第27話『狂戦士』


 部屋の隅にあった毛布の山から二枚を引っ張り出し、自分の荷物のところへと敷いた。昨晩はほとんど眠れなかったので少し眠い。毛布の上に横になった。

 部屋の隅から子供たちのすすり泣く声が聞こえて来る。帰ってこなかった父親の事を話しているみたいだ。


 ――うーむ……。ティコがここへ避難しなかった理由が少し分かった気がした。もしかすると俺は失敗したかもしれない……。これはちょっと悲しい気持ちになってくる。



「にーちゃん! にーちゃん! 起きてくれよ!」

「んかっ! ああ、悪い、ちょっと寝てた」


 いつの間にか眠ってしまったみたいだ。


「何だよ、疲れてんのか。だから眠れる時に寝とけって言ったのに」

「そうだな」


 いや、この状況でぐっすり眠れるお前が可笑しい。


「それで、挨拶は行ってきたのか」

「うん……」


 ティコの表情が暗い。


「何かあったのか」

「うん、色々話を聞いてきた」

「どうだった」

「うん、状況はすこぶる悪いみたいだよ……」


 どうやらこの緊迫した状況でかなり情報が錯綜さくそうしているようだ。ティコの聞いてきた話は噂話や憶測も多く含まれている様子だった。


 今、街の外には追加の兵を含めて五万の軍勢が居るそうだ。三万の軍勢が街を取り囲み、残り二万が日の入り門を中心に攻撃を仕掛けている。さらに周辺他国の軍勢も続々とこちらに集まってきているらしい。

 昨日から聞こえている炸裂音は雷玉いかづちだまと呼ばれているらしい。手のひらサイズで火をつけて投げる物らしく、どう聞いても手榴弾にしか思えない代物だが、魔道具の一種であるそうだ。そして、昨日は一度門を破られかけたそうである。正確には一度門を破られ侵入を許したが、何とか体制を立て直して双方に多大な被害を出しながら押し返したそうである。

 これに対して街側は急遽、神殿で義勇兵を募り、防衛の一角に添えた。今日現在は約四万の兵が防衛に当たっている。そして、さらに動員を進めこの街で戦闘に参加できるすべての人員で事に当たる腹積もりであるらしい。最終的には約八万人の兵が動員される予定である。すでにこの戦いは総力戦の様相を呈してきている……。


「でもどうして、そんなに人が必要なんだ。五万の兵が相手なら四万の防衛で十分じゃないのか」


 防衛側には地の利がある。通常城攻めには三倍の兵力が必要だと聞いたことがある。


「それは〝狂戦士〟の所為だよ、にーちゃん」

「狂戦士?」


 バーサーカーの事か……。そんなものがこの世界には居るのか? 流石、異世界。


「奴ら痛みを全く感じないんだ。だから、手足を切り飛ばされても平気でこっちに襲い掛かってくる」

「あっ……」


 俺は同じような話を知っている。モルヒネだ……。モルヒネは末期医療にも用いられるほどの強力な鎮痛作用を持つ医薬品である。アメリカの南北戦争以降の戦場では広く使用されるようになった。日本でもがんの末期患者に処方されることのある薬である。だがこの薬は一般的には流通しない。何故なら、この薬が麻薬の一種だからである。用法を少しでも間違うと高い薬物依存を引き起こしてしまう可能性もあるのだ。

 そんなものがこの世界で使用されたのかもしれない……。精製方法さえ知られていないようなこの世界で……。


「実はあたいの親父もそれにやられたんだ……。斬っても斬っても襲い掛かってくる相手に取り囲まれちまって……。半年前の国境線の頃からそんな奴らが兵士に混ざり始めてて、今回街を襲っている二万の兵のほとんどはそんな奴ららしいんだよ」

「それは……」


 ――まずい……。


 二万もの人間がそんな状態だとしたら、多分、意図的に中毒患者を作り出しているという事だ。勿論それは戦争をするためだろう。


「なにせ矢で刺しても槍で突いても構わず向かってくるから、とにかく死傷者が絶えない状態らしいよ」

「……」


 ――無茶苦茶しやがる。もうこれは互いに殺し合いをさせるため意図してやった事だと思わざるを得ない。元々、モルヒネは痛み止めで、傷や怪我を癒すための薬ではない。使用したからと言って体が治るわけではないのだ。それに、そんなものを使用したら戦の後でどんな症状が出るかもわからない。いや、もしかすると、そのまま麻薬であるヘロインやコカインが使用された可能性だってある。そんな連中が街になだれ込んできたとしたら……。まさか、そっちの方が目的なのか?



 その時、窓の外から〝ドーン!〟と大きな音が聞こえてきた。今日もまた戦争が始まった。


「きゃあ!」


 ティコが耳を押さえて叫ぶ。


 ティコの家より西の壁に近いせいで音も振動も激しい。喊声かんせいもはっきりと聞こえて来る。

 下の階が何やら騒がしくなり始めた。男たちが日の入り門に行くかここを守るかで揉めているようだ。問題のティコは……音が怖いのか両耳をふさいで丸くなっている。門に行きたいとか言い出すかと思ったが杞憂のようだ。


「きゃ!」


 また外から炸裂音が聞こえた。

 敵も本腰を入れてきたのだろう、明らかに昨日より間隔が短い。


 ドタドタと音を立ててブラウン髪で短髪の少年が階段を上がってきた。先程玄関に居たカロンとか呼ばれていた少年だ。丸くなっているティコを見て言い放つ。


「何だ、雷が怖いのか、まだ子供だな。なあ、あんた。俺たちは日の入り門へ助勢に行く。ティコが復活したらこれを渡しといてくれ」


 そう言って少年は一振りの剣を俺に差し出した。鞘を見るかぎり刃渡り六十センチの諸刃の直剣。


「え? これをティコに……」

「ああ、あんたは巡礼者だから武器は持てないだろ。こう見えてもこいつは剣の扱いはちょっとしたもんなんだ。だからティコの護身用に持たせといてくれ」

「わかった」


 ――護身用か……そういう事ならまあいいか。俺は剣を受け取った。


「んじゃあな」


 少年はそのまま階段を下りて行った。俺は受け取った剣を抱えた。


 ティコが剣の扱いが上手な理由は親父さんの所為だろう。なにせ国一番の剣士で教えていた少年たちからも信頼されていたような人だから、ちゃんとティコにも剣の扱いを教えていたのだろう。

 しかし、正直な事を言えば雷の音が怖くて、香箱座りの猫の様になって耳を塞ぐ少女が剣を振るう姿は想像できない……。

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