第30話 戦略の優位性

 この事態に戸惑いを隠せないのが、実際に砲撃をくわえているヤオナの三人だ。


 ここで砲撃を続けることが自分達の役目と割り切って動いていたが、女子のこの対応はまったく予想外だった。

 砲撃で崩れる、というほど甘い予想を立てていたわけではなかったが、少なくとも女子の動揺は誘えるという計算は立っていた。


 それが外壁の修理というのは、動揺どころか粘り腰にも程がある。


「ウルツ、お前が動揺してどうする」


 ムカからの視線にゆっくりと頷いて、砲撃を続行することを指示しながら、傍らの後輩に声をかけるヘンラック。


「しかし……この事態は予想外です」

「その通りだが、それを女子に悟らせては向こうを落ち着かせるだけだ。なんでもないという顔をしていろ。さっきからリリーアンがこちらをずっと見つめている」

「え?」


 そのヘンラックの言葉自体が何よりも予想外だったのだろう。


 ウルツはこちらに視線を向けてくるリリーアンの視線から、ヘンラックの身体に隠れるようにして身を隠してしまう。そして逆に窺うような視線をリリーアンに向けると、今度はリリーアンがコウハの陰に隠れてしまった。


「何だ、お前ら恋仲みたいだぞ」


 とシュウガが茶化すが、ウルツにとってはそれどころではない。


「ヘンラックさん、いつから向こうはこちらを見ていたんですか?」


 と内心の動揺を隠しながらも尋ねるが、そのヘンラックからの返事がない。


「あ、こりゃだめだ」


 とシュウガの右手が一閃し、ヘンラックの頬が鳴った。


 どうやら逃げるリリーアンを追いかけるウチに、またもコウハの胸に捕まってしまったらしい。


 女子の方でもそれを察したのか、好機だ、もっと見せつけろ、というリリーアンの声がするが、もちろんコウハは拒否の構えで、身を屈めながらヘンラックを睨みつける。


 それが何よりの気付け薬になったのか、ヘンラックは自分を取り戻し、自分の陰に隠れたウルツに向かって、


「もっとしっかりしろ」


 と完全に自分のことを棚上げした言葉を吐いた。


 それに対してウルツが反論しようとしたところで、ヘンラックはチャガ達に手を振って合図をする。


 するとチャガ達の動きが散開した動きから、整然と整列しての規則正しい動きに変化した。そのまま学食と酒保の間――要するに女子からの死角――に進んでいく。


 実のところその動き自体に意味はないが、男子が手をこまねいていると悟らせては上手くないし、それに何より向こうが深読みしてくれれば有り難い。


「多分、無駄ですが、やらないよりは良い」


 こちらも立ち直ったウルツがやはりヘンラックの後ろに隠れながら呟く。


「無駄?」


 反応したのはシュウガだった。


「向こうはきっちりと戦略目的を固めてきた。完全に時間切れ狙いです。その目的が揺らいでいないから、ああいった手を打ってくる。今ジリ貧に追い込まれているのはこちらなんですよ」

「俺が出るか?」


 その言葉にウルツはジッとシュウガを見つめる。


 補給路を襲わせる。ムカ達に合流させる。まったくでたらめな動きをさせる……


 幾つもの案がウルツの脳裏に浮かんでは消えていく。


 だが、それを片端から消していくのはあのイェスイの破壊力だ。シュウガを先に使ってしまうと、イェスイに対抗できなくなる。


 リリーアンとコウハに待ちに構えられたことで“後の先”を握られた形になっていた。


 だが元を辿れば二人が待ちの姿勢に徹することも出来るのは、砦を築くことで向こうが戦略的優位を確立しているからなのだ。


 戦略。戦略。戦略。


 ――そう、戦略の優位性。


 何もかもが軍事上の常識通り。

 いくら戦術を練りに練っても、どうにもならない。


「……戦略で負けています。今は時期を待たなければ……」

「戦略? そう、そこだ。俺にはそれが理解できない。今はどういう状況なんだ?」

「……僕たちが不利なんですよ」


 極めて完結にウルツが告げると、


「じゃあ向こうから攻めてこないのは、そのまま時間が過ぎれば向こうが勝つからか?」「そうですよ!」


 余りに状況が見えていないシュウガに、ウルツが苛立った声を出す。


「ウルツ、攻城塔の方が出来ても状況に変化はないか?」


 間を取り持つようにヘンラックが割り込んで尋ねると、ウルツはフッと視線を下に向ける。


 ジルダンテが申請した攻城兵器は最終日に間に合うことになっている。

 その中でも攻城塔というのは、外壁と同程度の高さの矢倉を組むことで兵士達の侵入を試み、その一方で矢倉の最下部には、破城槌という昔ながらの破壊兵器を組み込んでいる、大がかりな兵器だ。


