第35話『ティコの剣』


 俺たちは壁伝いに西へと走った。周囲には人気は無い。大通りの北の方から走る靴音が聞こえてきたが、どうやら王城の方へ向けて駆けている様だ。足音が去っていく。

 細い路地を通り過ぎ左手の石壁はレンガの高い壁へと変わった。この向こうが魚河岸だ。路地の先に中へと入る門が見えてきた。門は明け放たれている。ティコが門へと飛び込んだ。


 その瞬間!

 目の前を何かが通り過ぎ、ティコの小さな体が弾き飛ばされ地面を転がった。


「ティコー!」


 俺は声を上げ慌ててティコへと駆け寄った。


「お前たちは何者だ!」


 振り返ると門の陰に白いマントを羽織った男が長い槍を手にして立っていた。どうやらティコにはケガは無いようだ。わき腹を蹴られたらしく、お腹を押さえて蹲っている。

 俺は両手を広げティコの前へと立ちはだかった。


「俺たちは旅の巡礼者です。ここへ避難してきました」


 俺は噓をついた。

 男はフンと鼻で笑う。


「そうか、だが悪いな。住人は皆殺しだと命令を受けている」


 男の身長は約百九十センチ。頭に金属製のヘルムをかぶり、胸に金属プレートの付いた革鎧を身に着けている。持っている槍をクルリと回し穂先をこちらへと向けた。

 カチリと俺の背後で音がした。


「いや、だからここの住人じゃない……」


 俺はわざと大きな身振りで説明した。そして、手をウエストバッグへ突っ込み……。


「ふん、問答無用!」


 男が槍を引こうとした瞬間、俺の脇を掠めて小柄な影がものすごい勢いで飛び出した! ティコだ! 男は近づかせまいと慌てて槍を振る。しかし、その時にはティコの小柄な体は男の間合いの内側に入り込んでいた。腕の下でティコの姿がクルリと回る。

 ティコが右手で抜いたショートソードの剣先が男の右腕を下から斬り上げた!


「ぐっ!」


 男がうめき声を上げる。槍を持った右手が下がる。

 俺は咄嗟に持っていたボストンバッグを男の顔面へ向けて投げつけた。男はたまらず後ろに飛び退いた。ティコのショートソードが下からそれを追う。剣先が男のヘルムの下へと滑り込んだ!


 ゴポリと小さく音がして男のヘルムの下から血が溢れ出した。男は一瞬それを左手で押さえようとして、ゆっくりと後ろへと崩れて行った。



 ティコは剣をだらりと下げて、倒れた男を呆然と見つめている。その小さな肩がカタカタと震えた。


「あたい、人を斬った……。人を殺した……」


 ティコが引きつった顔をこちらに向けてそう呟いた。


「大丈夫だティコ。お前の所為じゃない。お前が行かなければ俺がやってた」


 俺も一瞬ウエストバッグに手を突っ込んだ。しかし、戦闘経験が無いので躊躇した。その隙にティコが飛び込んだのだ。俺が殺したのも同じ事だ……。悪いとは思わない。こいつも俺たちを殺そうとしたのだ。

 俺は急いでボストンバッグからタオルを取り出し、ティコの手と剣についた血糊をぬぐった。


 ティコは唇をかみしめて涙を必死で堪えている。倒れた男はピクリとも動かなくなった。


「ティコ、大丈夫か」

「うん、問題ないよ……」

「お前は生き残るために剣を振ったんだ。間違いじゃない」

「うん……」


 そう答えてからティコは大きく息を吐いた。


「い、急ごう、にーちゃん……。すぐ他の敵が来るかもしれない……」

「おう」


 俺たちは荷物を拾い上げて、急いで水路のある魚河岸の西端へと走った。



 魚河岸から水路へは緩いスロープになっており、何艘もの小舟が台車に乗せられ陸揚げされていた。そのうちの一つの滑車の留め金をティコが引き抜く。途端にガラガラと台車が海面へと落ちて行った。

 船の長さは約四メートル。荷物を乗せるために横幅は広い。船尾に付けられた櫓を漕いで進む仕組みだ。俺たちはロープで船を曳き乗り込んだ。


 ティコは船底に置いてあった棒で水底を押し出発させて船尾の櫓を漕ぎ始めた。残念ながら櫓の漕ぎ方を知らない俺には手伝えることは何もない……。


「にーちゃんは底板外して銛を出しといてくれ」


 ――いや、やれることがあった……。俺は平らになっている船底の板を持ち上げた。そこには紐の結ばれた三本の銛が設置されていた。


「水路を出たらすぐに海竜が迫ってくるから、そんで、当たんなくてもいいからとにかく海面に顔を出したらすぐ銛を投げんだ」

「当てなくてもいいのか」

「当たるまでは何度でも襲ってくるけど、当たらなくても一旦引くから何度も投げるんだよ」

「わかった」


 俺は銛を船底から取り出した。長さは一メートル五十センチくらい。柄は木製で後ろに紐が括り付けられている。紐の先は船縁に結わえてある。何度も投げると言う事だから投げた後この紐を手繰り寄せて回収するのだろう。俺は一本の銛を手にして確認した。


「港へ出るよ!」


 ティコは櫓を大きく漕いで一気に加速した。幅三メートルほどの水路から堤防に囲まれた海へと出た。西側の波止場にボロボロになりながら燃え残った国王の帆船が見えた。


「来るよ! にーちゃん!」


 港の中央の海面が急に波立つ。三本の白波がこちらへ向けて近づいてきた。俺は銛を手に船底で立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る