第9話 「冬」の参謀府

 男子寮チームの参謀府は「冬」棟内に部屋にある。


 男子寮たるの三棟は、学院の敷地内の南東に寄り添うようにして建てられていた。その背後には学院の水源である険しい山。野生動物も生息しており生徒達の立ち入りは堅く禁じられている。


 もっとも男子からしてみれば「頼まれたって入るものか」というぐらい、殺伐とした雰囲気の山地なのである。


 女子寮の背後に陽光眩しい砂浜が広がっていることを考えると、叛乱が起きてもおかしくない落差だ。だがこの落差こそが女子の同情心を起こさせて、砂浜使用権を賭けての模擬戦が形式上のものとなった原因とも言えるだろう。


 参謀府の設立場所としては、三つの寮の中間地点にる浴場という案もあったが、あまりに非現実的なので、ジルダンテとナブレッドの部屋が接収された。


 基本的にこの学院に通う者は各国の選良であるので、もちろん寮の部屋もお粗末なものではない。二段ベッドではあるが、担当職員が敷布をキチンと交換してくれるし、机もそれぞれに専用の物が用意されている。

 書架も用意されているし、もちろん衣装棚もある。それに火気のある物と生き物を除けば私物の持ち込みも比較的自由だ。


「情報戦は成果無しか」


 ただ、広さだけはどうしようもならない。


 参謀に任命されたソーレイトの三人に加えて、チャガにヘンラックにウルツが揃うと、かなり手狭だ。車座に座るとほとんど隙間がない。


「最高で全員の能力値、次に女子の能力値、最悪で女子の代表者、と段階を決めて情報収集を計画していましたが、ここまで成果はありません」


 チャガの確認を受けて、ジルダンテが報告がてら、さらにくどく情報をまとめた。

 馬乳酒を持ち込んだチャガへの意趣返しもあるのかも知れない。さすがに酒精の持ち込みは堂々とは許可されてはいないのだ。


「計算方式も知りたいんですが……」

「そちらこそ秘中の秘だ」


 ウルツの言葉に、こんどはキュータイクが答える。この狭いところでジルダンテやナブレッドと並ぶことで、ようやく見分け方がわかってきた。


 ジルダンテを標準とするなら、キュータイクは若干吊り目気味だ。それに髪が比較的綺麗に切りそろえられている。

 さらにナブレッドはゴールディアの血を引いているのか、髪も瞳も色素が若干薄めで、それに目も垂れ気味である。

 だが、どれも並べなければわからないような僅かな誤差ではあるが。


「ここ数年、まともに闘ってないのが痛いんですよ。築城の能力値がどう作用するのか。闘う場所による有利不利はあるのか。知りたいことはたくさんあるのに情報が少なすぎる」


 ウルツの愚痴じみた言葉に、チャガが馬乳酒をあおりながら反応する。


「闘う場所って、広場だろ?」

「あの色分けされた化粧石が気になりますね。それに広場には噴水もある」


 同郷の先輩の言葉にウルツが鋭く返すと、ジルダンテ達が力強く頷いた。


「ウルツくん、さすがだ。ゴールディアにも兵法家が育ちつつあるんだな」


 ナブレッドがそう言うと、チャガの方が何故か胸を張った。それを見て残りの参謀が密かにほくそ笑む。


「では、それはあるものとして戦術を研究するのがこの場合の次善の策では?」


 ヘンラックがまとめにかかるが、ジルダンテが指を立ててそれを遮った。


「いや、自分達の正確な戦力把握は可能だと思う」

「どうやって?」

「我々がお互いに戦いあって、兵力を測るんだ。同時に地形効果も確認できる」


 ウルツがポンと手を叩き、ヘンラックが首を捻る。


「そんなこと出来るのか?」

「出来ないと決めつけるのは、自ら戦略戦術の幅を狭めることになりますよ。基本中の基本です」


 実際に疑問を口にした、チャガにジルダンテが答えた。


「だけど待って下さい。それならもう十分に情報は取れているでしょう。あなた方は実際に闘ってきたんだ」


 ヘンラック達が横槍を入れなければ、ジルダンテ達は最終的な勝者だったのだ。その勝利の鍵が綿密な情報収集にあるだろうことは疑いの余地はない。でなければ、あれほど見事にチャガ達とムカ達を鉢合わせさせることは出来なかっただろう。


 ウルツのそんな指摘はもっともではあったが、


「確実じゃない」


 キュータイクがその言葉を遮る。


「我々は情報の収集に失敗している」


 ナブレッドがダメを押した。


「君が提案した参謀府が、導き出した結論だ。それに回復度合いを知りたいという理由もある」

「回復?」


 模擬戦は講義が終わる後二刻から、後四刻までの短期間で行われる。一度の会戦で勝負が付かない場合は、模擬戦は一週間継続され、それでも決着が付かない場合は女子の勝ちだ。


 一日の単位で考えると、後四刻を迎えて決着が付かない場合は、それぞれの代表者は寮に引き上げて回復することになる。その回復にも差があるとすると、完全勝利が目的の男子チームには最重要項目と考えるべきだ。


