第49話 世界一の、ファンなんですから


 あの日以来、私は透くんに猛アタックを仕掛けました。


 自分の中にこんな積極的な部分があったなんてと驚くくらい、透くんに猪突猛進(ちょうとつもうしん)でした。


 透くんにお弁当を作って、お昼休み一緒に食べたり。


 一緒に下校するようになったり。


 一緒に映画を見にいったり。


 一緒にハンバーガーを食べにいったり。


 さりげなく距離を詰めてみたり。


 小説の取材と称してぎゅーしたり。


 執筆でお疲れの透くんを膝枕したり。


 最初はたくさんの勇気を使って、心臓をばくばくさせながらアタックしていましたが、すぐに幸せがそれを上回ります。


 もっと透くんといろんな事をしたい、されたい、してあげたい。

 もっと透くんの匂いを、温もりを、存在を感じたい。


 きっと我慢していただけで、それらの欲求は今までずっと、私の胸の底で確かに存在していたのです。


 それが、透くんの気持ちを知ってから、もっと意識してもらおうって決めてから、我慢する必要がなくなりました。

 大解放した結果、自分でも抑えきれないほどの好き好きアピールを敢行してしまいました。


 ほんの1ヶ月くらいで、驚くほど距離が縮まります。

 私の急変ぶりには透くんも驚いていましたが、すぐ受け入れてくれました。


 そして嬉しいことに、距離が近い日々を過ごすにつれて、透くんの方も徐々に心境の変化が起こっているようでした。


 私の行動の意図に、透くんが気づきはじめたのです。


 とても、嬉しかった。

 お互いの心が通じ合ったかのような感覚でした。


 もうお互いに両想いであることは明白だったのですが……私は、自分からは想いを告げようとはしませんでした。


 なんとなく……透君が私と付き合うことに消極的な気配を感じたからです。


 透君の性格上、ここまでわかりやすくアピールして気づいていない、なんてことはありません。

 透君はちょっと鈍感な部分はありますが、『食おうぜ』の俺なんかやっちゃいました?系主人公さんほどではありません。


 そして透君の性格上、気持ちがここまで明からさまな状態で行動に移さない、というのにも何か訳があるはずです。

 想いを明かすのが恥ずかしい、的な女々しさは、透君にはあまりありません。


 言う時はズバッと言う、透君は、そんな男らしさを持っています。


 何か、踏み出せないハードルがあるはず。


 そんな予感がありました。


 

 ◇◇◇



 ここ最近、透君が無理しています。

 小説の更新頻度が唐突に上がったのです。


 1日1話更新でも大変なのに、それが複数話になるとどうなるか。


 わかりやすく影響が出ていました。


 朝も日中も、透君はふらふらです。

 このまま続けたら倒れてしまう、そんな危なっかしさがありました。


 なぜ、透君は急に頑張りはじめたのでしょう。

 私の行動の変化と、連動しているように思えました。

 

 ……なんとなく、予想はついていました。


 その予想は大当たりでした。


 懐かしの透君の家を訪問した際。

 透君の自室の、机のスタンドにかけられた『心願成就』のお守りを見て、頭の中でぴしっと何かが繋がりました。


 透君の思考を辿ります。


 透君には、自分と他者を比較してしまうところがあります。

 元々その思考癖は無かったのですが、『食おうぜ』のランキングで戦いを始めてから、その性質が尖り始めました。


 透君はもしかして……自分と私を比較しているのではないでしょうか?


 確かに事実として、私の学校の成績など、客観的な数字は相対的に高い位置にあります。

 その水準に追いつくためにも、早く作家さんにならなければいけない。


 そんな考えに陥っているのではないでしょうか?


 だとすると……それは違います。


 私は別に、透君のステータスに惹かれたわけではありません。

 透君の人となり、心柄に惹かれたのです。


 それに、だめだめだった私がここまで成長できたのは透君のお陰です。

 だからそもそも、比較すること自体、前提としてずれていると思うのです。


 なのでそんな気張らなくても、無理しなくてもいい、いいえ、無理して欲しくありません。


「確かに透君は、私と約束してくれました。作家さんになって、一番初めに、私に本を読ませてくれると」


 透君のベッドの上。

 自分より大きな身体を抱き締めて、私は言います。


「ですが、それよりもなによりも、透くんが元気であることが重要です」


 一言一句、力を込めて言います。

 

「だから、お願いですから……無理だけは、しないでください」


 私の懇願に、透くんはごめん、ごめんと、謝り続けました。

 心配かけてごめんと、自分のことばかりで周りが全く見えていなかったと。


「そんなに、自分を責めないでください」


 自分のことばかりだったのは、私のほうこそ、です。


「私も……頑張ってる透くんを見て、ちょっと嬉しいと、思ってしまいました。だから、おあいこです」


 今回、透君が無理をしてしまったのは、私にも責任があります。

 

