第46話『生還』


「んかっ!」


 いかん! 一瞬、気を失っていた。うーん、ここは……。

 どこかで見たことのあるシンプルなオフィスの一室。背後には妙に意匠を凝らした立派な門が設置されている。


 ――ここは……。ワールドアドベンチャーの五階じゃねえか!


「帰って、きた! ん?」


 俺の腕の中にはティコが居る。どうやら彼女も無事のようだ。意識を失っているのかぐったりとしている。良かったうまく行ったみたいだ。俺は優しくその頭を撫でた。


 そして……。目の前には巫女装束の女性が腕組みしながら立っている……。年の頃は十代後半。やや冷たい瞳に凛々しい顔立ち。大正時代の女学生の様に長い髪を後ろでまとめティアラの様な大きな櫛を挿している。不機嫌そうな表情でこちらを睨みつけて来る。


「とんでもない事を仕出かしたわね。このロリコン野郎!」


 開口一番、その女は心に突き刺さる一言を投げつけてきた。と言うかこの声は稲田姫いなだひめの声だった。


「早くその娘をこちらに渡しなさい!」


 そう言って稲田はこちらに右手をずいと差し出した。


「ティコをどうするつもりだ」

「すぐに向こうに送り返して、アウケラス様に陳謝するのよ」

「あんな状態の所へ送り返したらどうなるか、わかるだろ! 俺がそんなの絶対に許さない!」

「いい事、よく聞きなさい。本来、ネムリアとこの地球は互いに干渉しあう事はあり得ないの。ましてや、向こうの世界の住人を連れて来るなんて考えられないわ。つべこべ言わずその娘をこっちへ引き渡しなさい」

「嫌だ!」

「向こうの世界には向こうのルールがあるの、それを勝手に曲げてはいけないの」

「駄目だ! せめてティコの身の安全を保障しろ!」


 そう言って俺はティコを抱きしめたまま稲田へ背を向けた。


「あなたね……」



「あらあら、これは随分と面白い事になってるわね。姫ちゃん」


 声に振り向くとその大きな胸を上下に揺らしながら紺のビジネススーツの女性が部屋に入ってきた。日本支部代表取締役の天野照子あまのてるこだった。


「すみません、天野さん。すぐに処理しますから」

「あらあら、まあまあ。姫ちゃんちょっとこれ見て頂戴」


 そう言って天野は右手に持ったビー玉サイズの光る球を稲田に差しだした。稲田はそれを右目の前にかざしティコを見つめた……。


「んなっ! すでに死んでる!」


 稲田が声を荒げた。


 その声に驚いたのかティコが体をビクンと震わし目を覚ました。死んでないじゃないか! 脅かすな!


「うん、ここは……」


 小さく欠伸をしながら目覚めたティコが聞いてきた。


「俺の住んでた国の日本だ」

「日本? えらく寂しい所だね」

「ここは仕事場だからだよ」

「ふーん」


「すみません、天野さん。すぐにアウケラス様に連絡を入れて、適切に処理します」


 蒼い顔をして稲田は言った。


「まあまあ待って、姫ちゃん。寿命の尽きた人間を送り返されてもアウケラスも困るでしょ」

「はあ……」


 稲田は大きくため息をついた。


「あの、それはどういう意味です」


 死んだとか寿命が尽きたとか物騒なフレーズが気になった俺は天野に質問してみた。


「ああ、ごめんなさいね、美空井君。あなたが連れて来ちゃったその子は、本来あの場で戦渦に巻き込まれて死ぬ運命だったのよ」


 カラカラと笑うような気楽さで天野は答えた。


「なっ!」


 死ぬ運命だっただと!


「それをあなたが丁度、死の瞬間に因果律の干渉しない地球に連れてきたものだから、寿命が尽きても死ななかったという訳よ」

「うっ……。それって、まずいですか」

「うーん、生きたまま幽霊になったみたいな、ネムリアの因果律から外れてしまった的な、そんな状態かな」

「それは、この先どうなってしまうのです」

「うーん、きっと、このまま向こうに送り返したら死ぬことの無い特別な存在になってしまうわね」

「それは、アンデッド……」

「うーん、ちょっと違うかな。因果の輪からも外れるから他人の生死に係れなくなるだろうし、もしかしたら人から認識されにくくなるかもしれないわね。そうね、地球で言えばさしずめ妖精と言った存在かしら」

「妖精……」


 イメージ的にはティコが妖精と言うのは悪くはないのだろうが、人から認識されにくいというのはいただけない。そんな状態でいつまでも生きて行く存在。それはきっと寂しいものに違いない。それに、こいつまでボッチになってしまう……。言ってて俺もちょっと悲しくなってきた。



「ああ、そうだ! いい方法があるわー」


 今、思い付いたという風に天野が顔を輝かせ声を上げた。


「何ですか天野さん」


 その様子に稲田が食いつく。


「この子は偶然地球に迷い込んだ事にして、アウケラスには黙っておくというのは、どう? 姫ちゃん」


 天野はどや顔でそう言い放つ。


「……。駄目でしょう、それ!」


 うわっと若干引き気味に稲田は答えた。


「どうしてー」

「どうして、と言われても……。ばれたら大変なことになります!」

「あら、ばれても、ばれなくても結果は同じじゃない」

「うっ! そうですけど……。はぁ~」


 稲田は額に手を置き俯いた。


「決定ね。丁度、和久田さんもお手伝いが欲しいと言ってたし、この子は会社で面倒を見る事としましょう」

「もう、好きにしてください……」


 和久田? その名前は前にも聞いた。確か俺をスカウトした人の名前と言っていた。とすると、あのでっかい婆ちゃんのことかな。


「あの、その和久田と言う人は?」

和久田結わくたむすびさん。ここの土地を持ってる大家さんみたいな人よ。あなたともえにしがあるようだから安心でしょ」

「はあ?」


 この辺の地主という事だろうか? もちろん俺にそんな面識はない。いや、この場所ならむしろ実家の方が近いので子供の頃の知り合いだろうか? 確かにあのお婆ちゃんに会ったとき初めて会った気がしなかったが……。いや、それよりもここはティコの身の安全の方が大切だ。



「ねえ、あなたもこちらで暮らしてみない……」


 いつの間にか背後に立っていた天野がティコの頭を撫でた。そして、言葉を続けた。


「ねえ、ホーネス王国第四王女ティレイ・フラウス・ホーネス」


「違う! あたいの名前はティレイ・アーバインだ!」


 その瞬間、ティコは日本語でそう叫んだ。

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