最終話 10万文字のラブレター


「なんか、痩せましたか?」

「心配かけてごめんなさい!!」


 登校中。

 凛の疑問を投げかけられ、俺は即座に頭を下げた。


 10日ぶりに会う凛の表情には、憂いの感情が浮かんでいた。

 

「……本当です、反省してください。何度お電話をかけようと思ったことか」


 凛の心配はごもっともだった。


 人生に一度しかない高2の春休みは、執筆で始まり執筆で終わった。


 春休みの10日間、俺は10万文字を生み出した。

 平均して、1日1万文字。


 俺の今までの平均執筆スピードは、だいたい一ヶ月で10万文字。

 単純計算で、3倍の速度を維持し続けた事になる。


 俺の執筆スピードを把握している凛からすると、いつ身体を壊してしまうかとはらはらだったに違いない。


「でも、元気そうで何よりです」


 面をあげる。

 凛は、今日の天気みたいに笑っていた。


 再び元気な姿の俺に会えた、それだけで満足とでも言う風に。


「おかげさまで……ありがとう」


 限界の一歩手前を感じたらすぐ休むようにしてたから、体調に異常はなかった。

 それこそ身体を壊してしまったら、また凛を悲しませてしまうから。


 まさに本末転倒だ、絶対にあってはならない。


「でも結局、飯、食いに行けなかったな。約束してたのに、ごめん」

「気にしないでください。機会はこれから、いくらでも、あるんですから」


 いくらでも、の部分を強調する凛。

 肺の辺りにじんわりと、温もりが灯る。


「ああ、そうだな……じゃあ、今週の土曜日、早速行っていいか?」

「ええ、もちろんです」


 親と遊園地に行く約束を取り付けた子供みたいな笑顔を浮かべる凛。

 

 しかしその笑顔に、僅かに曇りの気配を感じる。


「どうした? 浮かない顔して」


 俺の勘は当たっていた。

 凛は気まずそうに目をしばしばさせた後、


「……あの、私のほうこそ、すみません」


 ぽつりと、肩身狭そうに言う。


「夢までもうすぐだと、あとは透くんの書きたいもの次第と……言いましたが、その……」

「なんだ、そんなことか」


 凛の謝罪の意味を察した。


 今作、『世界一かわいい俺の幼馴染が、今日も可愛い』の伸びについてただろう。


 結論から言おう。

 

 ──俺は、ラインを超えられなかった。


 でも、いいところまではいった。

 書籍化のラインが10だとすれば、7か8くらいまでのところまで駆け上がれた。


 これまで投稿したどの作品よりも高い閲覧数を記録し、感想も最多だった。

 ランキングも、かなりの高順位をマークした。


 でも、越えられなかった。


 『食おうぜ』でおいて、作品の伸びは何よりも初速が重要である。

 初速でラインを超えられなかったら、そこから伸びることはほぼ無い。


 完結直後のブーストもあったが、それもあわせての数字だった。

 今後、これ以上の伸びを見せることは無いだろう。


 そのことを凛は、重々承知のはずだ。

 だからこそ、申し訳ないと思っているのだろう。


 あんなに自信たっぷりに言っておいてぬか喜びをさせてしまった、とか思ってるのだろうか。


「気にするな」


 ぽんぽんと、凛の頭を撫でる。

 どんよりと曇りの日みたいな顔をしている凛に対し、俺はにかっと笑ってみせる。


 今作が、紙の本になることはおそらくない。


 出版不況のこのご時世、数字が何よりも重要視される『食おうぜ』において、その数字を取れなかった作品が世に出る可能性は皆無と言っていい。


 でも不思議と、焦燥感も悔しさもなかった。

 心は、台風が過ぎ去った後の大空くらい晴れやかだった。


「これが今の、俺の実力だ」


 結果を嘆いたってしょうがない。


「それに、今回のは勢いに任せてむっちゃくちゃに出したからな。投稿頻度とか投稿時間、キーワードタグとか、多分そこらへんちゃんとするだけでも、もっといいところまで行けたと思う」


 結果論に過ぎないけど、それこそラインを突破できたかもしれない。

 ネット小説は作品の中身も重要だが、それをどう見せるかのパッケージや、更新方法も重要である。


 そこをフル無視したから、当然といえば当然の結果だ。


「でも、これで良かったんだ」


 今、隣を歩くこの子にいち早く読んでもらいたい。 

 俺の想いを伝えたい。


 それが目的だったから。


 パッケージや更新方法の部分にリソースを割いていたら、ここまでの仕上がりにはならなかったに違いない。

 読者をウケを狙おうと丸くする事なく、たった一人の読者の事だけを考えて書いた結果、尖りに尖った最高の作品が誕生した。


「俺は、満足だ」


 悔いはない。

 

