第8話 幼馴染に激励される
「透くん、なんか今日、元気ありませんね?」
「へっ?」
至近距離から放たれた言葉に、素っ頓狂な声を漏らす。
「いや、今36度5分くらいだと思うぞ」
「誰が体温の話をしてますか」
「でもそうやってずっと見つめられてたら、すぐ40度超えそう」
「あっ……」
バッと、凛が身体を離す。
「きゅ、急に変なこと言わないでくださいっ。食後の眠気で変なスイッチ入っちゃったんですかアホなんですか?」
「凛は今日も元気だなー」
「私のことはいいです。で、どうなんですか?」
「どうって……」
どうなんだろう。
でも確かに、言われてみれば普段と比べてちょっともやもやした気持ちがあるというか。
「私の目は、誤魔化されませんよ」
じっと、凛が真剣な面持ちで見つめてくる。
「普段よりも声に元気がありませんし、気色悪い発言にもキレがありません」
「いつもの俺の発言ってキレッキレに気色悪いんだ」
「とにかく」
真面目な雰囲気を纏った凛が、全く尖のない言葉で空気を揺らす。
「私は、心配しているんです。なにかあったのでしたら、言って欲しいです」
心配している。
凛にそう言ってもらえて嬉しいと思う自分がいた。
「もしかして」
ぎゅっと拳を握った凛が、尋ねてくる。
「小説のことで、なにかありましたか?」
冷たい手で心臓を握られたような感覚。
なぜか凛は、確信深げな表情をしていた。
「すごいな、凛は」
「当たりですか」
「うん、当たってる。いや、ほんとすげーわ」
「伊達に幼馴染やってないですからね」
凛の口元が僅かに緩む。
心なしか、少し得意げに見えた。
ぽりぽりと後ろ手に頭を掻いてから、お母さんに成績表を「アンタ隠してたわね」と突きつけられた時のような心持ちで口を開く。
「実は今朝、5年ぶりに更新をサボった」
「……どうしてです?」
「ある読者さんに、引かれちゃって」
「引かれた……?」
凛が、目をまんまるくしている。
そりゃそうだろう。
俺の作品を読んでいない凛からすれば、なんのこっちゃわからないはずだ。
事の経緯を……『小説で食おうぜ!』の幼馴染ざまぁ要素を抜いた形で、簡単に説明する。
「5年前、俺が小説をネットに投稿を始めた頃からずっと読んでくれていて、更新をするたびに必ず感想を送ってくれる読者さんがいてさ」
「はい、それで?」
「その人が昨日、つぶやきったーで初めてコメントくれて……俺、なんか色々舞い上がっちゃって」
「身の毛もよだつようなクソリプを送った、と」
「クソリプってそういう意味だっけ?」
「あれはスラングなので定義に意味を求めるのは時間の無駄です。というか、身の毛がよだつ部分は否定しないのですね」
「実際、そう思われても仕方がない内容だったと思われ」
「自覚があるのでしたら何よりです」
「へ?」
「お気になさらず。それで?」
「えっと、5年間ずっとついてきてくれた一番のファンを、自分から遠ざけるようなことをした事にショックを受けたというか……」
「自己嫌悪と自責の念に囚われて更新できなかった、と」
「流石は凛、よくわかってる」
「あと、その人からの感想がもう二度と来なかったら、みたいな恐怖にも駆られていたと」
「ほんとよく分かってらっしゃるね!」
「幼馴染ですから」
当然ですと言わんばかりに胸を張る凛。
胸の内に潜んでいたもやもやを凛が引き出してくれたからか、
「俺、その人には物凄く感謝してるんだ。毎朝早起きして、執筆して、欠かさず更新を続けられたのは、間違いなくその人のおかげでさ」
ニラさんに対する思いが、続けて溢れ出る。
「だから、怖かったんだと思う。もう二度と、その人からの感想が来ないと思うと、なんてことをしたんだろうって。それくらいその人は、俺の中で大きな存在だったんだ」
言葉を並べるのに夢中になっていて……俺は、凛の表情が濃い喜びの色に染まっている事に気づけなかった。
素直な心の内を吐露し終えてから、息をつく。
そのタイミングで凛が、ほのかに上擦った声色で口を開いた。
「大丈夫だと、思いますよ」
確信めいた表情で、すうっと息を吸ってから、凛が言葉を紡ぐ。
「その人は5年もの間、透君の作品を追いかけ続けて、感想を書き続けた方なんでしょう? 間違いなく、透君の小説の大ファンのはずです。そんな人がたかが一度、気持ち悪いリプを送られたぐらいで作品を見限るような事は、しないと思います」
息継ぎを挟んでから、凛が言葉を続ける。
