第22話 大人達の黄昏

 それを巡り合わせというのならば、確かにそれは“最悪の”巡り合わせだった。


 女子代表が「テクイ・マーシャ」の外に出た瞬間、そこには汗と泥と、ついでに血にまみれた男子代表の姿があったからである。


 闘技場で熱が入りすぎ、そこにシュウガが乗り込んだので、観客席で逃げ回っていたジルダンテ達はともかく、他の連中は到底そのまま店に行くことが出来ない有様となり、いったん寮に戻るところだったのだ。


 つまり女子達は実に獣性たっぷりの男子の姿を目撃したことになる。

 そういう意味では同情すべき点もあるかも知れないが、目撃者の情報をまとめると先に手を出す、というか口を出したのは女子だったようだ。


「臭い」

「汚い」

「寄るな、触るな」


 致命的な発言だったのが、


「昨日、私達に負けたクセに遊んでるなんて随分余裕ね」


 発言者の有力候補は、言うまでもなくセツミである。

 ムカを筆頭に、必ず殺すと書いて“必殺”の眼差しで女子達を睨みつけた。


 それに動揺したミクリアが後ずさりして転ける。

 はっきりと状況がわかっているのはそこまでだ。


 どうやらその段階で、他の男子が乱入してきたらしい。ムカ達が女子に因縁を付けていると勘違いした連中が、義憤を発揮したというわけだ。

 ここまでの経緯を辿れば男子代表は被害者という解釈も成り立つだろう。


 だが、殴っても問題のない――少なくとも女子を殴るよりは――獲物が目の前に現れたことによって、行き所のない怒りを抱えていた男子代表はそこで暴発した。

 模擬戦という、イェスイが表現するところの“ごっこ”に携わることで、知らず知らずのうちに暴力的な欲求不満を抱えていたことも原因だろう。


 あっという間に大乱闘になり、クルラーテの坂道は夕陽と血で真っ赤に染まった。

 普通の軍隊なら、間違いなく軍警察の出番である。国によっては近衛兵などがその任に当たることもあるが、ヘルデライバにはそんなものはいない。


 教師や職員も学生達の暴動の制圧に乗り出すことはない。それでいて、今まで壊滅的な騒動に発展しなかったのは、学生達にある程度の節度があったことと、もう一つ強力な理由があった。


「――ええかげんにせんと、おもうさんに言いつけるえ」


 砂色の学院の制服の上から、夜空と見紛うほどの黒絹の長衣を引っかけ、長い髪を後ろでひっつめた痩せぎすの優男。

 この日の騒動も、その一言で収束した。


 優男の名前はグロウパー。学院内での立場を言うなら男子寮「冬」の寮長。

 どうやら娼館からの帰りらしく、かなり服装も乱れていたが、その言葉に生徒のおおよそ三分の一が動きを止めた。


 喧嘩というものは相手に戦意が無くなれば成立しない。

 そのために結果として事態が収束したという次第である。


 それもそのはずでグロウパーの学外での立場は、ソーレイトの皇族、それも父親が今上帝という紛れもない皇子様なのだ。


 学内では母国の身分を持ち出すことは原則として禁止されているため、陛下とか、あるいは父上と呼ぶべきところを「おもうさん」とくだけた表現にしているところが、グロウパーなりの恫喝だろう。


 こんな風に、男子寮の各寮長は故郷でも有力者の師弟が務めることが慣例となっている。


「にしても、えらいやらかしたなぁ。原因はなんなん……と聞いても今までわかった試しはなし」


 グローパーはちょいちょいと手近にいた、寮生を呼んで、


「すまんけど、セキミツとクアンも呼んできてくれんか。ウチ一人じゃ手に余るよってな」


 そう言ったグローパーの視線の先には、並み居る男子生徒を叩きのめし続けていた、ムカやチャガの姿があった。その周囲には死屍累々と積み重なる、血まみれの男子生徒達。


 もはや何をどう言い繕っても“被害者”とは主張できない有様だ。


「君ら、謹慎は覚悟せなあかんで。模擬戦中でも関係あらへんからな」


 厳格な為政者の血を引く最上級生は、そう宣言し、結果的に女子代表は砦を作るための時間を獲得することとなった。


                 *


 クルラーテでの騒動があった翌日――


 ヘルデライバは雨だった。


 気候的には島国であるヤオナ寄りで、比較的雨が多い。そのために離れ小島でありながら、飲み水にもそれほど困ることが無く、だからこそ海賊のアジトとして機能していたというわけだ。


 今日の雨は「篠突く」という表現に相応しく、かなり激しいもので窓から見える外の風景、その何もかもを水墨画の世界へと沈めている。


 窓――ここはヘルデライバ学院の学長室。窓の外の風景を沈痛な表情で眺めているのは部屋の主である学長のフェイネルだ。


 学長室も校舎の一階にありそれほど他の部屋と差別化が図られているわけではないが、さすがに調度品には上等なものが多い。

 厳選したミズナラで制作された机に本棚。金箔をふんだんに使った屏風。それに革製の大きな長椅子と各国の一級品が取り揃えられていた。


 そして壁には、学院創設者がゴールディアの黄金血統の血を引くことの証として、青と白で構成された二色旗が掲げられている。


 ということはつまり、創設者ジャーチの息子であるフェイネルも黄金血統に連なるものであるのだが、ゴールディアを席巻した祖父の面影はほとんど残っていない。


 茶色の髪を綺麗に撫でつけた、少し神経質そうな面差しは確かに有能そうであり、実際学院の運営においては過不足無い手腕を発揮しているが、英雄と讃えられた祖父や、三国一の曲者と恐れられた父の威名に比べれば一歩も二歩も譲ってしまう。


