第31話 幼馴染の膝枕
「また、夜更かしさんですか?」
昼休み、多目的室。
妙に重たく感じるお箸でお弁当をつついていると、凛が覗き込むようにして訊いてきた。
「いや、そんなことはないと思うぞ?」
実際そんなことはあったので、冷蔵庫にあった私のプリン食べたでしょと問い詰められた時のような反応をしてしまう。
じーっと、逃さないと言わんばりの目線。
「何時寝何時起きですか?」
「……9時寝5時起き?」
「超規則正しい生活を敢行してトップ成績を取り続ける優等生ですか」
「学年に一人はいるよな、そういうやつ」
「でも透君は不良さんなので……」
「全裸徘徊はしてないからね?」
「その様子を見ると……2時寝6時起きとかですかね?」
「ちょ、ほぼドンピシャなんだけど」
「幼馴染ですから」
いつもの得意げな表情は浮かばず、代わりに形の良い眉が顰(ひそ)められる。
「執筆ですか?」
答えはわかってますと言いたげな視線を、じっと向けられる。
凛に隠し事はできないなと、息を吐き、両手を上げて口を開く。
「……まあ、そうだな」
俺の肯定に対し、凛が僅かに表情を曇らせる。
「そう、ですか」
憂いを帯びた声で呟いた。
◇◇◇
「私の膝、貸してあげましょうか?」
昼食後。
凛が唐突に、こんな提案をしてきた。
「……へ?」
一瞬意味がわからず、気の抜けた炭酸のような声を漏らしてしまう。
凛の表情を伺う。
その面持ちには、ほのかな緊張と羞恥が浮かんでいた。
理解が追いついてから、尋ねる。
「えっと……つまりそれは、膝枕の提案?」
「勘違いしないでください。これはどこぞのお寝坊さんの睡眠不足を少しだけ軽減して差し上げようという、私の女神のような優しさが気まぐれを起こしただけです」
「もうただの女神様な件。いや、いいよそんな。そこらへんで寝転がればいいし」
「床、硬いじゃないですか、首を痛めてしまいます」
「マジモンの女神だ」
「いいですから」
ふわりと頬を朱に染めた凛が、ぷいっと目を逸らして言う。
「私もこの前、疲労を回復させていただきました……そのお礼、ということにしておいてください」
凛の言葉で、脳裏に先日の五感情報が呼び起こされる。
柔らかい感触。
高い体温。
甘くて安心する香り。
鼻先をくすぐる繊細な髪先。
一気に頭が沸騰して、正常な判断力が失われる。
「それで……するんですか、しないんですか?」
凛に迫られ、ミニスカートから伸びたクリーム色の太ももに視線が釘付けになる。
断る、という理性の持ち合わせは吹き飛んでしまっていた。
「じゃ、じゃあ……」
凛のお言葉に、甘えることにした。
トランプタワーを作っている時のような慎重さで体勢を横にし、綺麗な太ももに頭に乗せる。
お腹のほうじゃなくて反対を向いたのは、残された理性の最後の抵抗だろう。
……うお。
柔軟剤と、凛本来の匂いが合わさった甘ったるい匂い。
凛の細い太ももは程よく弾力がありつつも、マシュマロみたいな柔らかさがあった。
スカート越しに伝わってくる体温が、頬をじんわりと温かくする。
鼓動が速くなる。
すぐに全身がカチコチになってしまった。
「緊張、してますか?」
上から凛の言葉が降ってくる。
胸襟を言い当てられ、心臓がひやりとした。
「まあ、多少は」
「そうですか」
涼しげな声の後、
「……私もちょっと、緊張しています」
ちょっぴり、恥ずかしそうな声。
可愛いかよ。
内心で呟く。
少しだけ、気が和らいだ。
と思うと、もっと気が和らぐ事象が起きた。
凛が俺の頭に触れ、そっと撫でてくれたのだ。
「これも、気まぐれ?」
「さあ、どうでしょう」
柔らかい声と共に、優しく撫でられる。
細い指の腹がさらさらと音を立てて、髪を梳く。
女の子の膝の上で頭を撫でられるという人生初の体験はとても心地よく、さっきまでの緊張が嘘のように解れていった。
俺が凛を撫でている時。
凛がなぜ、あんなにもとろんとした表情を浮かべているのか、なんとなく理解した。
しばらくの間、凛は俺の頭を撫で続けてくれた。
「くれぐれも」
不意にぽつりと声が落ちて来たかと思うと、凛が俺の胸に手を添える。
そして、懇願するように言葉を紡いだ。
「無理は、しないでくださいね」
……ああ。
胸にチクリと、小さな針が刺さったような痛み。
「ごめん、心配かけて」
「本当です、反省してください」
言って、凛はまた俺の頭を撫でた。
その手使いはさっきよりも、荒々しく感じた。
「少しは、疲労回復しましたか?」
昼休み終了5分前のチャイムが鳴ってから、凛が尋ねてくる。
この時間が終わってしまうのかという名残惜しさとともに、率直な感想を溢す。
「ずっとこのままでいたいくらい、心地がいい……」
俺の言葉に、凛は「そうですか」と短く返してきた。
字面だけ見ると素っ気ないが、声にはわかりやすく弾んでいた。
「透君がよろしければ」
そこで間を開けて、凛が言う。
「……また、時間があるときにしてあげます」
思わず、息を呑んだ。
「それは……滅茶苦茶嬉しい提案だな」
安心感と嬉しさからか、肺から深い息が漏れる。
時間ギリギリまで、俺は凛の膝に頭を預け続けた。
◇◇◇
無理はしないで。
そう言われたのに、俺は不規則な生活を続けた。
体調の心配より、今作を早く完結させて新作をという、焦りの方が大きかった。
疲労は慢性的に溜まっていったが、凛の前では努めて元気に振る舞った。
しかし、やっぱり凛の目は……誤魔化すことができなかったらしい。
3日後。
そろそろ春休みだなーと、凛と他愛のない会話をしながら下校している途中、
「今日このまま、透くんの家に行っていいですか?」
凛が、そんなことを言い出した。
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