第35話 幼馴染と夕暮れのひと時
「なんか、懐かしいな」
「なにがですか?」
長い抱擁を終えて、窓の外が夕焼け色に染まり始めた頃。
俺がふと漏らした言葉に、隣に座る凛が不思議そうな顔を向けてきた。
「ほら、中2の時の」
「ああ」
それだけで、凛は合点がいったようだ。
「ありましたね、そんなこと」
澄んだ瞳が、懐かしそうに細められる。
どこか愛おしげな、慈愛に満ちた面持ち。
思わず手を伸ばし、その小さな頭を撫でる。
「んぅ……なんですか?」
「いや……」
見惚れてて、つい。
とは言えず、代わりにこう返す。
「言葉に棘のない凛も、懐かしいなと」
「戻してあげましょうか、このど変態」
「うお、いきなりきたな」
「でも、嬉しいんでしょう?」
「ぐっ……嬉しいと言えば嬉しいかもしれないけど、それは決して罵倒されて喜ぶマゾ的なやつじゃなくて、いや、全然嬉しくないと言えばそれは嘘になるけど」
「なに必死に言い訳しちゃってるんですか。第一、透君が言ったんですよ?」
凛にしては珍しく、人を困らせてやろうという意思を灯した言葉を、空気に乗せる。
「俺を罵ってくれーって、私に、恥ずかしげもなく、大きな声で」
「ぐぬおおおぉぉぉいっそ殺してくれええぇぇ!!」
ベッドに倒れこみ頭を抱えのたうち回る俺に、凛が辛辣な一言を添える。
「気持ち悪い」
言葉の意味とは裏腹に、凛は子供っぽく笑ってみせた。
「でも」
俺の身体に、凛の手が触れる。
「私は、嬉しかったですよ」
覆っていた手を退けると、凛が心底嬉しそうな表情で俺を見下ろしていた。
表情の変わらない凛が時たま見せる、木漏れ日のような笑顔。
思わず、息を呑んだ。
なんだか気恥ずかしくなって身体を起こす。
「あー」とか「えー」とか、意味を伴わない声を漏らして、まだ言いたいことが固まっていないまま言葉を並べる。
「でも、ぶっちゃけるとあの日辺りから……なんか、お互いに気まずくなったというか、変な距離ができちゃったからさ」
後ろ手に頭を掻きながら、続ける。
「だからこうやって凛とまた……その……一緒に飯食ったり、遊びに行ったり、部屋で遊んだり……あー、うまく纏まんないけど」
纏まんないけど、きっと言いたいことはシンプルだ。
「俺も今、とても嬉しい」
この一言に尽きる、だけど。
言ってから、急に顔が熱くなった。
抱き締められたこと、頭を撫でられたこと、優しい言葉をかけられたこと。
疲労困憊だった頭に数々のセラピーを施されふわふわした気持ちになって、普段はそっと胸に仕舞い込んでいる事も、言葉にしてしまっている。
ちらりと、隣を伺うように見やる。
視界いっぱいに、シロップを染み込ませたシフォンケーキのような笑顔が広がっていた。
「……俺より嬉しそうだな」
「同じくらいじゃないですかね」
こつりと、俺の肩に頭を乗せてくる凛。
そのまま擦り寄るように、身を寄せてきた。
「透くん」
「どうした?」
「ちょっとだけ、お膝、借りていいですか?」
思わぬ提案だった。
「別に構わないけど……眠いのか?」
「ちょっとだけ」
「なんだ、凛も夜更かしか?」
「あっ、う……えっと」
軽いノリで尋ねたのに凛はわかりやすく目を泳がせた。
「まさか、深夜徘徊……!?」
「してません! なんですか唐突に元気になってキモキモ発言にキレが舞い戻ってきたんですかそうですか気持ち悪い」
「毒舌のキレも舞い戻ってきてんね!?」
「大した理由じゃありませんっ、その……ちょっとAma-izon プライムで、面白い映画に巡り会い、夜を更かしてしまったといいますか」
あっ、嘘だ。
秒でわかった。
視線が左右に揺れている。
「……あと、ちょっと気が抜けたのもありますね」
あ、これは本当だ……。
不健康ルートまっしぐらだった俺が、体調に気をつける宣言をしたことにより安心したのだろう。