 だから、言います。

 透君が頑張り過ぎないように、折れてしまわないように。


「私のこと以前に、透君はまず……自分のために、夢を叶えてください」


 私のお願いに、透君はこう約束してくれました。


「これからは、自分のペースで書くよ」


 その言葉に、安堵しました。

 

 同時に私の中で、心構えの変化が起こりました。


 作家さんになってから、そういう関係になりたい。

 その意思は、尊重しなければならないと思います。


 私にはよくわかりませんが、男の子には、理屈では説明できないプライド的なものがあるようです。

 感情的なものですから、それを理屈で否定するのは野暮というものです。


 だから、透君の満足のいくようにしよう。

 

 今までは一直線にグイグイいってました。

 でも、これからは、この拳一個分くらいの距離感で、のんびりと構えていよう。


 大丈夫。

 透君ならきっと、そう遠く無いうちに夢を叶えます。


 もう一歩のところまで、来ているのです。


 透君の成長を毎日見続けた私が保証します。


 だからのんびり、待っていよう。


 そう思った束の間……事件が、起きました。



 ◇◇◇



「俺、小説書くの、やめようと思うんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は世界が急に真夜中になったのかと思いました。


「冗談、ですよね……?」


 透君が首を振って、説明します。


 3日前から小説が書けなくなったこと。

 無理やり書こうとして体調を崩してしまったこと。


「一生書けなくなったわけじゃ、無いじゃないですか! あと1週間……いえ、1ヶ月経ったら書けるかもしれない、それまでゆっくりお休みして……」


 言い終える前に、透君は私の手に自分の手を添えて、首を振ります。


「もう、いいんだ」


 もう充分やった、疲れたんだと、透君は言います。


 そして、穴が空いてしまった貯水タンクみたいに、言葉を並べます。


 書籍化を目指し、ランキングや流行と睨めっこにして書き続けた結果、創作本来の楽しさを忘れてしまった事。


 ひたすら読者の欲求に耳を傾け続けた結果、自分が何を書きたいのかがわからなくなった事。


 売れ専を書こうとしても身体が拒否をする、自分の書きたいものももうわからない。

 そもそも、書くという行為自体、苦痛になっている事。


 成果が伴うのならまだ良かったが、それも伴う気配はない。

 もう嫌というほど痛感した、自分は凡人で才能もセンスも無いという事。


 あと何年か、何十年か続ければ努力の量で突破できるかもしれない。

 でも、そんなゴールの見えないマラソンを走り続けられる気力は残っていないという事。


 これ以上、さして楽しくも希望もない事に労力を、時間を、人生を使うくらいだったら。

 すっぱりやめて時間を別のことに使うべきだという結論に至った、という事。


 透君の言葉には、5年分の想い、苦しみ、葛藤に溢れていました。


 一言一言、空気を揺らすごとに、透君の表情が歪んでいきます。


 一方の私は、呆然としていました。


 透君がここまで辛い思いをしていたこと、追い詰められていたことに、私は、気づけなかった。


 ずっと側にいたのに、毎日読み続けて来たのに。


 全部全部、知った気でいただけでした。


 なにが、幼馴染ですから、ですか。


 怒りが湧いて来ました。


 他でもない、自分自身に。


「これからは、今まで小説に充てていた時間を、全部凛のために使おうと思ってる」


 顔を上げると、今まで見たことのないくらい、歪んだ表情が目の前にありました。


「凛の言うように、もっと時間を置けば書けるようになるかもしれない。でも、書けるようになったところで、また今までの日々を繰り返すくらいなら……俺は、凛と一緒にいたい」


 字面をそのまま受け取れば、それは喜ぶべきことなのでしょう。

 でも、私は……透君の夢の犠牲の上に成り立った幸せなんて、欲しくありません。


 透君と過ごす時間が増える事より、私はまず、透君に幸せになってもらいたい。


「もし何年か、何十年か経った時、心境の変化が起きて書きたくなったら、その時は書こうと思っている」


 本当に透君が諦めたなら、割り切りをつけていたのなら、私は何も言いません。

 それで透君が納得をしているのなら、その意思は尊重しなければいけません。


 でも、今の透君の言葉は、表情は、


「でも今は何よりも、凛のことを優先したい。だから……」


 嘘です、そんな、嘘です。

 

 それが本心なら透君、そんな顔しません。


 そんな、無理やり繋ぎ合わせて接着剤で固めたような顔。

 

 本心では透君、きっと──。


「俺は、小説を書くのを止め……」


 ──そんなのは、ダメです!!


