第25話 幼さよ、幼きものよ
ヘンラックの“病気”の原因は今、湯船に浮かんでいる。
それと逃げ回るイェスイの姿を見比べながら、リリーアンは首を捻った。
女子寮にはもちろん専用の浴場があるが、実のところ「湯につかる」という入浴方法はソーレイトだけのものだ。ヤオナでは湯に入ることもあるが一般的な“入浴”とは蒸し風呂に入ったあとに冷水で身体を流すというのものであるし、ゴールディアではそもそも湯に入る風習がない。基本は水浴びである。
ゴールディア出身者は、まずこの学院で採用されている入浴方法に慣れなければならないのだ。中には“煮られる”と勘違いして恐慌状態に陥るものもいるが、同じ部族の先輩がその風習を受け入れているのを見たり、自分で経験すると概ね「入浴」を受け入れる。
だが、中にはとことんまで「入浴」に馴染まないものもいた。
イェスイもその一人だ。
いつもはミクリアの言いつけをよく守る良い子なのだが、入浴時だけは別だ。特に今日は雨の中作業したので身体も冷えているというのに、湯船に入ろうとしない。
ミクリアと、どういうわけか追っ手に加わっているセツミの手をも振り切って、天井にまで駆け上がりそうな勢いで、飛び跳ねている。
すらりと伸びた手足。起伏の乏しい身体。一見すると少年のようにしか見えない。
「……どうなの?」
リリーアンはもう一度首を捻った。
「あのシュウガ君についてね」
背を預けるようにして、足を伸ばしながらコウハが応じる。
さすがに広さでは三寮共同の男子の浴場に及ばないが、もともと女子は数が少ない。寮生で時間を調節して入れば、かなり余裕をもって入ることが出来た。
「結局、ずっとイェスイだったわね」
「……そうね」
「絶対おかしいわよね。どう考えても、イェスイよりはコウハさんでしょ」
「あたしとしては、あなたの体型が理想なんだけど」
その言葉にリリーアンは照れた笑みを見せる。
だが、その表情はすぐに曇ることとなった。
「でも結局、私でもないわけじゃない」
「そうね。イェスイだわ」
そこで二人揃って、逃げ回るイェスイを見る。
「――確かに可愛いとは思うけど、なんて言うか女性的な魅力には乏しいわけよね」
口火を切ったのはリリーアンだった。コウハとしても同意したいところだが、そこには矛盾がある。
「でも、あたし達が自分を見てくれないからと言って、シュウガ君を非難するというなら、それは違うと思うの」
「そこまでは言ってないわ。ただ変わっているな、というだけの話よ」
だが、リリーアンはそれ以上言葉を繋げることが出来なかった。
結局はリリーアンにしても矛盾にぶつかってしまう。
自分達に水着を着させる――つまり自分達にイヤらしい目を向けてくる男子に憤りを感じているからこその、本気の模擬戦だ。
それが今日は、自分達に関心を示さなかったからといって怒ってしまっては、戦いの意義を自分達で根本から否定してしまう。
だがそれは――
「――シュウガって子は私達をどうしたいのかしら」
という疑問にも繋がる。
裸にするという、水着にさせるというだけでは収まらない、色々な垣根を跳び越えた宣言をした相手でもあるのだ。
「もしかして、ただ裸が見たいだけ?」
自分で首を捻りながらリリーアンが呟くように口にすると、コウハもそれに応じて、
「小さな子供が単純に喜ぶようなアレよね」
と答えた。雨の中ほとんど同じ結論にコウハも達していたからだ。
「そうそう。そこから先をどうしたらいいのかわかってないけど、とにかく裸を喜ぶみたいな感じ」
「そこから先……」
つまり、あんな事やこんな事だ。
シュウガが例えそうでも、他の男子達からはそういう目で見られているということを、改めて思い出した二人の表情が曇る。
それにシュウガがそんな子供じみた欲望しか持ち合わせていなかったとしても、大人しく水着になってやれるほど親切になる理由もない。
「とにかく、ここまで来ればあとは時間を潰していくだけよ。砦を築けたおかげで大砲が設置できて、広場が丸々射程距離に入ったわけだし」
