第二章 茜色に映える

第13話 模擬戦開始 マジになるとバグが出る

 後四刻を知らせる鐘が鳴った――


 講義が全て終わる時刻。春の穏やかな気候は激しくなりつつある日差しに追いやられ、もう講義中に午睡を貪るにも適さない。

 むしろ力の有り余った学生達には、身体を動かしたくてたまらなくなる暑さを迎えつつあった。


「間もなく開始だ」


 口から煙管の煙と共に、ハクオンが気怠く吐き出した。


 場所は広場の校舎寄りにある噴水前。男子寮側に並ぶのは三人。

 至福の笑みを浮かべるヘンラック。昂ぶる闘争心を隠そうともしないチャガ。そして底なし沼のような無表情さを保ったままのムカ。


 対する女子寮側はコウハがただ一人。ヘンラックの視線に耐えながらも堂々と胸を張っていた。


 そう、もうすぐ模擬戦が始まるのだ。


 模擬戦初日である今日の担当教諭はハクオンとコチ。戦略戦術科のハクオン自身はともかく、コチを選んだのはハクオンの人選の妙であろう。


 コチは相変わらず言葉少なく、二台の戦力判定機の傍らで佇んでいるだけだったが、その抑止力は絶大だ。

 ムカを、その存在だけで抑え付けている。


 ヤオナでもキュウナとエナという両極端の州の出身だ。文化も気質もかなり異なっており、ムカも当初はコチという操船科の教師を下に見ていた。だが、その力量の確かさと自分に対しても一歩も譲らない頑なな扱いに、ついにムカが折れた。


 気の逸る初戦で、武に偏ったムカ達を模擬戦の規則に従わせるには、コチの存在が何よりも適任だ。


「――始める前に、少しだけ説明しておく」


 ハクオンが煙とともに言葉をはき出す。


「この模擬戦の規則は、先代学長が作ったものだが、はっきり言って穴が多すぎる。今年のお前らのように本気でやりあうとなると、色々不備が発覚することは目に見えている――よってそういった場合の規則は俺が決める」


 ハクオンが、特に声を荒げることもなく独裁を宣言した。

 コウハがそれに反論しようとしたが、


「安心しろ。子供の半裸を目当てに教師としての信用を低下させるほど、俺は愚かではない」


 コウハの反論が形になる前にそれを潰し、その煙管の先を男子代表側に向けた。

 もちろん男子側には最初から異論はない。

 そして、それは噴水の周り、そして代表者の周りを取り囲んでいる生徒達も同様だった。


 去年までならこれほどの注目を集める行事ではなかったのだが、さすがに今年の事情は全生徒の知るところである。女子生徒は真剣な眼差しでコウハを見つめ、圧倒的多数を誇る男子生徒は、誰が一番なのかという興味で熱い視線を注いでいる。


「――女子の代表は結局誰なんだ?」

「コウハだろ?」

「それ以外だよ!」

「それよりも今始まったら、コウハがやられて終わりだろ?」

「知らないのか? 女子の能力値は三倍増しだから、あれで釣り合いが取れてるんだよ」


 人が集まれば自然と喧騒の声も明確になってくる。


「静かにしろ」


 そんな中、コチの野太い声が周囲を圧した。


「――周りの連中が言うように、今この場は本来なら偽りの均衡だ。だが、これも先代学長が決めた規則で、俺もどうせ模擬戦ならばと、これぐらいの儀式は受け入れることにした」


 ハクオンはコチが作り出した静寂の中で、厳かに告げる。

 そして右手を上に掲げて、煙管の煙がたっぷりとその腕と袖にまとわりついたところで、その手を振り下ろした。


「始め」


 まったく気合いの乗らないハクオンの合図と共に、とうとう模擬戦が始まった。


「ちょっと待ったーーー!!」


 それと同時にリリーアンが取り巻きの中から、いきなり姿を現した。この場にいる男子三人がコウハが一人だと言うことに気をよくして、戦いを仕掛けた場合、リリーアンの合流で男子は数的不利に追い込まれることになる。


 男子が戦いを宣言した場合、それを受けきって反撃すれば、かなりのダメージを与えられることになるのだ。


 だが、男子三人の行動はいきなりの後退だった。自軍本拠地のある男子寮へとするすると退がっていく。コウハとリリーアンの前から姿を消すのではなく、二人をじっと見たまま誘うかのような後退だ。


