第26話 大砲は見据える
その翌日も男子は謹慎だ。
雨も上がったこの日、女子はその間に砦に大砲を設置する作業を行おうとしている。もちろんイェスイの言うところの“ごっこ”であったが、フェステンの計算によると広場の端から端まで射程に収める大砲である。
「これが基本計算式です。当日の湿度風向きによる変動値はこちら。砲兵と騎兵の有利不利は最初に決められているらしく、手出しできないのが残念ですが」
女子の作業を見守りながら、昨日に引き続き模擬戦担当のフェステンが今日の相棒であるディーテルチにバサバサと資料を渡す。
「お主、肝心の砲撃戦の時には担当ではないのか」
さすがに辟易しながらディーデルチが混ぜっ返すと、フェステンは目を反らしながら、
「私の担当は今日で終わりです」
と答える。するとディーテルチは片方しかない目を歪めた。
「ハクオンとは思えぬ手抜かりじゃな」
「……屈辱的だが、ハクオンに頼み込んだんです」
その告白に、思わずディーテルチが黙り込んだ。
そして二人の教師の前をリリーアンとコウハがゆっくりゆっくりと歩いている。フェステンが、大砲の大きさに見合った移動速度を要求したからだ。これも本来なら、規則にはなかった対応なのだが、生徒達が知るはずもない。
男子で唯一動けるシュウガにしてみれば、まさに狙い目の状況であったが、今はイェスイが直衛で大砲――というかリリーアンとコウハを守っているので、お互いに決め手に欠き膠着状態である。
端から見ていると、シュウガとイェスイがじゃれ合っているようにしか見えない。
今日も一応、模擬戦の見物に来た他の生徒もいたが、大半はさすがに関心も持てないらしく、足早に学食に向かうか、戦いの場を無視して談笑に耽る光景の方が多く見られた。
「なんでまた、そんな事態に陥ったんだ?」
たっぷりと間を置いて、心底不思議そうにディーテルチが尋ねると、フェステンは薄い唇をキュッと噛み締めて、
「妻に……娘達の面倒を見るように言われて……」
「何だ、里帰りか?」
「国元には妻の友人がおりまして……私の稼ぎが少ない頃にひとかたならぬ世話になっており……」
「わかったわかった」
血を吐くようなフェステンの訴えに、ディーデルチは慌ててそれを押しとどめた。
なるほど犬猿の仲のハクオンに頼み込みもするはずである。
「まぁ、以前ほど計算が面倒なわけでもないしな。あの機械に任せればいいわけだから、苦労するのはオークル先生の方だろう」
「昨日は使う機会がありませんでしたが、あの機械は私の計算にどれほどこたえてくれるのでしょう? 何しろ今まで模擬戦で大砲が使われたことがありませんでしたので、そこが不安ではあります」
その言葉にディーデルチは曖昧な笑みを浮かべて、フェステンの肩をポンと叩く。
「……同僚は信じよう。本来なら砲撃戦が始まればお主の当番が大幅に増えていたんだ。それがこうしてある程度自由に出来るのも、あの機械のおかげだしな」
絶対にフェステンの細かな計算には対応できないだろうと察しながらも、ディーデルチはそれを胸の奥に閉まって、フェステンをなだめすかす。
「まあ……そうですね」
よほど妻の言いつけに背くのが怖いのか、フェステンもすぐに妥協した。実のところフェステンは妥協してくれた方が付き合いやすいので、夫人による専制は内助の功と言えなくもない。
「フェステン先生! 着きました!」
リリーアンの明るい声が響く。その声に広場中の生徒が反応した。全員がリリーアンに注目している事を確認して、フェステンは重々しく告げた。
「よろしい。では広場は全面的にその大砲の射程範囲に収まった。よって代表者ではない生徒の広場への立ち入りを後四刻まで禁止とする。理由は視界の確保のため」
「へ?」
とリリーアンは素っ頓狂な声を上げたが、恐慌状態に陥ったのは他の生徒達の方だ。
「そ、そんな無茶な……それじゃ学食にだって行けないですよ!」
「そうですよ。広場通らないと、何処に行くにも不便すぎる!」
と、もっとな声が上がったが、
「この模擬戦は学院が認めている正式なものだ。生徒の事情を斟酌する謂われはない――とハクオン先生なら言うだろうな」
