第一章 南方より来たる

第2話 男の病気は治らない


 本校舎の一階北西部分。ここには教職員の控え室や学院を運営する事務局など、生徒達には縁遠い施設が集中している一角だ。


 ここに「アデレベバ・ヒュイ・シキナ」がある。


 小難しい名前が付いているが、要は学用品などを扱う購買部だ。店名は古い言葉で「皆で仲良く」というありきたりな標語のような意味を持っているらしいのだが、生徒達の間では「購買」としか呼ばれていない。


 運営責任者はコレアキというヤオナ風の名前を持ちながら、一見ソーレイト人のような風貌の男である。三十絡みの男で、無精髭をびっしりと生やしているために野暮ったいが顔の造作は悪くなく、学院に数少ない女生徒からの評判も悪くはない。


 三国のどこにも属していない謂わば“ヘルデライバ人”というような風貌。それが、独特な雰囲気を醸し出しているのだろう。コレアキの人気の高さを手伝っている。


 その購買部に新たな商品が加わったのは、春も終わりに近付き、海を渡ってくる潮風にも粘りつくような香りが漂いはじめた頃だった。

 男子寮代表が決定する、一週間ほど前の事でもある。


「先生! これは何だ?」

「俺は先生じゃないというのに」


 その新商品に最初に気付いたのはシュウガだった。

 講義が行われている時間帯にフラフラと購買に訪れたのである。


 ヤオナでもセイメイ州出身のシュウガは、ヘルデライバ学院でも珍しい存在だ。

 しなやかな筋肉を全身に纏い、それでいて引き締まった抜き身の刀のような体躯の持ち主で、実技には抜群の成績を示す。

 だが、軍事技術を学ぶことが中心のこの学院では優秀な生徒とは言えないだろう。


 癖の強い髪を後頭部でひとまとめにするだけという、ヤオナでも野放図な部類に入る髪型をしており、砂色の堅実な意匠の制服との調和のなさは特筆に値していた。


「いや、これは凄いよ。やっぱりアンタは先生だ」


 と、シュウガがその商品に見とれていると、次に購買に訪れたのはソーレイト出身のヘンラックだった。ソーレイト貴族出身らしい気品はあるが目立たない容貌の持ち主で、とにかく背だけは高い。ソーレイト人の特徴である黒髪を短く刈り込み、ある意味無個性な学院の制服を一番上手く着こなしていた。


 性格も穏やかで学院内でも人望が厚いが、実は彼には重大な病気がある。

 そして、その商品は彼の病気を強く刺激したのだ。


「ヘンラックさん?」


 を見つめたまま動かなくなったヘンラックを心配して、シュウガが声をかけるが全くの無反応だ。


「先生……」

「新商品を気に入ってくれたようで何よりだ」

「でもよぉ、ヘンラックさんがこれを買ったって仕方がないわけだろ」

「当たり前だ。気持ちの悪いことを言うな」

「んん? でも、それだと結局無駄な商品にならないか?」

「良いところに気付いた。実は――」


 と、コレアキが説明しようとしたところでウルツが姿を現した。


 ゴールディア出身の彼は他の二国の出身者とは違い、見た目から明確な違いがある。栗色の髪にそれと同じ色の瞳。そして長く伸ばした髪を三つ編みに編み込んでいるのも出身国ゴールディアの特徴だ。


 だがウルツ自身がゴールディアの特徴を示しているのは、そこまでだった。騎馬民族らしい頑強さも、草原の民らしい背の高さもウルツは獲得してはいなかった。


 だからこそ、ウルツはこの学院の中でも修学に最も熱心な生徒の一人であり、もちろん成績も優秀だ。単位も上級生に匹敵するほどに取得しているが、それだけに同郷の生徒からも他国の生徒からも浮き上がっている。


 購買に顔を出したのも、それが原因だろう。


「――コレアキさん! だめだ、これはダメだ!」


 を見るなり、ウルツは大声を上げた。その商品の正確な意図を瞬時に見抜いたのは流石と言うべきだが、続いて発せられた言葉はまったくいただけなかった。明らかに心とは反対の言葉を口にしている。


 特にシュウガにとって、その回りくどさに辟易してた部分もあるのだろう。

 ひどく直接的にウルツに苦言を呈する。


「ウルツ。俺はお前のそういうところが気にくわないよ。お前ほど頭がよければ、これがあればどれほど凄いことになるのか、わかるだろう?」


 お互いに学院からどこか浮いた存在であるシュウガとウルツは知己の間柄だ。そこに友情はなくとも、お互いの趣味がわかるほどには交流はある。


「シュウガさん。僕は知性を最上のものとしている。そして知性溢れるものは、そういうものを赤裸々に喜んだりはしないものだ」

「結局、嬉しいんじゃないか。見ろ、ヘンラックさんを」


 学院から浮いている二人の面倒を見ている内に、すっかりうち解けてしまったヘンラック。そうやってこの三人は行動を共にすることが多くなったのだが、今回ばかりはヘンラックが完全に浮いていた。


 シュウガとウルツがジッと彼の姿を見つめても微動だにしない。


「……キフウさん、だろうなぁ」


 学内酒保「海燕」の女主人の名前を出すシュウガ。


「コウハさんでは?」


 と、ある一定の基準を元にウルツが反論する。だが、次の瞬間にはウルツが首をぶんぶんと横に振る。


「……じゃない! そもそも、そんなことを気にしても仕方がないんですよ。ここに物があっても、それを活用する術がないでしょう?」

「――やっと同じところにたどり着いてくれたか。実はこれを使う方法がある」


 待ちかまえていた――と言うか手をこまねいて待ち構えていたコレアキが会話に加わってきた。


「方法?」

「今はなぁなぁになっている、砂浜の使用権を賭けた戦いがあるだろう」


 ヘルデライバは周りを海に囲まれた島ではあるが、泳ぐのに適した砂浜は女子寮の背後にある、僅かばかりの部分しかない。男子生徒が夏に泳ごうと思うなら女子寮――ひいては女子の許可が必要になるのだ。


 そこで昔からの伝統で男子寮と女子寮の間で模擬戦が行われ、男子寮が勝利を収めた場合のみ砂浜が使用できるという“伝統”が出来上がっていた。

 軍事学校らしい――と言えるのかもしれないが、女生徒も鬼ではないので毎年適当に闘って、男子に勝ちを譲ることも“伝統”になっている。


「そんなの僕たちが泳げるようになるだけでしょ」

「戦いの規則を、もう一度確認した方が良いぜ。俺はそれがあるから、これを開発したんだぞ」

「開発って……先生が作ったのか?」

「そうとも。ただ参考にした民族衣装があってな」

「そ、それは、この姿で生活している民族があるということですか?」


 ヘンラックが世界に戻ってきた――より刺激的な情報を耳にして。


「ああ。ヤオナのキュウナ州。そのもっと南の小島の衣装だよ」


 そこでコレアキは歯を見せて笑うと、ヘンラックとシュウガの肩を叩きながら、こう告げた。


「その島の名はビキニという」


 胸と腰を僅かに隠すばかりの女性用の水着。


 後に島の名前を取って“ビキニ”と名付けられるその水着を巡って、ヘルデライバ学院は熱い戦いに巻き込まれることになるのである。

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