「それもまた、イェスイのおかげね」
リリーアンの仕切り直しの言葉に、コウハもごく自然に応じる。
男子の欲望について長々と議論する理由はないのだ。
イェスイのおかげというのは、取りあえず大砲を設置できる土台だけ作ってしまえば、他はあとから作っても間に合うだろうという、建設手順の変更についてだ。
まず砦を完成させなくては、と焦る二人に引きずられることなく、イェスイはその場の要点を確実に押さえている。
まずは男子に行動の自由を与えないこと。
その戦略目的をイェスイは決して忘れない。
「あれだけの天才なのに、ゴールディアじゃあ報われないわね」
リリーアンが寂しそうに呟く。
ゴールディアでは他の二国に比べて女性の地位が並外れて低い。女性の軍事指導者というのはゴールディアではまず実現不可能だろう。
イェスイに限らずゴールディアからこの学院にやってくる女生徒は、遊牧生活の中で足手まといになると判断された者達ばかりだ。
ゴールディアが成立する前なら、どんなに小さな労力でも人手として数えられていただろう。だが国としての安定が逆に、イェスイのような小さき者に関しては長所よりは欠点を浮き彫りにさせてしまう結果となった。
あるいは保護者がいれば、この学院に送り込まれることもなかったかもしれない。だが実際、学院は孤児を送り込んでおけば成人するまでは育ててくれる。
ゴールディアにとっては、学院は態のいい託児所であった。
だから、このまま北の草原にイェスイを返してしまえば、それこそ草の中にあの才能を埋没させてしまうことになりかねない。
「ソーレイトには、喜ばしいことでしょうに」
「ヤオナにもね」
軽く嫌味の応酬。
いくら仲が良いとはいえ、譲れない一線はある。
それに期待もあった。イェスイほどの才能を示すことが出来たのなら、ゴールディアの女性の地位向上に繋がるかも知れない。そうすれば、それぞれの国に気心の知れた仲間がいることになる。
男共が始める馬鹿な戦争も減らせるかも知れない。
そんな希望を抱いてしまいそうにもなる。
浴場を飛び跳ねて逃げ回るイェスイを見ていると、そんな未来も目減りしていくのを感じるが――
「――コウハさん」
「ん?」
さすがにのぼせたのか、コウハが湯船から身体半分だけ出して、溜息半分に返事をする。
「あのシュウガって言うのは、ヤオナでも恐れられているって話だったわよね」
「え? ああ? 寮長の話ね」
コウハがボーッとしたまま応じる。そして、半身を湯船から出したことで幾分か熱が冷めたのか、そのままこう付け足した。
「確かに、あの俊敏な動きだと大人でもそうはついていけないでしょうね」
「そこよ」
リリーアンが顎まで湯に浸かりながら、そこに反応する。
「どこ?」
「だっていくら俊敏だったり力が強かったりしても、そんなに怖い? ましてやその何とか州の人達は皆、優秀な戦士なのよね」
「そうだけど……」
どうにもリリーアンの話の終着点が見えないコウハは戸惑うばかりだ。
「で、女王様に一番近い州」
その確認にも頷くしかない。
「その女王様は幾つ?」
「え? 十二才……」
その時、あの雨の中の黒い閃きが再びコウハの脳裏に蘇った。
先ほどの質問からすると、リリーアンもその可能性に気付いていたのだろう。
「……時々いるって話よ」
「……私はわりと多いとも聞いたわ」
つまりリリーアンやコウハのような女性らしい身体に反応するのではなく、むしろあまり成熟していない少女を好むという嗜好が存在しているということだ。
シュウガがそういう嗜好の持ち主だったとすると、イェスイに執着する理由も、セイメイ州の戦士がシュウガを怖がる理由も、説明できなくもないのだ。
二人の脳裏に、イェスイを毒牙にかけるシュウガの姿が浮かんでくる。
「絶対勝つよ、コウハさん!」
「ええ!」
二人は拳を突き出して、戦う意志を再確認した。
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