 ちゃんと凛に、俺の創作史上最高の作品を届けることができたのだから。


 そんな俺の内情が伝わったのか、


「そう、ですか……」


 凛は照れ臭そうに目を伏せて、ぽりぽりと頬を掻いた。


 嬉しみの感情が、溢れ出ていた。


「まっ、でもまだ、完全に無いって決まったわけじゃないしな」


 超低確率だけど、長い時間を経てお声がかかる作品もある。

 全くラインにかかっても無いにも関わらず本になる作品もある。


 つい3年前にそのパターンで書籍化した作品は、本になるだけでは飽き足らず、コミカライズ、映画化、アニメ化まで突き抜け社会現象にまで発展した。


 単純に作品自体のクオリティがずば抜けていて、『食おうぜ』で定量的な読者が獲得できなくも、世に出せば売れまくると判断された作品だ。

 そういう作品は認知さえされれば、ラインを超えなくてもお声がかかる。


 その方面を目指していきたいなあと、俺は思っている。

 そしてその方向を目指すなら別に『食おうぜ』に固執しなくても、公募でもいいんじゃないだろうか。


 ここら辺の可能性は今後、模索していきたいところである。


「それに今回ので、確かな手応えはあった。あと何作か書いたら、凛に紙の本を贈る事ができそうだよ」


 自分の真に書きたいもの、すなわち情熱と、それを伝えるスキルが組み合わさった作品。


 それこそが、面白い作品なんだと思う。


 情熱は、俺の心の中にちゃんと存在していた。

 スキルはこの5年間、毎日のように創作と向き合ってきた集大成がちゃんと蓄積されている。


 気づいたからもう、迷いも恐れもなかった。


 俺は俺の持つ情熱を面白いと言ってくれる読者のために書き続ける。

 諦めずに続けていれば少しずつ認知されていって、ラインの突破なんてすぐだ。


「だから俺は、これからも書き続けるよ」


 嘘偽りのない、心の底からの決意。


「何年かかったって、小説家になってみせる」


 表明すると、凛はそれはそれはとても嬉しそうに破顔して、


「はい、楽しみに待ってます」


 俺だと多分、何年分費やしたって足りない笑顔を見せてくれた。


「あ、そうだ」


 ふと思いついて、凛に提案する。


「今日の放課後、街でも行かないか?」

「街、ですか?」


 こてりと、凛が小首を横に倒す。


「そうそう。久々にぶらぶらっとしたいなと」

「小説の取材です?」

「いんや別に? 普通に気まぐれ」

「私はいいですけど……その、放課後の執筆は」

「今日はノーパソ持ってきてない」

「えっ」


 凛がわかりやすく目を丸める。


 あー、と言い訳するように前置きしてから、俺はそのまま考えてる事を口にした。


「今までは毎日ガリガリ書いて、執筆にたくさん時間を使ってきたけどさ。これからはちょっと、休み休みで書こうと思って」

「……それは、どうしてですか?」


 じっと、なにかを伺うような表情の凛。


 身体に妙な緊張が走る。

 わりかし大きな意思を胸に抱き、息をすうっと肺に入れてから、自分の率直な気持ちを言葉にした。


「やっぱり俺は、凛にも、たくさん時間を使いたい」


 本心だった。


 小説家を目指す、執筆活動も続ける。

 だけど、大好きな人にも、時間を使いたい。


 心の底からそう思っていた。

 

 俺の言葉に、凛はぱちぱちと目を瞬かせた。


 しかしすぐに、ふわりと表情を穏やかにしてから、


「透くんがそれで良いなら、いいんじゃないですか」


 割とあっさり肯定された。


「……怒らないんだな」

「怒りませんよ。だってそれは透くんの、『本当にしたい』ことなんでしょう?」

「まさしく」

「なら、いいじゃないですか。それに……」


 恥ずかしそうに、目を伏せて、


 愛おしそうに、笑って、


「……私も、透くんにたくさん時間を使いたいですし」


 ──ああ、もう。

 