「諦めないでください!!!!」


 自分でも驚くくらい大きな声を上げていました。


 そのまま感情に任せて、言葉をぶち撒けます。


「透くんは自分の気持ちに嘘をついています。さっき透くんは言いましたよね、『もういい』って、『もう充分やった』って、それ、絶対全部嘘です」


 きっと、夢を諦めたくない、作家さんになりたい。


「本心では透くん、全然、『もういい』とも『充分』とも思っていないです。『全然よくない』『全然足りない』、そう思っています、絶対に」


 小説を、書きたい。

 そう思ってるはずです。

 

 それをそのまま言葉にします。


「だから、透くんのさっきの言葉は、絶対本心じゃありません、本当は……」

「もういいんだって」


 透君の表情には珍しく、怒りの感情が浮かんでいました。


「充分やった、頑張った。満足してるし、諦めはついてる」


 嘘です。

 透君は嘘をいう時、瞬きの回数が増えるんです。


 ここで納得してはいけない。


 なあなあで流してはいけない。

 

 そう確信して、踏み込みます。


「だったら、どうしてっ……どうして透君は……そんな、辛そうな顔してるんですか?」


 その言葉が、最後の一押しでした。


「……わかってる」


 ぽつりと、涙が溢れたみたいな声の後、


「わかってんだよ、それくらい!!」


 そこからは、止まりませんでした。


 声を荒げて、透君は本音をぶち撒けてくれました。


 頭では諦めたほうがいい、どうせ時間の無駄だ、わかってるのに、心の中では諦めきれない、小説家になりたい、そんなジレンマに苦しんでいる。


 何万、何十万、何百万文字書いてきた末に、やっぱり自分には才能もセンスもない、これ以上やっても結果は同じだ。


 だけどそれでも小説家になりたい、楽しみにしてくれている読者の皆に物語を届けたい、それだけが支えでなんとか書いてきたのに、書けなくなってしまった、心が折れてしまった。


「俺はもう、書けない」


 泣きそうな、声。


「もう、書きたくない」


 迷子になってしまったかのような声。 


「もう、疲れたんだよ」


 か細い、今にも消えて無くなってしまいそうな声。


 全部、全部、聞いて、胸に落としてから、思いました。


 ああ、透君だ、って。


 私が大好きな、透君だ、って。


 まだ、透君は完全に諦めてはいません。

 自分の今を全部受け止めて、認め、踠き、苦しみ、それでもどうにかならないかと今も模索し続けています。


 これならまだ、大丈夫です。

 確信がありました。


 今はちょっと、疲れてしまっているだけです。

 ゴールが見えなくて、立ち止まってしまっているだけです。


 私から見ると、もうゴールはすぐそこまで迫っています。


 透君は、視界が狭くなってしまい見えていないだけです。


 そのゴールへの道筋を私が透君に伝えればいい、簡単な話だったと、気づきました。


 もう、見えない関係はおしまいです。


 これからはニラではなく、浅倉凛として、透君を勇気付けます、大丈夫って言います。


 なんの取り柄もなくずっと下を向いていた私を、透君が、大丈夫って言ってくれたように。


 今度は私が、貴方の心を救います、なんてのはおこがましい物言いですけど。


 項垂れて丸まった背中を真っ直ぐにするひと叩きくらいできればいいなと、思いました。



「本音で話してくれて、ありがとうございました」


 透君が面を上げてくれます。

 途方にくれた面持ちに、私を何度も救ってくれた言葉をかけます。


「大丈夫です」


 身体が、動いていました。 


「透くんは、ここで折れるような人じゃありません」


 愛おしい気持ち、感謝の気持ち、なんとかしてあげたいという気持ち。


「透くんの強さを、私は知っています」


 嘘偽りのない言葉を紡ぎながら、透君の背中に腕を回します。


「透くんはちゃんと、自分の無力さにも、間違いにもちゃんと向き合って、前に進める人です」


 大きな背中をゆっくりと、壊れ物を扱うかのように撫でます。


「透くんは透くんが思っている以上に、強い人です、凄い人なんです。私がそれを、誰よりも知っています」


 ゆっくりと、本心を口にします。


「だから、大丈夫です」


 本当に、大丈夫なのです。


「少しだけ休んだらすぐ、透くんは書けるようになります。それからはもう、一直線です。透くんはじきに、作家さんになれます」

「そんなの……わからないじゃないか」


 なぜ、私がこんなにも自信に溢れているのか、わからないのでしょう。


「わかりますよ」


 声を震わせる透君をもう一度、力を込めて抱き締めます。


 そして、


「だって、私は……」


 脳裏にフラッシュバックする、私と透君とで歩んだ、夢への軌跡。


 それは現在から過去へと遡っていき、やがて放課後の図書室へとたどり着きます。


 ひらがなだらけの原稿用紙が脳裏に浮かんだ瞬間、興奮に染まった透君の懐かしい声が──。



「私は、透くんの」



 ──どうだった!?


 ──俺の小説、どうだった!?



「世界一の、ファンなんですから」

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