フェステンがそう切り返すと、その場にいた生徒全員が黙り込んだ。
今までもハクオンは生徒の都合などお構いなしに単位を切りまくっている凶悪犯だ。フェステンの言葉には十分な裏付けがあるわけだ。
結果、蜘蛛の子を散らすようにして生徒達は広場から退出していく。
いつもは生徒がひしめいていて見通しの悪いこの広場が、端から端まで見えている現状はなかなか壮観だ。昨日のような天気の悪い日だと、確かに生徒もいなくなるが見通しも悪い。
「何というか空虚な光景だな――それにしても、ハクオンへの意趣返しか?」
フェステンがもたらした光景を、片眼を細めて堪能しながらディーデルチが尋ねると、フェステンがそれに答える前に、
「シュウガ君に――」
とリリーアンから声が上がる。
もちろん、女子としてはチョロチョロしているシュウガを狙わない道理はない。
だが、道理が通り過ぎているだけにさすがにシュウガにも女子の意図は理解できたようだ。
自分の名前が出た瞬間に、イェスイとのじゃれ合いを打ち切って、一目散に男子寮へと退散した。例の目にも止まらぬ速度でだ。
「こう……」
リリーアンの声が空しく風に舞った。
「射程外だ。それとも砦を打って出るか?」
フェステンが無機質な声で聞き返す。無論、大砲といえども男子寮は射程外――というよりは遮蔽物があって狙えないということになる。
「無理ですよ。追いつけません」
コウハが諦めと共にそう答えると、自由になったイェスイがさらにこう付け加えた。
「それに、もしかしたら男子に囲まれるかも知れないし」
「え? 向こうはシュウガ君しかいないでしょ」
とリリーアンが意外そうな声を出すが、イェスイは逆に不思議そうに首を傾げて、
「誰か確かめたの?」
と無邪気な声で聞き返してきた。
その問いかけにゾッとなるリリーアンとコウハ。
確かに誰が謹慎になったのか、女子寮では誰も確かめていない。ただ昨日からシュウガしか出てこないから「シュウガだけが謹慎じゃないんだ」と、勝手に納得していただけである。
もしシュウガを追って男子寮前まで誘い込まれれば、包囲される可能性も無いとは言い切れない。今度はイェスイという隠し球がない分、男子もかさにかかって攻めてくるだろう。
そんなイェスイの指摘に、先輩二人のみならずディーデルチも片眼を丸くしていると、
「意趣返しだけではありません」
と随分前の問いかけにフェステンが答える。
「ん? ああ、だがこの顛末の矛先はハクオンにも向くぞ」
「“だけ”ではないと言いました」
そう言ってフェステンはシュウガの消えた方向を見つめる。正確には斜め上、といったところだろうか。ディーデルチがその視線を追うと、その先には男子寮から広場を見下ろす人影。
草原で鍛えられたディーデルチの隻眼は、そこにウルツの悔しそうな表情を見つけた。
「人がいなくなれば、状況も把握しやすいでしょう。どうやら生徒達の謹慎の判断には公平さを欠くものがあったようですし」
そこでフェステンは女生徒達を一睨み。
首を縮めて、その視線をやり過ごすリリーアンとコウハ。イェスイはフェステンの嫌味が通じていないのか、男子寮の方を輝きに満ちた目で見つめている。シュウガがもう一度出てこないかと、期待しているのかも知れない。
「しかしな。俺にはそんな心遣いがあっても、男子に勝ち目があるようには思えんのだがな」
「私は不公平さを是正しただけです。男子を勝たせようとは思っていません」
「それで是正になるかな?」
なおもディーデルチが食い下がると、フェステンは微妙の表情を歪めて、
「……恐らくは、この状況をひっくり返せる男がいます」
その発言にギョッとなる、リリーアンとコウハ。
二人にしてみれば、ほとんどこの模擬戦には勝ったつもりなのだ。戦場の一番高いところに砦を築き、完璧な戦略的優位を獲得している。
自分達が男子側に回ったと仮定して、戦略を練ってみてもどこにも光は見えない。
「安心しろ。その男は男子代表ではない。それに男子の味方ではない」
フェステンはそこで珍しく笑みを浮かべた。
「――ただ単に生徒全員の敵と言うだけの話だ」
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