第10話 幼馴染との出会い
俺が小学2年生の時、隣のクラスに目つきと人付き合いが悪くて孤立している少女がいる事を知った。
彼女はその時からちょっとした有名人だったのだけれど、その認知に2年もかかったのはひとえに俺もクラスのコミュニティから孤立していたからに他ならない。
少女の名は、浅倉凛。
俺が、先の人生において最も口にする名である。
◇◇◇
出会いは唐突だった。
ジリジリと夏の到来を感じさせる6月のある日。
放課後、クラスメイトたちが校庭でドッヂボールに興じる中、俺はクーラーの効いた図書室にいた。
お小遣いをはたいて買った原稿用紙に、HBのえんぴつでガリガリと鬼神の如くひらがなを書き込んでいた。
そう、執筆をしていたのである。
この時から俺は小説家を目指していた。
目指していたといっても、なるために本気でゴールから逆算したプランを実行していた、というわけではない。
小説家という職業に憧れてとりあえずそれっぽいことをしてみていた、という方が正しい。
今時の小学生が、ヨーチューバーになりたいと言ってとりあえずチャンネルを作ってみたのと同じノリだ。
憧れのきっかけは単純だ。
毎週日曜日の夜放送の『糖質大陸』で紹介された、超大物ライトノベル作家「佐藤めーぷる」先生をかっこいいと思った。
ただそれだけだ。
俺もめーぷる先生みたいに、ひとり机に向き合い淡々と物語を作る孤高の存在になりたい、本気でそう思った。
小学2年生の持つ動機なんて、そんなものだ。
当時人付き合いが苦手でぼっち気味だったから、そういう存在になることによって自己の孤立性を正当化したい、という心理も働いていたと思う、今となっては。
というわけで、放課後の図書室は俺の精神と時の部屋となった。
なるべく入り口から遠い席を陣取って毎日、ガリガリと執筆に励んでいた。
凛と出会った日も、書いていた。
その日は執筆中、少し効きすぎたクーラーのせいでお腹が悲鳴を上げトイレに駆け込んだ。
魔物を退治し終えた勇者のような心持ちで帰って来ると、俺が座っていた席に腰を下ろし原稿用紙を眺める少女がいた。
すごく綺麗な子……。
子供心ながらそう思った。
肌は雪みたいに白く、顔立ちは彫刻のように整っている。
ブラックコーヒーのように黒い髪は腰まで伸びていて、澄んだ星空のごとくきらきらと光沢を放っていた。
佇まいは凛としており、まるで鋭利な刃物を彷彿とさせる。
こういう女の子を大和撫子というとかなんとか、最近読んだ本で見たような気がする。
「これ、あなたが書いたのですか?」
俺の存在に気づいた少女が、大きくて澄んだ瞳を向けて訊いてきた。
その双眸は少々力がこもっているというか、端的にいうと怒っているように見えた。
ただでさえコミュニケーションに不慣れで、人に対し苦手意識を持っていた俺はこの時、僅かに後ずさってしまう。
「ああ、ごめんなさい」
何かに気が付いた少女が、目をぱちぱちと瞬かせる。
「これは別に睨んでいるわけではなく、もともと目つきが悪いのです」
まるでいつもしているかのような、流暢な説明。
その言葉を聞いて俺は、ああなんだそうなのかと、存外すんなり納得したのを覚えている。
意識はこの少女に対してではなく、少女が自分の作品を読んだという事実に向いていたから。
「読んだの……?」
「はい、読ませていただきました」
どうして。
尋ねる前に、少女が続ける。
「この紙が床に落ちていたのを見かけて、拾った時に少し見えてしまいまして」
小学2年生とは思えない言い回しで言葉を紡いだ後、ちょっぴり恥ずかしそうに目を逸らし、
「その……とても興味をそそられる内容だったので、つい、じっくり読んでしまいました」
ぽりぽりと、頬を掻く凛。
口調や雰囲気にそぐわぬあどけない仕草に、心臓がどきんとする。
「勝手に読んでしまってごめんなさい」
ぺこりと、少女は恭しく頭を下げた。
今思えば本当に、小学2年生とは思えない言動行動だ。
凛の家庭が礼儀に厳しく、幼少の頃からかなり仕込まれてきた事を知るのは、まだ少し先の話である。
「あの……!!」
少女の謝罪に、俺は文脈も会話の流れもフル無視の行動をとった。
この時の俺は、なに勝手に読んでんねんという怒りも、作品を読まれた事による羞恥もなかった。
まだ思考回路が未熟な俺にあったのはただ、自分の作品が他者から見てどうだったのかという好奇心。
だから、尋ねた。
「どうだった!?」
「えっ」
たぶん少女から見て、この時の俺の表情はきらきらに輝いて見えただろう。
「俺の小説、どうだった!?」
普段は引っ込み思案で無口な癖に、自身の渾身の一作を読んでもらえたという興奮が、俺の言葉に、身体に、エネルギーを与えていた。
俺の作品を読んでどう思ったのか知りたい、感想が欲しい!
そんな一方的な承認欲求に駆られた俺の挙動に少女は一瞬目を丸めたが、すぐにふっと表情を和らげて、
「とっても、面白かったです」
自分一人だった暗がりの世界に、光が差したような感じがした。
自分が衝動のまま、好きなように書いた小説を『面白い』と言ってくれた。
それはまるで、自分自身を肯定されたような感覚だった。
当時友達がおらず、いつも一人だった俺にとって、その感覚は身も震えるような感動をもたらした。
そしてその感動を与えてくれた少女に対し、温かい、春の陽だまりにも似た感情を抱いた。
当時小学2年生だった俺にはその感情の正体に気づけなかったけど。
俺はこの時、少女に惹かれたのだと思う。
くすり。
少女が口に手を当て小さく笑う。
あどけない、年相応の子供っぽい笑顔を目にした途端、今まで体感したことのない鼓動の速まりを感じる。
なぜ自分の顔が熱くなったのか、この時の俺にはわからなかった。
「どうして笑ってるの?」
「いえ、ごめんなさい。もっと寡黙な方だと思っていたので、つい」
まるで俺を以前から知っていたかのような口ぶり。
そして少女は、今後の俺との関わりを確かなものにする言葉を続けた。
「続きは、ないのですか?」
これが少女──浅倉凛との出会いである。
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