目標は海!
司弐紘
序章 宵闇に浮かぶ
第1話 開戦前夜
陽は水平線の向こうに沈んでから数時間が経過している。
もう後四刻も近いだろう。幼年学校の生徒達はベッドに追いやられている時間帯だ。窓から見える景色もすっかりと闇の中に沈んでいる。
「決まった?」
窓際に腰掛けて広場を見下ろしていた五年次生のリリーアンに、ベッドに腰を降ろした六年次生のコウハが声をかける。リリーアンは振り返ることもなく、怨嗟のこもった声でこう告げた。
「最悪の相手だわ」
ここはヘルデライバ軍事学院女子寮「春」の三階、十二号室。
部屋の主はソーレイト帝国出身のリリーアンとミクリア。女子寮は男子寮と違って出身国別に分かれているわけではないが、部屋割りは同郷者と同じことになることがほとんどだ。
だからヤオナ八州出身のコウハがこの部屋にいることが、おかしいと言えばおかしいのだが女子寮ではままあることでもある。コウハの他にもミクリアにベッタリとくっついて、教科書を読んでいるゴールディア出身のイェスイがいた。
リリーアンと同じく五年次生のミクリアを慕って、二つ下の三年次生イェスイはこの部屋に入り浸っていた。
「あの連中ね」
ヤオナ出身者の女性らしく、長い黒髪を結い上げたコウハがゆっくりとした口調で確認する。もちろん今は学院の制服ではなくて、ヤオナの独特の前あわせの寝間着姿だ。
ヤオナの小さな小島発祥の縞模様があしらわれており、そのゆったりした衣服の上からでも、彼女の豊かな身体の線は隠しようもない。
「げ、こっち見てる」
それでも視線を逸らさずに、逆に下を睨みつけながらリリーアンがもう一度呟く。
肩口でざっくりと黒髪を切りそろえたリリーアンもまた、白い綿製の寝間着姿だ。
すっぽりと頭から被るタイプの寝間着で身体の線は綺麗に隠れているが、すっきりした顎の線から引き締まった身体を保持してるであろうことは想像に難くない。意志の強そうな光を放つ黒い瞳が、煌々と輝いている。
「戦いになるの?」
イェスイをあやすようにしながら、ミクリアが不安そうな声を出す。こちらは対照的なふくよかな頬が、同じようにすっぽりとした寝間着を着ているのに、リリーアンのそれとはまったく印象を異なったものとしていた。
「戦い?」
ミクリアに抱きついたままのイェスイが不思議そうに尋ねてくる。イェスイはゴールディア出身らしく、毛織物の寝間着姿だ。この部屋の中では一番の年下で、まだ随分と幼さを残した容姿のために寝間着も随分とぶかぶかである。金色の長い髪を三つ編みに結っており、好奇心に満ちた青い瞳がミクリアを見上げていた。
「そう。今年は戦いになるわ」
その二人に答えるようにして、リリーアンがやっとの事で室内に顔を向けた。
「今までは、なぁなぁで済ませてきたけど。今度負けたらただじゃすまない」
その言葉に、コウハがギュッと唇を噛み締める。
「それはリリーアンが選ばれるの?」
ミクリアが尋ねた“選ばれる”というのは、男子寮代表組との戦いにおいて、女子寮代表組の一員として選ばれるのか? ということである。
ミクリアは友人がその戦いに巻き込まれることを心配しているようだが、当人であるリリーアンはむしろ受けて立つ構えだった。
「最上級生は出られない決まりだし、士気から言っても私でしょ。で、コウハさんも決まりね」
そうやって先輩の名前を挙げたところで、十二号室の扉がノックもなしに開けられた。
「コウハさん!」
言うまでもないが、それが許される作法など三国の何処にもない。
「セツミ、アンタいい加減にしなさいよ」
言葉を遮られた形となったリリーアンが、うんざりしたように侵入者に呼びかけた。
そこには絹地に金糸で花鳥風月が刺繍された、とてつもなく豪奢な前あわせの寝間着を着た少女の姿。コウハと同じくヤオナ出身のセツミである。リリーアンの一つ下の四年次生なのだが――
「コウハさん。どうしてこんな人の部屋に来るんですか?」
先輩であり、部屋の主でもあるリリーアンを完全に無視して同郷のコウハしか目に入っていない。
「ここに来れば、広場を見下ろせるもの」
「ここじゃなくたって……」
「リリーアンは私の友達よ。それに男子寮の代表組が誰かもわかるし」
「決まったんですか!?」
途端、セツミがリリーアンを押しのけるようにして窓際に詰め寄る。そんなセツミの傍若無人な振る舞いには慣れているリリーアンは少し身をよじるだけで、文句も言わない。
「セツミ、いい加減にしなさい」
そんなセツミをたしなめながら、コウハも窓際に近付いてくる。結果三人揃って、改めて窓から下の広場を覗き込むことになった。
下の広場――本校舎の前、男子寮三棟と女子寮一棟に挟まれた石畳の広場のことなのだが、特に定められた名称はない。学生達の間では“広場”で話がすんでしまうし、学院側も特に名称を定めたいわけではなさそうだ。
ソーレイトの宮殿にあっても似つかわしい、様々な色の化粧石があしらわれた石畳は、なかなかに豪華な作りなのだが、主な観覧者が学生達というのでは宝の持ち腐れだ。
広場には学食と五年次生以上だけが入ること出来る酒保があり、学生達の交流の場所でもある
そして、もう間もなくここは“戦場”になるのだ。
酒保「海燕」から漏れているやわらかな洋燈の灯り。広場全体が闇の中に沈む中、その一角だけが切り取られたように明るい。
その灯りの中に、三つの人影。
一際背の高い立ち姿は、ソーレイト出身の六年次生、ヘンラック。
その傍らに佇む栗色の髪を三つ編みにした小柄な影は、ゴールディア出身のウルツ。
そして撥ね放題の髪を無造作に束ねた野性味溢れる姿は、ヤオナ出身のシュウガ。
全員が学院指定の運動着姿であるというのに遠目からでも、その特徴を見間違えることがなく個性的だ。そしてその個性的な集団――出身国さえバラバラな――はある一つの目的で結びついていた。
その目的こそが女子生徒を敵に回した原因にして、今度の戦いが“本物”になってしまった理由でもある。
*
それは古い古い昔の記録――
大陸の南に位置する、もっとも古き国ソーレイト帝国。
大陸の北方、草原に興ったゴールディア。
その大陸の東の海に浮かぶヤオナ八州。
奇妙なバランスの元にお互いを牽制し合う、この三国の中心にその島はあった。
名をヘルデライバ。
そして、その島には学院がある。
三国が牽制し合っている間に、本当に“いつの間にか”出来上がってしまったこの学院の名は、ヘルデライバ軍事学院。
最先端の軍事技術を教えるこの学院の卒業者は、それぞれの国に帰還を果たした後、いずれもが並々ならぬ力量を見せた。
そのために各国とも、容易に無視することも、容易に潰すことも出来なくなり、結果この学院には三国の若者達が集まることとなったのである。
だが集まった若者達は、それぞれの国の大人達ほどに深刻に物事を捉えるには、未来を信じ過ぎていた。
――それはそんな若者達の物語。
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