 女子二人は一瞬だけ視線を交錯させると、その男子を見据えて前進していく事を選択した。走ればすぐに追いつくことも出来るが、今度は逆に罠に嵌められる可能性もある。

 距離を保ちつつ、慎重に追尾していった。


 その様子を眺めていたハクオンは、


「コチ先生。女子寮に一人残っているはずなんで、そちらに男子が来た時のために待機お願いできませんか?」


 コチはその言葉に頷いて、逆に尋ねる。


「そちらは?」

「俺一人で大丈夫です。女子は合流した以上、男子全員を視界に収めておかなければ、後背に回り込まれる危険を背負うことになる。戦場が拡散したりはしませんよ」

「男子の別働隊は?」

「あれは、どう考えても縦深陣への誘いです。心配いりません」


 コチはそこで首を捻る。ハクオンの推測が本物なら、コチの女子寮での待機自体が無駄足に終わる可能性もある。それなら最初から二人で戦場に向かった方が良い。かといって、学生同士の戦いというレベルでハクオンの推測が外れるとも思いがたい。


「嘘を付いているな?」


 コチは一足飛びに結論に辿り着いた。

 ハクオンはそれを聞いて、懐から竹扇を取り出すと、自分を扇ぎながらこう返答した。


「人聞きの悪い。言ってないことがあるだけです」


 煙管を咥えたまま、戦力判定機を押して女子二人の後に続くハクオン。

 そして、その場を取り巻いていた学生達もその後に続いた。


 なぜならばハクオンはヘルデライバが誇る本物の天才で、学生達がいくら良い成績を誇るとも容赦なくそれを叩きつぶし、自信喪失させて学生の本分に戻らせる、教師側の刺客でもあるのだ。


 採点している時はこれ以上ないほどに憎らしい相手であるが、こういった場合にハクオン以上に信頼できる相手は、ヘルデライバに一人もないのも事実なのである。


 だが、それは実際に模擬戦を行う者達にとっては、二つの意味を持っていた。自分たちの戦術が正しいという指針にもなりうるし、いつその戦術から外れてしまうのだろうか、という重圧にもなりうるからだ。


 解答する端から採点される試験を受けている気分――というのが一番的確な比喩なのかもしれない。


 コウハとリリーアンは前進する内に、男子代表の全員が自分達の視界の中にいることに気付いていた。これで回り込んで女子寮を直撃される心配はなくなったのだが……


「コウハさん、これおかしいね」


 漠然とした勘でしかないことだったが、それを言葉にすることをリリーアンは躊躇わない。コウハの横を小走りに走りながら話しかけてくる。


 コウハも同じく小走りに走りながら頷いた。後ろから戦力判定機の奏でる車輪の音が聞こえてくる。そしてハクオンの言う規則の不備にも思い至る。


「移動に関する取り決めがないんだわ。これでは戦いに持ち込めない……」


 男子の三倍増しが確定している女子が二人揃っている。そして戦力判定機で一度に戦えるのは双方三人までなのだ。つまり今闘えば戦力は二倍増し。

 ここで戦いに持ち込めれば間違いなく勝利できる。しかし、まず接触できない。


 追いつこうにも男子の方が足が速いのだ。


 これで回り込まれれば、あっさりと砂浜まで男子はたどり着いてしまうだろう。

 だが、今年の男子にはおぞましい望みがある。完全勝利を目指す以上、自分達を無視するとも思えない。


「あたし達が二人揃っている以上負けはないわ。そして今年の男子には回り込んで砂浜を目指す理由がない。この展開はあたし達には都合が良いはずよ。おかしく感じるのは追いつけないということだけ。自分を疑ってはいけないわ」


 学院の卒業生の圧倒的多数は軍幹部としての将来を迎えることとなる。いわば指導者として期待されているわけで、その将来を見据えるのなら――心は強く。


「向こうの寮まで追い詰めて各個撃破よ。こっちの寮の事は心配しなくて良いんだし」


 コウハの言葉に、リリーアンはギュッと唇を噛み締めた。


「わかったわ。どうにも戦えないのでイライラしていたみたい」


 ソーレイトというよりはゴールディア出身者のようなその物言いに、コウハはクスリと笑った。


「あなたらしいわ」


 男子代表は相変わらず、フラフラと目の前を後退してゆく。

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