「男子と女子で差は……?」

「普通では無いと考えるのが妥当だろうな。でないと調べる意味がない。だが……」

「参謀府が設立可能な以上、救護部隊の設立も可能かも知れませんね」


 ヘンラックとジルダンテのやりとりに、ウルツが穿ったことを言う。


「それが可能だとするとそれを創設するか? 女子に気取られれば、厄介なことになりそうだが」


 それに反応したキュータイクが、採るべき道と、それによって引き起こされる不具合を具体化してあげる。


 すると一同は黙り込んでしまった。

 この場で判断するにも情報量が足りなすぎる。


「その、お互いが闘って戦力を測るという案が採用なら、救護部隊も採用ということでいいだろう――いや、そもそも設立できるかどうかがはっきりしてないのか」


 年長者らしく、チャガがまとめるようとするが、今ひとつ締まらない。


「――それならば、戦力を測ることも救護部隊の設立が可能かどうかを確かめてからで良いでしょう。それに我々が常に先行していると考えるのも油断です。女子の方で独自に救護部隊の設立を考える可能性もある」


 ヘンラックがそれをまとめつつ、さらに問題提起をする。


「基本を疎かにするべきではない。今、手元にある情報からでも、出来ることはあるはずだ……と考えます」


 ヘンラックの言葉が、参謀府に緊張をもたらした。


「……では、その“今できること”をやってみましょう」


 ウルツが静かに口を開いた。そしてジルダンテの方を向いて、


「ジルダンテさん、何か書くものを貸してくれませんか」


 と切り出した。その言葉にジルダンテは元より、キュータイクとナブレッドまでもが微妙な表情を浮かべた。ウルツは首を捻るが、そこはさすがに学生生活の長いチャガが気付いて、


「ヘンラック、お前の実家余裕があるんだろ。紙代と墨代ぐらい出してやれ。こいつら勉強に全部使ってるんだよ」


 その言葉に、ハッとなるヘンラック。


「――そうか。気付かなかった。前の戦いでも結構使ったんだな」

「施しは……」

「施しじゃない。僕の実家はソーレイトの門閥だ。国を支える人材に投資するのは義務を通り越して本能だよ。だから今は紙を用意して欲しい」


 限りなく上からの物言いだったが、その分ジルダンテ達も気を遣わずにすんだようだ。結局はナブレッドが立ち上がって、自分の机から紐でとじた帳面と羽ペンを差し込んだ墨壷を車座の中心に差し出した。


「ほとんど使っているから、裏返して使ってくれ」

「ありがとうございます」


 ウルツはそれを受け取ると、羽ペンを引き抜いて帳面にガリガリと何かを書き始める。

 文字が書かれると予想していた一同はそこで、ウルツの能力の一端を垣間見る事となった。


 描き出されているのは、何処かで見た風景。

 そして新鮮な視点。

 戦場となるべき広場が、そこに再現されつつあった。もちろん化粧石による色分けも、それぞれに模様を付けることで表現されている。


「お、お前、全部覚えてるのか?」

「……チャガさん。僕はゴールディア人としてはひ弱に生まれついてしまった。だから僕は軍学を学ぶことについては容赦しない」


 言いながら本校舎の前にある噴水を描き、学食と酒保が占める敷地を校門寄りに描いて、ウルツの地図――まさしくそれは地図だった――は完成した。


 全員がそれに感心している間に、ウルツはさらに自分の地図の一点に人差し指を置いた。


「注目すべきはここです」


 男子寮前の広場。そこには一つの色で色分けされた化粧石が細く並べられていた。


「道か?」


 チャガが単純な連想をそのまま口にした。


「そうですね。僕は山あいの細い道を想像しました」


 ウルツがそれを肯定すると、ジルダンテから声が上がった。


「待て。それは現実的ではない。実際には、その化粧石に従う義務はないんだ」


 確かにそれはジルダンテの言うとおりであろう。


 相手――この場合、女子――が同じ想像をしたとしても、いざ戦いの時にその想像に従う義理も義務もないのは自明の理だ。


「ですが僕は、この想像通りに敵を動かす必要性はあると踏んでいます」

「……聞こうじゃないか」


 キュータイクが釣り上がり気味の目をさらに持ち上げて受けて立った。

 そのままソーレイト三人組とウルツは激しく戦術上の問題の論戦を始めた。


「……チャガさん」


 そんな騒がしくなった“参謀府”の雰囲気から一歩引くようにして、ヘンラックが話しかけると、チャガもそれに応じるようにして一歩身をひいた。


「なんだ?」

「ゴールディアは強くなりそうですね」

「ソーレイトもだ」


 共に同じ学舎で学ぶとはいえ、生徒達にはそれぞれの立場はある。

 馴れ合うことは許されない。


 だが、やはりそこには同じ学舎で時を過ごしたという確かな絆もあるのだ。


 出来ればいつまでも、こんな時が続いて欲しい。

 それは叶わぬ夢とは知りつつも、この学院に通う生徒達、誰もが一度は思い描く夢であった。

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