改まって背筋をピンと伸ばし、ぽんぽんと自分の膝を叩く。
「俺の膝くらい、いくらでも使ってくれ」
「なんですかそれ」
口に手を当てて笑う凛。
「では、お言葉に甘えて……」
僅かに緊張を纏った様子の凛が、身体を横に倒す。
俺の太ももに、頭を預けてくる。
花のように甘い香りがふわりと漂う。
局所的な温もり、想像よりも軽い重み。
全身に、変な緊張が走った。
一方の凛は、メニューの写真よりも量の少ない料理が出てきた時みたいな声で、
「思ったよりも硬いですね」
「男の太ももには和牛のような柔らかさはない」
「牛さんのツノ?」
「それ肉ちゃうやん、もはや骨やん」
「でも」
まるで大型犬のお腹に顔を埋めるかのように、凛が頬を太ももに擦り寄せて、
「あったかいです……」
ゆっくりと、目を閉じた。
安心し切った表情。
子供のようにあどけない、幼子のような顔立ち。
手がひとりでに、絹糸のような黒髪に伸びる。
「寝ていることをいいことにセクハラですか気持ち悪い」
「ちっ、ちがわいっ」
びくっと、サンマに手を出そうとしていた猫が飼い主に叱られた時みたいに手を引っ込める。
「嘘ですよ、冗談です」
くすりと、小さな笑い声。
「透くんが寝込みを襲うような人じゃないってくらい、重々承知です」
「……なんでもお見通しなんだな」
「それはもう」
目を閉じたまま、凛は少しだけ口角を持ち上げて、
「幼馴染ですから」
その言葉を最後に、凛はすうすうと寝息を立て始めた。
赤子のように無防備な寝顔に、思わず口元を緩める。
でもこの寝入りの速さ……やはり相当、気疲れしていたのだろう。
「……ごめんな」
起こさないよう、小さな声量で呟く。
もう、無理はしないと、改めて心に誓った。
ようやく頭に余裕が出来てから……ふと、疑問が浮かんだ。
今までずっと、心の少し底の方でぐるぐるしていた疑問。
一体凛は、なにがきっかけでグイグイ距離を詰めてくるようになっただろう。
俺が凛のことを好きなように、凛も俺のことが好き。
故に凛は、積極的なアプローチを行うようになった、そこまではいい。
じゃあ、そのきっかけは?
凛の性格上、唐突な気まぐれ程度でここまで行動が変化することは考えにくい。
何かが引き金になった、そうとしか考えられない。
そしてその引き金は、俺にがっつり絡んでいるような気がした。
根拠はない、これは直感だ。
思い返す。
発端は、凛がお弁当を作ることを提案した日あたり。
その日を境に、凛の行動が明らかな変化を起こした。
弁当まではまだわかる。
そこから立て続けに、映画のお誘い、ランチのお誘い、ハグ、頭撫で撫で、膝枕エトセラエトセラ。
全部、凛からの提案。
おかしくないと思う方が無理な話である。
前日、前々日を思い返す。
……特に、心当たりはない。
強いて変わったことと言えば……ああ、そういえば。
『小説で食おうぜ!』の現代恋愛ランキングが『幼馴染ざまぁモノ』一色になっていたっけ。
それで発狂した俺は、勢いのままニラさんにクソリプを飛ばした。
くらいだよな?
でも別にそれは、凛とはなんの関連性も……。
「……あれ?」
脳内で、ぼんやりとした回路が繋がりそうな感覚。
一瞬影だけ現した真理の気配を逃すまいと頭に手を当てるも、もう先ほどの感覚はどこかに消えてしまっていた。
「なんだ、今の」
「んぅ……」
凛がごそごそと、頭を動かす。
慌てて口を噤ぎ、身体を1ミリも動かさぬように務める。
危ない、起こしてしまうところだった。
1分くらい静かな時間を挟んでから、再び思考を走らす。
しかしもう、脳内に先の電流は残滓すら残っていなかった。
凛が目覚めるまで考えてみたが結局、なにもわからなかった。
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