第45話 出逢い
透くんとの出逢いは、小学2年生の5月に遡ります。
その日も梅雨らしく、しとしとと冷たい雨が降っていました。
お気に入りの傘をさして、私は一人、とことこと学校から帰る途中でした。
みゃー。
家から近い公園のあたりでした。
物寂しい鳴き声が聞こえて、振り向くと、
「ねこ……」
捨てられてしまったんでしょうか。
無造作に放置されたダンボールの中に、ちっちゃくて白い猫ちゃんがいました。
箱はぐっしょりと濡れいて、下には申し訳程度にタオルが敷かれています。
猫ちゃんの頭上を覆うものはなに無くて、その小さな身体を冷たい雨で濡らしていました。
しゃがみこむと、猫ちゃんは私に訴えかけるようにみゃーみゃー鳴きます。
それが私には、助けて、と聞こえました。
「……ごめんなさい」
心がちくちくと痛みます、だけど、家には連れて帰れません。
私のお父さんが、猫アレルギーだからです。
だから家では……飼えません。
せめて濡れないようにと、持ってた傘で段ボールを覆います。
誰か優しい人に拾われるよう神様にお祈りして、私は駆け出しました。
みゃーみゃーと、後ろから物寂しい鳴き声が聞こえてきます。
置いて行かないで、そう聞こえました。
でも、振り向けませんでした。
◇◇◇
……やっぱり、放っておけません。
家に帰ってお風呂に入り、部屋でじっとしている間じゅうずっと、猫ちゃんの事を考えていました。
凍えていないだろうか、寂しがっていないだろうか……あのまま誰にも拾ってもらえず、死んじゃったら……。
そう思うと、我慢できなくなりました。
お古の傘を手に、私は家を出ました。
お母さんを説得するアイデアなんて、なにもありませんでした。
それでも走って、猫ちゃんが捨てられていた公園に行きました。
──そこには、先客がいました。
黒い傘をさした同じ年くらいの男の子が、猫ちゃんのいる段ボールをじっと見下ろしていました。
その男の子には、見覚えがありました。
確か、隣のクラスの、名前は……誰でしたっけ、くらいの記憶。
まさかの遭遇に、思わず身を隠しました。
物影から、様子を伺います。
男の子は、ぱちぱちと目を瞬かせながら、何を考えてるかわからない表情を浮かべていました。
すると不意にしゃがんで、みゃーみゃーと鳴く猫ちゃんを抱き抱えました。
身体がびくっと、震えます。
猫ちゃんがひどい目に遭わされるんじゃないかと、心配になったのです。
私が学校で、されているようなことを……。
それは私の思い過ごしでした。
男の子はにこりと、猫ちゃんに微笑みかけます。
それはまるで、もう大丈夫だよって、安心させるかのような、優しい笑顔でした。
私の胸のあたりが、どくんと高鳴りました。
これは……なんでしょうか。
私が胸に手を当てている間に、男の子は、
「もう大丈夫」
物静かな声で言った後、猫ちゃんを胸に抱き抱えます。
そして器用に傘をさしなおした後、トコトコと歩いて行ってしまいました。
私はしばらく、その場から動けませんでした。
身体中から力が抜けたような安堵感。
そしてなぜか、私は男の子の事を考えていました。
家に帰ってからも、男の子の優しい笑顔が、『もう大丈夫』が、頭から離れませんでした。
◇◇◇
それから日にちが経って、男の子のことが徐々にわかってきました。
隣のクラスの、米倉透くん。
休み時間はドッヂボールじゃなく、机に座ってご本を読んでいるような男の子。
透くんが誰かとおしゃべりするところを、私は見たことがありません。
物静かで大人しい、ずっと一人でいる男の子、というのが透くんの印象でした。
少し、いえ、かなり、親近感が湧きました。
男の子には不思議な日課があるようでした。
放課後になると、男の子は図書室に篭って、紙に一生懸命なにかを書き始めるのです。
かりかりかりかりと、下校時刻になるまでずっと。
その姿はなんというか、とても……楽しそうでした。
なにをしているんだろう。
とっても気になります。
興味が抑えきれなくなったある日、私は、決意しました。
透くんに、話しかけてみよう、と。
放課後、私は図書室に行きました。
普段、人とお喋りしない分、緊張で身体が震えていましたが、頑張ります。
しかし、いつもの席に透くんは居ませんでした。
残念な気持ち、それと、ちょっぴり、ほっとしました。
席には透くんのものと思しきランドセルと、秘密の原稿用紙が無造作に置かれています。
お手洗いでしょうか。
帰ってくるまで待っていましょうと、隣の椅子に腰を下ろそうとしたその時、
「あっ」
外からやってきた暖かい風が、原稿用紙をひらひらと飛ばしてしまいました。
反射的に手を伸ばします。
床に落ちた分も拾って、纏めて机でとんとんしていると……つい、原稿用紙に目がいってしまいました。
横が30センチのものさしほどある原稿用紙には、ひらがながびっしりと書かれていました。
その文字の集まりがなんなのか、すぐにわかりました。
……お話を、書いていたのですね。
薄々は予感をしていましたが、いざそうだとわかると大きな驚きがありました。
私にとってお話とは、頭のいい大人達しか書けないイメージだったので、それを同世代の男の子が書いてることに凄いという気持ちと、どんなのを書いてるのだろうという好奇心が湧きました。
興味を抑えきれなくなってしまった私は、そのまま原稿用紙に目を走らせてしまいます。
普段は漫画ばかりで小説は全く読まない私でしたが……なぜか……透くんの書いた物語に、引き込まれてしまいました。
文面から伝わってくる、不思議な引力。
ひとつひとつはただのひらがななのに、それらが集まって、文章から様々な感情が伝わってきます。
ひらがなのトメ、ハネさえも、うきうきと踊っているように見えました。
しばらくの間、私は時間も忘れて、透くんの書いたお話に夢中になっていました。
ふと、気配を感じます。
振り向くと、そこには透くんが、驚いた顔で立っていました。
私も驚きました。
……落ち着け、私と、深く息を吸い込みます。
なるべく平静を装ってから、私は尋ねました。
「これ、あなたが書いたのですか?」
──これが、透くんとの出逢い。
この先の人生、私が長い長い時間を共に過ごす人との、出逢いでした。
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