 籠城する城の攻略にはまず欠かせない兵器でもある。

 だが戦略上の優位を確立されてしまった以上、こちらが戦術の限りを尽くしても……


「――いや」


 そんな自分の考えを、口に出して否定するウルツ。

 便利な言葉を思い出したからだ。


「ヘンラックさん! 攻城塔は“戦略兵器”です!」

「う……ああ、まぁ、戦術兵器と呼ぶには無理があるな」


 勢いに押される形で、ヘンラックが同意するとウルツはギュッと眉根を寄せる。


「だとすれば、こちらはいかにも手詰まりのように、振る舞う必要があります。チャガさん達に砦の周りをグルグル回って貰いましょう」

「補給線に踏み込む形になるが?」

「一撃で全滅はないです。それに同じ方向で回らせるんじゃなくて、逆回転も加えてください」

「イェスイが出てきたら……」

「それこそ望むところです。シュウガさんで押さえればさらに戦術に幅が出来る」


 軍師の進言は終わった。


 ヘンラックは頷いて、さらに細かな指示を指文字で示した。これも浴場での作戦会議の成果である。さすがにこれほど細かいところまではセツミにも伝わっていない。

 それを受けてチャガ達が躍動する。


                  *


 未だ戦力判定機を使うような事態が訪れないので、被害報告と修復報告を繰り返して宣言しているオークルはともかく、コチは実に暇だった。そのせいだろうか、めったに口を開かない、この男がボソリと呟いた。


「……男子は折れないな」


 それを耳聡く聞きつけるハクオン。ムカ達がやってくるまでは噴水の端に座り込んでいたのだが、煙管に水がかかるのを嫌って女子砦の近くにいる二人の傍らにまで近付いてきている。


「まぁ、ある意味男子は正解を出し続けてますからね。折れる理由がない」

「女子は?」


 さらに珍しいことに、コチが話に乗ってきた。よほど暇なのかもしれない。


「こちらも正解。成績を付けるなら両方とも“可”といったところですね」

「両方正解か」

「そうとも言い難い」


 ハクオンはそこで、コンと煙管を鳴らしてたまった灰を落とす。そして煙草を詰め直すと、ゆっくりと火を点けた。


「双方とも戦略目的の変更をしています。女子は全滅しないこと。開戦に至った経緯を考えるとこれは妥当。だが男子の方は砦を攻略するに“後退”していると言ってもいい。これでは女子の全滅はおぼつかない」

「ふむ……」


 コチはそこで納得したようだが、そこでさらにハクオンへ視線を向ける。


「何です?」


 さすがの異常事態に、ハクオンも居住まいを正すとコチがさらに顔を寄せてきた。潮焼けした大きな顔が実に暑苦しい。


「……あの宣言のさせ通しは酷だぞ。明日の講義に支障が出ては、問題もあるだろう」


 ハクオンはその言葉に目を丸くし、継いでオークルを見て、最後にイインとは違う説得の手際の良さに感心する。

 確かに講義に問題が出ては学院の問題だ。


「ちょっと停止だ!」


 ハクオンが大音声で宣言する。


 日頃の講義の厳しさの成果か、模擬戦をしてる生徒どころか、三階で見物していた生徒、学食の窓から乗り出していた生徒までが、ピタリと時を止めた。


「オークル先生の負担が大きい。かといってお前達の戦術選択の幅を狭めてしまっては本末転倒だ。オークル先生、砦の外壁に被害が出たときは右手を挙げて、修理が有効なときには左手を挙げてください」

「え?」


 と、ハクオンの言葉に戸惑いの表情を隠せないオークル。

 確かに声を出し続けるよりも楽そうではあるが、想像するだけで間抜けさを感じられる。

 そこにハクオンから追撃が来た。


「外壁が壊れたときは、諸手を挙げてください」

「そ、それはいやです!」

「大丈夫。外壁が破壊されるのも一度だけ。恥ずかしいのも一度だけです」

「恥ずかしいのわかってるんじゃないですか!」

「俺が“規則”です。これは生徒達に限った話じゃありません」

「ぐ……む……」


 泣きそうになるオークルだが、それで恐れ入るハクオンではない。コチの方も、それで問題ないと考えたのか、いつものダンマリに戻ってしまった。


「再開して良いぞ」


 再びハクオンが宣言するが、すぐに動き出す者はいなかった。

 その横暴ぶりが教職員にまで及んでいると知り、さすがに背筋の寒くなるものを全員が感じたのだろう。


 その後は全員が緩慢な動きとなり、さらにコチの予報通り雨まで降り出したので、状況に変化はなく後四刻を迎えることとなり――双方共に兵を引いた。

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