「その人は今朝、透君の作品の更新が無くて悲しんでいるはずです。もしかしたら、自分のせいで更新が無かったんじゃないかと、思い悩んでるかもしれない」
凛の拳にぎゅっと力が込められる。
心優しい凛は、もしそうだったらと、ニラさんに感情移入しているのかもしれない。
「だから今、透君がするべき事は、書いて更新することだと、私は思います」
その言葉には、説得力があった。
まるで、凛がニラさんの気持ちを代弁しているかのような説得力。
凛の言葉を聞いて、そうかもしれない、いや、きっとそうだと、胸にストンと落ちるような腹落ちがあった。
「それに」
今度はぴんと人差し指を立てて、聞き分けのない子供を叱りつける保母さんみたいに。
「透君の読者は、その人だけじゃないのでしょう? その人以外にも、透君の作品を心待ちにしてくれている読者の皆さんがいます」
ハッとなった。
凛の言わんとしていることが分かった。
「その人たちのためにも、透君は書くべきです」
凛の言う通りだ。
ニラさんの他にも、俺の作品をブックマークしてくれた方、感想をくれた方、評価をくださった方、たくさんいる。
「ありがとう、凛。ちょっと視野が狭くなってたわ」
「自覚してくれたようで、なによりです」
凛の目が細められ、口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「変なところで自信がないのは相変わらずですね」
「知ってるだろ、俺がこう見えて自己肯定めちゃくちゃ低いの」
「ふふっ、知ってますよ。幼馴染ですから。……というか、そもそも」
今度は力の篭った声色で、
「透くん、作家さんになるんですよね? だったら、立ち止まってる暇なんてありません。あの日、私と交わした約束、忘れたとは言わせませんよ」
──ああ、そうだ。
俺は凛と、約束を交わした。
必ず小説家になって、一番最初に凛に読んでもらうって。
約束、した。
「よし!」
くよくよしてらんねえ!
「目、覚めたわ。更新するよ、凛」
ニラさんのこと、ご愛読いただいている読者の皆様のこと。
理由はいろいろあるが、一番根っこの部分がある限り、俺が筆を止める事はあってはならない。
俺は他でもない、凛のために書くんだ。
俺に創作の喜びを教えてくれた、凛に。
「はい、その意気です」
凛が、ここ最近見た中では一番嬉しそうな表情を浮かべる。
可憐で、慈愛に満ちた、思わず抱きしめたくなるような笑顔。
「ありがとうな、凛」
「どういたしましへぁっ」
感謝の気持ち、愛おしい気持ち。
なんかまたいろいろ抑えきれなくなって、凛の頭を撫でた。
砂丘のような手触り。
ふんわりと漂う甘くて優しい匂い。
窓から入ってきたそよ風が、繊細な髪先を揺らす。
またですかまたどさくさに紛れて気持ち悪いです本当にやめてくださいボケナスアホパイタン。
とか言われると思った。
しかし、あろうことか凛の方から頭を擦り付けてきた。
「んぅ……」
どこか艶っぽくて、警戒心のない声。
まるで、涼しい春風が吹くテラスですやすやと居眠りをする子供のような、安心しきった表情。
気持ちよさそうに目を細め、凛はまるで甘えたの子猫みたいに喉を鳴らした。
まさか凛の方から甘えてくるとは思っていなくて、普通に焦る。
「……怒らないのんな」
「今の私は機嫌が大変よろしいですから、特別です」
「じゃあまたとない機会ということで……」
「調子に乗ったら怒りますから」
「はいすいみません調子乗らないです」
「ふふっ、よろしい」
ふわりと、凛の表情に優しげな笑みが浮かぶ。
その可憐な笑顔に鼓動を早めつつ、しばらくの間、俺は凛の頭を撫で続けた。
とっても温かくてゆったりした、良い時間だった。
昼休み終了5分前のチャイムでハッと我に返った俺と凛が、お互いに顔を真っ赤にしたのはまた別の話である。
◇◇◇
昼休みが終わって教室に戻った後。
ぴろりん♪
通知音が鳴って、スマホのディスプレイを見る。
────『ニラ』さんが、あなたのつぶやきに返信しました。
目に飛び込んできた文章に、通知欄を弾かれたようにタップすると、
『次の更新はいつですか。楽しみにしています』
……やっぱすげーわ、凛。
放課後、俺は今朝分も含めて感謝の2話更新を敢行した。
もやもやした気持ちは、もう欠片も残っていなかった。
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