藤めーぷる先生も『食おうぜ』から小説家になったんだって! もうこれは後に続くしかないっしょ」


 まだ投稿すらしてないのに、もう本になったも同然と言わんばかりのテンションである。

 『小説家で食おうぜ!』に投稿した自分の作品が人気を伸ばし、本になるという夢物語が、俺の頭の中で繰り広げられていた。

 

「頑張ってください、応援してます」


 胸の前でぎゅっと両手を握り、凛はにっこりと向日葵のような笑顔を浮かべる。


「お、おうっ、ありがとうな」


 顔の温度が上昇して、思わず目を逸らす。


 中学生になった凛は、前にも増して可愛さに磨きがかかっていた。

 それに比例するように、小学生の時はダメダメだった勉強もスポーツも最近では目まぐるしい成長を見せている。


 小学の頃と比べ、より魅力的な女の子に変貌を遂げていたのだ。

 異性を異性として意識し始める年頃だった俺にとって、凛の変化の影響力は絶大だった。

 身体の温度調整を司る部分や、鼓動の速さをコントロールする部分をバグらせるくらいには。


「投稿したら、教えてくださいね」


 期待に満ちた瞳を向けてくる凛。

 俺が投稿した小説を私も読みたいと、表情が主張している。


「あー……そのことなんだけど……」


 さっきまでの勢いはどこへやら。

 一転、声をしんなりさせた俺は、頬を掻きながら凛に告げた。


「これからしばらくの間、俺の小説は読まないで欲しいんだ」

「えっ……どうして、ですか?」


 それは予想外だったと、凛が目を丸める。


 俺が小説を書き、それを凛に読んでもらう習慣は、中学になっても続いていた。

 もっとも、お互いにスマホを買い与えられた事を契機に、今ではメモ帳アプリに打ち込んだ小説を凛に送信する、という手順に変わっていたけど。


 兎にも角にも、続いていた。


 だから、驚いたのだろう。

 しばらく読まないでほしいという、俺の要請が。


 少なくない緊張を、身に纏う。

 すうっと息を吸い、ポケットに手を突っ込んでから、澄んだ秋空を見上げて言う。


「凛には今まで、たくさん助けられた。俺が今日まで小説を書き続けられたのは凛のおかげだし、凛のおかげで小説家になりたいって本気で思えた。でも……」

  

 逆接を置き、困惑の色を浮かべる凛の瞳を見据えて、言う。


「それは、裏を返せば凛にずっと甘えっぱなしだった、って事だと思うんだ」


 俺の言葉に、凛が口を開く。


「それは、ダメなことなんですか……?」


 純粋な疑問符を浮かべる凛に、俺は首を振った。


「本気でプロを目指すなら……凛に甘えてちゃいけない。甘えを断ち切って、一人で、孤独で戦わなくちゃいけないと思うんだ、だから……」


 凛の肩に手を置く。

 本気も本気な表情を形作って、俺は決意を表明した。


「俺が小説家になるまで、待っててほしい。近い将来、俺が『食おうぜ』で人気になって、本を出すことになったら……その時は、一番初めに読んでほしい」


 もうおわかりだろう。


 この時の俺は……色々と拗らせていた。


 黒ペンで塗り潰した黒いノートを隠し持った、中二野郎だった。


 プロになるには、ひとり部屋の中に籠り物語を作り続ける孤高の存在にならないといけない、本気で思っていた。

 

 それに加えてもうひとつ、理由があった。


 ここ最近、凛に小説を送る際、妙なむず痒さを感じている自分に気づいたのだ。

 小学の頃は気にならなかったのに、自分の書いた物語を凛にまじまじと読まれる事に、俺は羞恥の感情を持ち始めていた。


 ……ようは、恥ずかしかったのである。


 ただこの時の俺は、『その感情が羞恥だ』ということ自体を認めたくない、意地っ張りお子様思考だったため、後者の理由は見なかった事にしていた。


 という諸々の内情から俺は、凛にしばらく読者であることをお休みしてほしいとお願いしたのだ。


 今思うと凛には、申し訳ないことをしたと思う。


「わかり、ました」


 凛が、どこか物寂しそうな表情を浮かべる。


 しかしすぐに、何事もなかったかのような笑顔を浮かべて、


「じゃあ、透くんが作家さんになるの、楽しみにしてますね」


 凛の言葉に、俺はホッと胸をなでおろしたあと、


「おう、任せとけ!」


 自信に満ちた声と表情で、凛に親指を立ててみせた。


 ──この時の俺は、知らなかった。


 さして専門的な勉強をしたわけでもない素人の作品が、不特定多数の人々の前に公開されるとどうなるか。


 プロを目指すということがどれだけ大変で、孤独で、途方も無い努力が必要になることか。


 そしてなによりも、凛という読者の存在が、俺の執筆活動においてどれだけ助けになっていたことかを。


 ちょっと褒められたからって鼻を伸び伸びとさせていた温室育ちの世間知らずは、ほんの数週間後に打ちのめされる事となる。

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