第40話 刹那の夏に

「ああ――」


 と、ハクオンが溜息と共に肩を降ろす。


 難しく考えることはなかったのだ。

 ただ単に説得のための道具を揃えただけ。当たり前すぎる話ではないか。


 だが、その話を素直に受け入れられない者がいた。


「貴様~~~! どんな理由があって、そんな数の水着を仕入れてたんだ!?」


 今まで落ち着いた知識人、というような皮を被っていたフェイネルの態度が豹変していた。その勢いのままコレアキの襟元を締め上げている。


「ま、ま、待て! 話せばわかる。離せばわかるから!」


 コレアキが必死になってそう訴えることで、フェイネルは取りあえず落ち着きを取り戻したようだ。コレアキの襟元から手を離し、


「何か理由があるのか?」


 と皮を被り直して尋ねる。


「――売れたからに決まってるだろ。買うのは男ばっかりだけどバカ売れもバカ売れ。もう笑いが止まんねぇって話グェッ」


 わざわざ墓穴を深く掘り返したコレアキに、フェイネルが当然の処置を施した。


 そのまま「誰に売ったのか、キリキリ教えろ」「顧客情報は……守る」「学院の風紀が……」と口喧嘩を繰り広げる、腐れ縁の友人を、教師陣は生暖かい気持と共に放置することにして、ディーデルチに続きを求める。


「いやそこから先は、本当に大した話しじゃない。広げられた水着をイェスイがえらく気に入って、そこからそれを持って女子寮の他の女子にそれを着てみろと要求したりと、なかなかの阿鼻叫喚だった」


「イェスイには、あの格好への抵抗がないんですか?」


 同じ女性として信じられないのか、オークルが思わず声を潜めて尋ねるが、ディーデルチは肩をすくめ、


「俺にもよくわからんよ。ただ単にイェスイはあの水着を可愛い物、綺麗な物だと思っていて、それを身につけることが嬉しいのかも知れないな。首飾りやかんざしみたいなのと同じ感覚なのかも知れん。今思い返してみれば――の話しだがな」


 と肩をすくめた。


「その後は、シュウガの渾身の策が俺の動きから女子にばれないように、そこで待機することにしたというわけだ――何だか馬鹿らしくなって動くのもイヤになった、ということでも、もちろんあるぞ」

「――シュウガはイェスイが嫌がらないということを何処で見抜いたのだろうか?」


 フェステンが呟いたその言葉に、


「いや、あれは何処でとかそういうことではなく、シュウガは感じたんでしょう。アイツは理屈を解しません」


 そこでハクオンはフッと笑みを見せた。


「もしかしたら本当の天才はアイツなのかも知れません」


 ハクオンのその言葉に、全員が――喧嘩をしていたフェイネルとコレアキまでが手を止めて――目を丸くしてハクオンを見つめる。


 いや、ただ一人の例外がいた。

 その例外に向けて、ハクオンはこう尋ねた。


「今日の天気は? コチ先生」

「上々だ」


 いつも通りの短い返答には、今日の天気の他にもう一つに意味があるように……

 ハクオンは感じることが出来た。


                 *


 その勝利の立役者二人は、波打ち際をほとんど犬のように転げ回っていた。

 眩しい日差しが二人の跳ね上げる水しぶきに反射して、キラキラと輝いている。

 そんな中、イェスイは日差しに負けないほどに眩しい笑顔を見せていた。


 イェスイが身につけているのは真っ赤な水着。


 それも大量のふりふりが付属しており、胸の部分ではメリハリのないイェスイの曲線を随分と助け、下半身に至ってはふりふりが多すぎて、極端に短い袴をはいているように見えなくもない。

 イェスイの金色の髪と青い瞳によく似合う、これ以上ない選択と言えるだろう。


「――私もイェスイみたいな可愛いのが良かった。シュウガ君、こういうところでもなかなかやるわね」


 イェスイの水着を選んだのはシュウガなのである。


 その事情を知る二人――リリーアンとコウハは、砂浜の上に二人並んで腰を下ろしていた。あの恥ずかしい二人に混ざって水遊びする気分にはどうにもなれない。

 自然と二人の姿を目でおうことしかやることが無くなり、そのままイェスイの水着についての品評会となった。


「それにしても、本当に可愛いのを選んだわね」


 コウハが、何処か安心したかのような口調と共に、リリーアンの評価に同意した。

 シュウガが、かつて危惧されたかのような嗜好の持ち主なら、もっと露出の際どい物を選びそうである。


 だから、一応その疑いは二人の中では晴れていた。


 しかしそうなると、シュウガは純粋に二人よりもイェスイが可愛いと思って注目していたことになり――それはそれで複雑なものがあるのだが、そこは考えないことにする二人。


「あなたのもそんなに悪くないわよ。ウルツ君の言ってた水着ってこれのことなの?」


 コウハがリリーアンの水着の品評に移った。


「そうみたい。確かに悪くはないと思うけど……もっといやらしいのを選んでるのかと思って警戒してたんだけどね――どうして男子に好きな水着を着せることが出来るって規則はないのかしら」


