第四章 暗闇に学ぶ
第28話 学院に人無きが若し
その日は学院全体に異様な雰囲気が立ち込めていた。
男子の謹慎が解けて、模擬戦が再開されるため校舎に殺気が充ち満ちている――などという抽象的な話ではない。
まず、根本的に学生の数が足りていない。
他は緩くても、単位の取得条件だけは厳しいこの学院で、わざわざ講義をさぼろうというのだから、それだけでもかなりの異常事態だ。
そして、生徒数の不足は昼休憩を過ぎるとますます目立つようになった。
さらに午後の講義を終わるときまで校舎内に留まった生徒達は、三階にある操船科の講堂に集合を始める。そのために二階から下はほとんど無人になってしまい、やけに足音が響く校舎の中を、戦史保管庫から降りてきたハクオンは煙管を燻らせながら歩いていた。
一人の男をまとわりつかせたままで。
「とにかくこの馬鹿な処置をすぐに取りやめるんだ」
男の名はイインといい、学食「リダーダッグ」の料理長であり責任者だ。油染みの付いた調理服を着た、五十がらみの小太りの男で、釣り上がった小さな目が、昔ながらのソーレイト人の特徴を色濃く残している。
そんな外見に合わせてのことか、本人もいたって古風な人間で厨房から出てくることはほとんど無く、そんな男が校舎内にいるということ自体が、確かに今日の異常さを端的に表していた。
「馬鹿な処置とやらの見当がつきません。具体的にお願いしたい」
目も合わさずに、ハクオンがそう応じるとイインは、
「決まっている! 広場への立ち入り制限だ。あれのおかげで学食には朝からたむろして出ていかない生徒ばかり、そして昨日は後四刻まで誰も来なかった」
「生徒達も学習しているということです。学業よりも食事を優先させる姿勢には首を傾げざるを得ませんが」
「お前は、煙草の煙を食って生きてるんだろうよ!」
とイインが喚いたところで、二人は一階に下りる。
「ともかく、広場を自由に使えるようにするんだ。お前が言い出したことらしいじゃないか!」
それについては完全に濡れ衣だったが、ハクオンとしてはそれを脱ぐつもりもない。
フェステンの嫌がらせだとわかっていても、その処置には頷ける部分があったからだ。
だからその理屈をそのままイインに返す。
「ここは生徒達に食事を与える場所じゃない。軍事技術を教える場所だ。だから模擬戦の事情は他の何よりも優先される」
「だからといって、広場の立ち入り禁止はやり過ぎだ!」
「それを決めるのはイインさんじゃない」
煙管の先を、イインに突きつけるハクオン。するとそれに合わせたかのように、後二刻を告げる鐘が鳴った。
「本来ならこれでイインさんも広場には立ち入り禁止だが、学食に戻ることだけは特別に認めます。それが俺の出来る最大限の譲歩です」
校舎の扉を開けるハクオン。
「あなたも学校の職員なら、融通を利かせてください。自分の思い通りにならないからと文句を並べるだけなら、ウチの生徒にも劣る」
その言葉にイインはグッと言葉に詰まり、結局は何も言い返せずに、広場の中程に位置する自分の城に戻っていった。
そしてその途中で、女子達が立てこもる架空の城と交錯する。
その光景を見て、ハクオンは蔑みの笑みを見せた。
*
すでに模擬戦は始まっている。
だが広場に見えるのは、女子代表の三人だけだ。そのまま視線を巡らせれば、男子代表九人が寮の壁にへばりついて、じわじわと展開を始めている。
そのままハクオンが何となく空を見上げてみれば、今日はなかなかの洗濯日和ではあるようだ。だが、吐き出した煙草の煙がすぐに細切れになって消えていく様子を見ると、風はかなりある。
日が沈む頃には雨になる、というコチの予報はまたも的中しそうだ。
「ハクオン先生!」
今日の当番、オークルから声がかけられた。もう一人の当番はその予報をしたコチである。ハクオンは本来なら当番ではないが、女子が大砲を持ち出したために、その微調整が必要で恐らくは模擬戦終結まで出張る必要がある。
オークルが声をかけたのも、恐らくはそのことについての打ち合わせに違いない――そんなふうに壁に張り付いた男子のほとんどが解釈した中で、ただ一人ウルツだけが異を唱えた。
「違うはずです。それならハクオン先生が出てくる理由がない。多分女子からある申し出が出て、それを許して良いものかどうか、判断を仰いでいるのだと思います」
「申し出というのは?」
当然の成り行きでヘンラックが尋ねる。いちいちもったいを付けるのが、軍師志望者の悪い癖だ。
「大砲の照準をある地点に決めておく。男子がそこに侵入したら、自動的に迎撃。そんなところでしょう」
そういった矢先、遠目にもハクオンが頷くのが見えた。
「あいつは拒否することがないのか!?」
忌々しげにチャガが毒づくが、それは男子相手にも同じ事。
「それである地点とは?」
「砦と、女子寮とをつなぐ補給線」
チャガの言葉を無視してヘンラックがさらに尋ねると、ウルツもチャガに負けず劣らずの忌々しげな声で返事をした。
「補給線――そんなものが、この模擬戦であるか?」
「ハクオン先生の性格を考えると『景気よくぶっ放していたが、弾が無限にあるわけ無いだろ。少しは考えろ』……と、こうなりそうだと思いませんか?」
その言葉に男子全員が黙り込む。
経験則で考えると実にありそうな話だ。
「それを女子が気付くか?」
「ムカさん。向こうにはあらゆる意味で、我々の数段上を行く天才がいます。こちらの思いつくことは、向こうも思いつくと考えた方が良い」
ウルツは顔を歪めながら、こう付け足した。
「ようやくのことで、僕たちは敵の戦力分析を終えたと言うことです」
「それは結構だが、その天才に勝つ見込みはあるのかな?」
そんなウルツにオゴアが冷めた言葉を投げかけた。だがウルツにしてみれば、その言葉は予測済みの問いかけだったのだろう。
「天才が負けた例は戦史にいくらでもあります。悲観するには及びません。要は天才を発揮させないように戦えば済む話です」
簡単に言い切るウルツ。
その言葉の裏には、浴場で練りに練った作戦という裏付けがある。無為無策でこの場に来ているのではない、という事実が何よりも男子の士気を衰えさせない。
オゴアの指摘も、改めてそれを確認することで士気の底上げを狙ってのものだろう。
「よし! じゃあ頑張って突っ込むぞ。イェスイが出てきたら、俺に任せろ。びっちり張り付いて、よそには行かせないからな!」
確かにイェスイが、先日の調子で暴れ回ると作戦も何もなく、それを抑えるにはシュウガに頑張って貰うしかない。
いや、シュウガがいるからこそ男子は作戦行動に専念できると言える。
そう考えるとシュウガの言葉は頼もしいと感じるべきなのだが――
男子全員の表情に苦いものが浮かぶ。
戦略戦術以前に、人として最悪の手段を選択したかのような。
そんな一抹の不安がよぎってしまう。
「では行こうか」
そしてヘンラックの落ち着いた声を合図に、男子が広場に散った。
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