 本当に、もう。


「凛」

「なんですか?」

「好きだ」

「……っ」


 さあっ──と、桜の花びらがフラワーシャワーのように舞う。


 まるで俺たちを、祝福するかのように。


 一瞬目を瞑って、瞼を持ち上げると、わかりやすく顔を真っ赤にした凛がぷるぷると身体を震わせていた。


「……知ってますよ」


 僅かに湿った声。


「なにせ、10万文字のラブレターを頂いたのですから」

「文字だけじゃ、100万文字でも足りないと思って」


 思えば発端は、俺の140文字の呟きだった。

 愚かで浅はかだった俺は、自分の告白が誰の心に届いたのか知らなかった。


 一方的に想いを知らされた凛は、相当困惑した事だろう。


 今の今まで、たくさん待たせてしまった。

 本当に申し訳ない事をした。


 その埋め合わせとかじゃないけど……これからは、凛にたくさん気持ちを伝えたい。


 文字や声に限らず、あらゆる方法で。


 という思いを込めて言った俺に凛は、


「はい、全然足りません」


 ふるふると、頭を横に振る。


 喜びと照れに溢れた笑顔で俺を見上げてから、凛は精一杯のおねだりを口にした。


「だからこれからも、たくさん言ってください」


 返す言葉は、決まっていた。


「うん、わかってる。大好きだよ、凛」


 頭を撫でようと手を伸ばそうとして、


「それでいいんです、それで」

「うおっ、と……」


 逆に抱き付かれた。

 

 甘い匂い

 俺より高い体温

 柔らかい感触。


 ああ、凛の感触だと思ったその時、



「私も、大好きです」



 耳元で紡がれる、喜びが溢れんばかりの声が、鼓膜を震わせ、心を震わせる。


 お互いの想いが、通じ合う。


 世界で一番大好きな人に、一番言って欲しかった言葉を贈られて、なんだろうね、もう、うまく言葉も浮かばないや。


 幸せだった。


 シンプルに、それだけだった。


 油断したら、思わず目から何かが溢れ出してきそうな多幸感。


 でも、我慢した。

 涙を流すところを見られるなんて恥ずかしい、という変な意地があった。


 背中に腕を回してくる凛に倣って、俺も、その小さな背中に腕を回した。


 しばらくしてお互いに冷静になって、気恥ずかしくなって身体を離す。


 新学期早々の朝っぱらから一体、俺たちは何をやっているのだろう。


「そ、そういえば今日、クラス発表だな」

「そ、そうですね、ひゃい……」


 ひゃいて。


 可愛いかよ。

 今度はしっかりその小さな頭を撫でると、凛は気持ちよさそうに目を細める。

 

「クラス、一緒だったらいいな」

「そう、ですね。一緒でしたらお昼休み、わざわざクラスにお弁当を持っていかなくても良くなります」

「あれ、いつもの多目的室は?」

「いいじゃないですかもう、隠す必要もないですし」


 涼しげに笑う凛。


「まあ、確かにな」


 俺も笑った。


 言葉は必要なかった。


「ちなみに、本日の献立はなんですかい」

「えっと、卵焼きと唐揚げのハニーマスタードがけと、ニラ玉、きんぴらごぼう……あと……たけのこの炊き込みご飯です」

「なんやて!?」


 俺のリアクションに、ドッキリが成功した子供みたいに笑う凛。


「今日、透くんが食べたい献立は絶対にこれだと思いまして」

 

 じんと、胸が熱くなった。


「本当に」


 もう、愛おしいくらい。


「なんでもお見通しだな」


 感極まって震える俺に、凛はくすりと笑って、



「恋人ですから」



 どくんっ。

 

 心臓が跳ねた。

 息が詰まる感覚。

 思わず歩みが止まる。

 

 俺の足が止まった歩数分、前を歩んだ凛が振り向く。


「さっきの、お返しです」


 弾んだ声で言って、悪戯っぽく笑う凛。


 それは、不安も憂慮も焦燥も無い、未来への希望に満ち溢れた、輝かしい笑顔だった。




 これから俺は、凛と生きていく。


 嫉妬深い神様が意地悪でもしない限り、それは確定的な未来だ。


 きっと、楽しいことばかりではない。


 辛いことも、しんどいこともあるだろう。


 でも、大丈夫。


 隣に凛が、いてくれるから。


 隣で凛が、笑ってくれるから。


 それだけで俺は、これからどんなに辛い出来事が待ち受けていようとも、乗り越えられる自信があった。

 

 俺は幸運だ。


 こんなにも心の底から想える人と出会えて、気持ちが深いところで通じ合えるなんて、確率論で言えば宇宙が誕生する可能性より低いんじゃないか?


 そりゃ言い過ぎだろうと突っ込まれそうだけど、俺はそう思う。


 誰がなんと言おうと、そう思う。


 凛と出逢えた幸運に、ここまで一緒に来れた幸運に。


 そして、これからも共に歩める幸福に、心から感謝したい。


 凛と過ごす日々を一分一秒を、今後も噛み締めながら歩んでいこう。


 そう、心に誓った。


「ほら、透くん」


 立ち止まったままの俺に、凛がそばまで戻ってくる。

 

 俺の手を取って、凛は愛らしい笑顔で言った。




「早く行かないと、遅刻しちゃいますよ」

 



 世界一かわいい幼馴染との日々は、これからも続いていく。


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