 ちなみに男子の方の水着は、ただの膝丈の袴である。

 誰もそんなところに労力を使おうとは思わなかったらしく、全員が見事に同じ柄。


「それにしても、コウハさんのは凄いね――ヘンラックさんの趣味?」

「違うわよ! イェスイに押し切られたの! あの時、私が直接負けたのはイェスイでしょ。だから……」


「でも、ヘンラックさんの趣味でもあるわよね」

「……そこは否定しない。これで砂浜が全員に解放されている状態だったら、あたしきっと泣いていたと思うわ」


 そのまま膝を抱えてうずくまるコウハ。

 あはは、と力なく笑うしかないイェスイ。


 今日は勝者の特権として、本来の男子代表組にのみ砂浜が開放されている。もっとも、女子寮からは砂浜が見下ろせるので、少し視線を上に向ければ血走った目のセツミなども見ることが出来るだろうが、リリーアンは敢えてそちらを見ないことにした。


「おーい! 戻ってきたぞ!」


 シュウガの声が聞こえる。


 その声に反応して、そちらに視線を向けると遠泳に出ていたヘンラックとウルツが肩で息をしながら、海から這い上がってくるところだった。

 そのまま二人は砂浜に仰向けで寝転がる。


 血の気の多いウルツに、リリーアンが遠泳を命じ、ゴールディア出身のウルツ一人では心許ないということで、コウハがヘンラックにそれを追うように命じた結果である。


 少し前屈みになって命じると、二人は一言も文句を言わず、遙か先に見える岩場まで一直線に泳ぎだした。


 ――何だか男の哀れさを垣間見た二人である。


「ようよう、せっかく広く使えるんだから、一緒に遊ぼうぜ!」

「遊ぶって何をして?」


 リリーアンが取りあえず返事をする。


「えーーっと、そうだな……」


 そこで考え込むシュウガ。その横ではイェスイがちょこんと立ちつくしている。


「そうだ、かくれんぼにしよう!」


 あまりにも馬鹿な提案に、リリーアンが即座に突っ込んだ。


「この砂浜で何処に隠れるって言うのよ?」

「いっぱいあるだろ! 砂の中とか、水の中とか」


 その答えに瞳を輝かせたのはイェスイただ一人きりだった。

 未だ砂浜に転がったままのウルツが濡れた髪を振り乱して、シュウガの足首を掴む。


「死ぬ……死んでしまうから…………シュウガさん」

「いや、そんな簡単には死なないから」


 主張を曲げないシュウガの足首を今度はヘンラックが掴んだ。


「えーーー、いいじゃねぇか、かくれんぼ。絶対面白いって」


 駄々をこねるシュウガに、イェスイまでもが同調気味だ。


「……本当に、子供だわ」


 その様子を見ていたコウハが呆れたように呟く。


「でも……良いじゃない! この学院にいるウチは子供でも!」


 リリーアンは立ち上がる。そしてその手をコウハへと伸ばす。コウハはその手を素直に掴む。そして立ち上がる。そして笑ってこう答えた。


「それも……そうね」

「それに放っておくと本当に二人とも死んじゃいそうだわ」


 と二人がシュウガの元へと駆けだしたところで、何が励みになったのか――いや、わかりすぎる気もするが――ヘンラック、ウルツ共にバネ仕掛けの人形のように立ち上がった。 遠泳ぐらいでは血の気は抜けなかったらしい。


「まったく呆れたスケベね。もっとも――私達はそれに負けたのかも知れないけど」


 リリーアンが蠱惑的な笑みを浮かべる。

 その微笑みはウルツにとっては、水着姿以上の戦いの報酬だった。


「そうね。それに結局は戦いの間はちゃんとしていたわけだし」


 コウハも微笑む。ヘンラックもその笑顔に見とれて、停止したりはしない。


「かくれんぼしないのか?」


 シュウガが空気を読まずにそんなことを訴えるが、今度ばかりはリリーアンにそれ以上の策があった。


「まったくバカね。私達が遊ぶとなったら“戦う”以外の何があるのよ!」

「え~~~!?」

「イェスイも決着付けたいでしょ?」


 今度こそは間違えない。

 イェスイの望みには確かにそれもあるはずだ。


「うん、そうだね! あの日の続きをしよう!」


 元気一杯に答えるイェスイに、ついにシュウガも折れた。


「よしじゃあ、今晩の飯を賭けて勝負すっか! ヘンラックさん、ウルツ頼んだぞ」

「お前もな」

「委細承知!」


 男子代表がそれに乗る。


「今度は負けないわよ!」

「結局は水着に見とれるかも知れないし」

「私はいつでも大丈夫!」


 女子代表がそれを受けて立つ。


 ――ヘルデライバ島の夏は今年も暑くなりそうだ。

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