第32話 あるいは三巨頭の可能性

 「割烹ナダマ」でこのような会合が成されたその日の模擬戦は、ほとんど予定調和で終わった。ヤオナ組が続けて砲撃を仕掛け、女子が修理する。ゴールディア組が誘うような動きを見せつけるが女子はそれに乗ってこず、イェスイ、シュウガ共に出番は無し。


 違う点があるとすれば、シュウガが熱心に広場を観察していたということぐらいだろう。


 よほど集中していたらしく、ウルツの呼びかけにも答えないほどで、時折響くウルツの大声だけが戦場のメリハリにはなっていたが、言ってしまえばそれだけのことだった。


 当番であるコチとディーデルチ。そしてハクオンも戦力判定機の出番がないために、暇をもてあまして、それぞれの他の仕事をその場で始める始末である。


 その弛緩しきった雰囲気に、見物を決め込んでいた生徒達もいつしかその場を離れ、後四刻を迎える頃には、代表者以外は姿も見えないという状態にまで陥ってしまった。


 ――そして残るは最終日のみ。


                 *


 いつものごとく講義をさぼっていたシュウガは、間もなく後無刻を迎えようという時刻、校舎内をフラフラと彷徨っていた。

 ただいつも通りではなかったのは、講義をさぼっていた理由だ。


 面倒だから何となく――ではなくて、目的があって騎兵科の講義をさぼっている。

 だが、その目的を果たすための相手がなかなか見つからない。

 そのために上から下へと彷徨っているのだが、まったく影も形もないのである。


 戦略戦術科主任教師、ハクオンの姿が。


「まいったな、何処にいるんだ?」


 とわかりやすい独り言を言いながら、三階から二階へと階段を降りていると、そこに知っている相手を見つけた。

 残念ながらハクオンではなかったが、シュウガにとってはなかなかに嬉しい相手だった。


「お、イェスイ!」

「あ、シュウガさん」


 ようやくのことで名前は覚えたらしい。


「どうした講義中だぞ」


 自分のことを高い高い棚の上に押し上げて、先輩らしくシュウガが注意すると、


「あ、あの、私この時間は講義を取って無くて。シュウガさんは?」

「俺はハクオン先生を捜してるんだけど、何処にもいないんだよ」


 するとイェスイは小首を傾げて、


「……戦史保存書庫じゃないんですか?」

「そんなの何処にあるんだ?」

「あ、あの戦略講義室の上です」


 シュウガはそれを聞いて眉を潜めた。


「……行き方がわからないぞ」

「戦略講義室から梯子を使って行くんです」


 だが、それではシュウガは納得できなかったらしい。ますます不可解だと言わんばかりに首を傾げるのを見たイェスイは、


「あの……案内しましょうか?」

「うん。頼む」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、勢い込んで頷くシュウガの態度に、イェスイは僅かばかりに笑みをこぼすと、戦略講義室に向かった。


 特に他に話題もないので、無言で並んで歩いている内にすぐに着いてしまった。戦略講義室は二階にあるのだ。


 今は講義がないので生徒達もおらず無人かと思いきや、この教室には大きな指揮卓があるので、地図を広げて机上の模擬戦を行うにはここに集まるのが一番簡単だ。

 こんな風に空いた時間には研究熱心な生徒達が集まっては、論議を戦わせるのが慣例となっている。


 もちろんそんな生徒達であるので、男女対抗の模擬戦の成り行きも、イェスイの天才も理解している。同行者のシュウガがいささか意外ではあったが、イェスイの登場自体には、それほど慌てなかった。


 だが続く行動には度肝を抜かれた。


 脚立を取り出すと、天井の扉――そういう物がある――の下にそれを設置したからだ。


「ま、待て、イェスイ君。ハクオン先生の邪魔をする気か」


 と、恐怖の予感に打ち震えながら、ゴールディア出身者らしい男子生徒が声をかける。

 それを聞いて、イェスイは脚立に掛けていた足を止めてしまう。


「構うこたぁねぇ! 生徒が質問しに来てんだぞ! 答えるのが教師の義務だろうが!!」


 いきなりシュウガが吠えた。


 その声と言葉に居合わせた生徒達は震え上がるが、事態は意外な展開を見せた。


「……驚くべき事に理屈は合ってるな」


 天井の扉から煙管をくわえたままのハクオンが顔を出したのである。


「で、質問があるのはどっちなんだ?」


 シュウガが勢いよく手を挙げると、ハクオンは溜息と煙を同時に吐き出した。


                 *


 その部屋には窓がない。

 書物には光が大敵であるため、戦史文献の保管庫として設計されたこの部屋には、元から窓というものがないのだ。


 そこに灯りと火種代わりの行灯を持ち込んで、ハクオンが日々整理をしているという具合である。一日の大半をこの部屋で過ごすハクオンにとっては、ほとんど私室と変わらない認識だ。


 その証拠に、鉄瓶に急須。さらにはお茶請けまでを持ち込んで、かなりくつろいだ雰囲気が行灯の薄明かりの下でも確認できる。

 そしてその薄明かりは、周囲の驚くべき光景をも照らし出していた。


 天井近くまで積み上げられた書物の山などまだマシな方で、その天井近くには、まるで蜘蛛の巣のように広げられた巻物が張り巡らされている。そうかと思えば生々しく戦いの様子が描かれた屏風もあり、片隅には何かの記録らしい文字が刀で刻まれた木片まである。


「まぁ、こんな風な部屋だから、滅多に人は入れないんだけどな。お前達は少々変わってるし……」


 言い訳じみた言葉を口にしながら、ハクオンは定位置らしい座椅子に腰を下ろす。


「で、質問って何だ?」

「男子が勝つ方法を教えてくれ」

「あ?」


 余りにも直球な質問に、さすがのハクオンも度肝を抜かれた。しばらくは声も出なかったが、やがて表情を歪めると、


「そんなこと答えられるわけねぇだろ。片方に肩入れしたら、俺は解雇だぞ」

「いや、待ってくれ。言葉が足りなかった」

「お前が足りないものは言葉の他にもたくさんあるがな」


 そんなハクオンの嫌味も通じないようで、シュウガは少しの逡巡の後に、


「これだ――俺に戦略を教えてくれ!」


 瞬間――


 ずるり、とハクオンの藍色の着流しが肩からずり落ちる。そんなハクオンを見て、イェスイは無邪気に喜んで拍手までしていた。


「お、お前なぁ。俺の講義に出てただろうが! 何にも聞いてないのか!」

「だって馬鹿らしくて」

「あ?」

「だってよ。戦いってのは、そもそも敵の方が多いものだろ。俺の知ってる戦いはみんなそうだった。だから馬鹿らしくて聞いてられねぇ」


 痛烈な言葉だった。

 ハクオンには実戦経験はない。


 シュウガの訴えはハクオンの言葉を、机上の空論だと切って捨てたも同然なのである。

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