 そんな自分の資質に一番劣等感を感じているのもまたフェイネル自身であるので、ますますこぢんまりと人間が出来上がってしまうという悪循環が形成されていた。


「で、なんの用なんだい?」


 外の風景を眺めたまま動こうとしないフェイネルに、声がかけられた。

 購買部の責任者、コレアキである。


 長椅子に今にも寝そべりそうなだらしない姿勢で腰掛けているところをみると、コレアキの意に沿わぬ呼び出しであるようだ。


「昨日の騒動は聞いているな?」

「騒動? ――ああ、あの程度のこと」

「男子の三分の一が謹慎処分で寮から出られないんだぞ」


「それを決めたのも生徒だろ。自由に振る舞いつつも自浄能力も失っていない。実に学院の理念を体現してるじゃないか。喜ばしいことだ」

「そ、それはそうだが、だからといって軽く見てどうする? 街の方にも被害は出てるんだぞ」


「あの街は、ウチの学生が居なくちゃ成り立たないんだ。あれぐらいで動揺するぐらいなら店を畳んで島を出て行けばいいのさ。あ、あの店だけは別な。お菓子売ってる店。ムネチカさんに頼んでおいたからあの店だけは被害がなかったはずだ。ま、そのせいで中に逃げ込んだ女子が火付け役だって言うのに、なんのお咎めもないわけなんだが」

「何?」


 初めて聞かされた事件の真相に驚いたのか、それとも自分以上の情報を握っているコレアキに嫉妬めいたものを感じたのか、フェイネルの顔が歪んだ。


「では、そもそも処分の仕方が間違っているんじゃないか。女子にも謹慎を――」

「それで生徒の自治にケチを付けると? 悪しき先例って奴だな。それに謹慎食らってるやつらは、絶対に一方的な被害者ってわけじゃないぜ」


「だが彼らは模擬戦の最中だろう? 一方を処分しておいて片方を処分しないとなると、不公平じゃないか? 原因は女子にあるんだろう?」

「おや? 学長は女子に勝って貰いたいものばかりだと思っていたが」


 おちゃらけたその言葉に、とうとうフェイネルは視線をコレアキへと向けた。


「当たり前だ! なんだあの破廉恥な水着は! この学院は各国の選良を預かっていると自負して居るんだぞ! その選良にあんな格好をさせるなどと……」

「だから決まってないだろ。女子が勝てば良くて、事実、女子は勝ちそうだ」

「僅かでも、可能性があることがすでに問題なのだ!」

「じゃあ今回の処分はそれで良いじゃないか、あんたの言い分が通ったら、それこそ可能性を広げることになるぞ」


 その言葉でついに堪忍袋の緒が切れたのか、フェイネルは胸ぐらを掴みそうなほどの勢いでコレアキに詰め寄った。


「そもそも、お前があんなものを仕入れてこなければ、事態はこれほどややこしくはならなかったんだ! 少しは自分のやったことを自覚したらどうだ!」

「わかってるさ。これはジャーチさんの意志だよ」


 突然出された父親の名前に、フェイネルは怯む。


「確かにお前の学院経営の手腕は大したもんだ。俺には真似できないよ。でもそれじゃジャーチさんの理想は達成できない。学院が整理されすぎてもダメなんだ」

「…………」


 フェイネルが一瞬だけ天を仰ぎ、そのままドサリとコレアキの隣に腰を下ろした。


「ジャーチさんは掛け値無しの天才だった。ゴールディアに末子相続の風習がなければゴールディアの主として一番相応しいのはあの人だったんだよ。そんな人の意志を一人で受け継ぐのは、到底無理な話だ。だから二人なんだ」


 労るように話しかけるコレアキ。


「考えてもみろ。俺に学院運営が出来ると思うか?」

「無理だ」

「即答しやがったなこの野郎。でもお前にだって俺の真似は無理だろ。真面目一本が取り柄のお前に、混乱を生み出すことは、生理的に無理だ」

「…………」


 限りない絶望に襲われたかのように、フェイネルは両手で顔を覆った。


「安心しろって。いまのところ実に上手くいってるよ。交流の無かった学生達の間でもつながりが出来つつある。それをはみ出さないようにするのがお前の使命だ。最初から苦労する役回りなんだよ、お前は」

「…………勝手なことを……」


 手と手の隙間から怨嗟の声が漏れだしてくるが、もはやコレアキはそれ以上言葉を書けるつもりはないようだ。ただ、ポンポンとフェイネルの肩を叩く。


「……コレアキ……」

「んだよ」

「いい加減身を固めろ」


 思いも寄らぬ反撃にコレアキは目を丸くて、


「ケッ」


 と悪態をつくことでそれに応えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る