第18話 一瞬の閃きと草原での夢

 完全にシュウガ有利の条件が整っているというのに、イェスイに与えた損害は僅かに十。


 これはイェスイの成績が飛び抜けて優秀だという事の他に、シュウガの成績が飛び抜けて酷い、ということでもあるのだろう。


 取り巻いている生徒達まで含めて、その場の全員の顔が引きつる。


 だが、そんな中、一人イェスイだけが表情を輝かせていた。

 右足を軸にしてくるんと回転して、シュウガへの戦闘を宣言しようとする。

 が、すでにそこにシュウガは居ない。


「えっと、イェスイだったよな。お前なかなかやるな」


 再び、小柄な身体の背後に回り込んだシュウガが上から評価する。


「コチ先生、戦いだ」


 再びの戦闘宣言。もちろん結果は同じだ。イェスイに十の損害。


 だが、今度は全員がそこに希望を見た。


 このままシュウガが圧倒的な身体能力を駆使して、イェスイの背後に回り続けるなら、一方的に損害を与え続けることが出来る――かもしれない。


「これはダメ!!」


 イェスイが突然叫び、今度は振り返ることなく一直線に走り出した。

 その方向にはコウハとリリーアン、そして女子寮がある。


 自分の不利を悟ったイェスイは、先ほどのシュウガと同じように撤退の判断を下したのだ。一瞬、その背中を追いかけそうになったシュウガだったが、その先にコウハとリリーアンが居るのを見て諦めた。


 一対一ならともかく相手が複数では、元々劣っているシュウガの戦力ではすり潰されるだけだろう。

 かといって再びヘンラック達を呼び戻せば、イェスイが一瞬で撃破してしまう。


 ほんの一瞬――


 イェスイが首だけをシュウガへと向ける。

 シュウガはそれに答えて歯を見せて笑い、イェスイもまた嬉しそうに頷いた。


 そして、女子達は脇目もふらずに自らの寮に撤退していく。


「かーー! 手強いな!!」


 結果として一人戦場に残ったシュウガは、大きな夕陽を背景にカラカラと女子を褒め称える。それは潔いと言うよりも、状況を理解できていない馬鹿そのものの姿だった。


 入念に準備した作戦を打ち砕かれ、さらにはイェスイという大きな障害の出現。

 男子寮に退避して生き残った者。イェスイに蹴散らされた者。そして自分の部屋から戦場を見下ろしていた者。


 男子達の心にどうしようもない敗北感が去来する。


 ガラガラガラ……


 そんな中、コチがハクオンへと近付いていく。すでに今日の戦闘の終結は悟っているのだろう。どこにも慌てた様子はない。


「騙したな」


 コチが短く、それだけを告げた。


「イェスイがこっちに来るかどうかは、確定してませんよ」


 視線をあらぬ方向にそらせながら、ハクオンがそう応じる。

 するとコチはさらに言葉を重ねた。


「お前がそう読み取ったのなら、それが確定だろう――もっとも」


 コチが珍しく笑みを浮かべる。


「お前にこの広場を往復できる体力があるとは思えんが」

「まぁ、そういうことですね」


 イェスイの天性からして、女子寮でそのまま待機という消極策に出ないことはわかっていた。だからコチを今日の担当に選び、体力仕事を任せたのだ。


 イェスイの天才までをも読み切ったハクオン。

 だが、今日の戦場で一つだけハクオンにも予想外の出来事があった。


 今も状況を理解できずに笑い続ける一人の生徒。

 思わずハクオンが独りごちる。


「……シュウガか。あの一瞬は確かに誰よりも状況を理解していたはずなんだがな」


 今ではただの馬鹿だ。そしてそれは日頃の成績にも現れている。


「時々、こちらの思惑をまったく裏切る生徒が現れる。お前のように」


 コチがそういうと、ハクオンは首をぐるんと捻る。

 その言葉の意味がわからないはずもない。


「あいつが?」

「戦術は全然ダメだ」


 コチの短い言葉は言外にこう告げていた。


 戦略には見るべきものがあるかも知れない。

 そして戦略とは積み重ねではなく、一瞬の閃きが全てを決するときがある。


 ――それが誰あろうハクオンの持論だ。


 だとすれば、シュウガこそハクオンの持論を体現する存在なのかも知れない。

 ハクオンはコチの言葉をそこまで読み取り、クスリと微笑んだ。

          

 戦いで損害を受けたといっても、所詮は模擬戦のこと。

 完全に男子の策にはまったという屈辱から立ち直れば、むしろ矜恃を傷つけられた事実は克己心となって心の炎を燃やす。


 だが、それも生き残ったからこそだ。


「よく来てくれたわ、イェスイ」


 小走りに女子寮へと向かいながら、コウハがイェスイに声をかける。


 本来は女子寮の拠点防衛の役割をイェスイには割り振っていた。無論、それを放棄したことを責めるコウハとリリーアンではない。


 事実、イェスイが駆けつけなければ、自分対は男子の包囲の前に沈み、悪くすればあの裸同然の姿を、男子の前に曝すことになっていたのかも知れないのだ。


「本当に助かったわ、イェスイ。ミクリアかセツミに指示されたの?」


 イェスイの成績のことは知っていても、なにしろ積極性には欠けると思っていたリリーアンは、そこが素直に不思議だったらしい。


 するとイェスイは小首を傾げ、


「遊兵は作るべからず、でしょ?」


 と不思議そうに逆に尋ねてきた。


 確かに戦略でも戦術でも基本中の基本だ。


「……イェスイは確かに優等生ね」


 結論はそこになる。あの出たがり屋のセツミがイェスイを代表にすると決まったときに、文句の一つも言わなかったのは、この年少の少女がとびきり優秀であることを認めざるを得なかったからだ。


「よし、今日の食費は私とコウハさんで出すから、ミクリアにごちそう作ってもらおう」


 イェスイの金色の髪をくしゃくしゃとしながらリリーアンがそう言うと、傍らのコウハが溜息をつきながら、


「……そういう時は“私が腕によりをかける”って言うものよ」

「私がよりをかけたら、食べ物になるかは賭けになるわよ」

「それもそうね」

「否定してよ」

「あははははははははは」


 イェスイの明るい笑い声が響く。

 それにつられて、コウハとリリーアンも笑った。


 イェスイは幸せだった。


 見渡す限りの大草原で、誰にも相手にされず一人きりで居た故郷の風景。


 それに比べて今は面白いことをどんどん教えてくれる人達が居て、そんな自分を気持ち悪がらずに優しく接してくれる仲間達が居る。

 イェスイはここが天国だと信じていた。


 そんなイェスイの胸中をハクオンが知ればきっと、こう評することだろう。


 ――お前はなにも知らない。


 と。

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